「始皇帝」ひきいる秦国と戦った趙国の名将「龐煖(ほうけん)」の、史実での「強さ」や「最期」を、わかりやすく解説いたします。
本当は、おじいちゃんだった武神「龐煖」
実はケンカが強かったわけではなく、頭で戦うタイプだった。
最期は寿命で亡くなった?
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この記事を短く言うと
・龐煖とは、趙国の名君「武霊王」をはじめ、四代の王に仕え、後に「合従軍(連合軍)」を率いて始皇帝や呂不韋の「秦国」を攻めた、文武両道の武将
・史実での龐煖は、個人的な武力はそれほど強くなく、軍を自由自在にあやつることで、その才能を発揮していた
・龐煖の最期は、史実では描かれていないが、おそらく「王翦」による「鄴攻略戦」の直後に「戦死」ではなく「病死」か「老衰死」しただろう
龐煖とは何者なのか?どんな功績を残したのか
人気漫画「キングダム」にも登場する趙国の武将「龐煖」
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史実において、龐煖はどんな功績を残しているのでしょうか?
『龐煖』の功績
「龐煖」の功績を簡単に解説いたします。
・趙国の軍事改革や領土拡張を実現した王「武霊王(ぶれいおう)」を支えた
・趙国の悼襄王に仕え、燕国の将軍「劇辛(げきしん)」を討伐
・合従軍を率いて、秦国を攻撃した
龐煖は、趙国の「武霊王」から始まり「恵文王」「孝成王」「悼襄王」という、四代の王に仕えた人物です。
趙国の名君「武霊王」に仕えた天才軍師だった
「我・・・武神・・・龐煖なり」
これは人気漫画「キングダム」における龐煖の決め台詞。
キングダムで、龐煖は趙国最高位の大将軍「三大天」の一人に数えられ、圧倒的な武力を持つ「武の求道者」として描かれています。
「胡服騎射(こふくきしゃ)」
中山国を侵略し、趙国の最盛期を作り上げた「武霊王」が行った軍事改革のことです。
「胡服騎射」とは弓を使って攻撃する騎馬部隊のこと。武霊王はこの「胡服騎射」という部隊を作り上げることにより、趙国を軍事大国へと変貌させました。
史実における龐煖は、後の始皇帝「嬴政(えいせい)」が秦王に即位する50年も前に、この「武霊王」に仕えていた「弁論家」「軍事評論家」だったのです。
龐煖の最期
悼襄王の時に活躍した「龐煖」でしたが、次代の「幽穆王(ゆうぼくおう)」の時代には全く名前が出てこなくなります。
おそらく「幽繆王」の時代には、龐煖は高齢であったと考えられますので、引退したか、または亡くなったのでしょう。
史実では、「王翦(おうせん)」が趙国の「鄴(ぎょう)」と「閼与(あつよ)」を攻め落とした「紀元前236年」を最期に、歴史から姿を消すこととなるのです。
龐煖は、王翦が鄴・閼与を攻めているとき、燕国と戦っていたため、王翦の「鄴攻め」には参戦していません。
おそらくこの「鄴」の戦いの後に、亡くなったのでしょう。
漫画『キングダム』・・王翦の「鄴攻め」で「龐煖」が死ぬ?
人気漫画「キングダム」で、王翦と李牧が戦う「鄴攻め(鄴攻略戦)」に、龐煖が登場しました。
主人公「信」が、敵将「趙峩龍(ちょうがりゅう)」を討ち取ったその日の夜、秦軍の陣営に、突如武神「龐煖」が襲来。
史実での「龐煖」は、王翦が「鄴」「閼与(あつよ)」ら9城を攻略したとき、「燕国」と戦っており、王翦とは戦えませんでした。
「龐煖」は、この「王翦の鄴攻め」を最期に、歴史の記録からその名前が忽然と消えることになります。
ということは・・・・。
漫画「キングダム」の今後の展開を、筆者なりに推測してみたいと思います。
可能性は低いと思いますが、この「王翦の鄴攻め」で、武神「龐煖」が死ぬ可能性があるのではないでしょうか。
これまで龐煖が参加してきた戦いは4つ
・「王騎討伐戦」
・「燕国・劇辛討伐戦」
・「合従軍・蕞(さい)攻略戦」
そして
・「王翦の鄴攻め」
史実では「王騎討伐戦」以外の3つ全てに「龐煖」の名前が登場します。
歴史上の「龐煖」は、「劇辛」「合従軍」「鄴攻め」に、本当に関与しているのです。(鄴攻めには間に合わず、参戦していない)
これ以後、史実に龐煖が登場しない・・・ということは、漫画『キングダム』でも、龐煖の登場シーンは「鄴攻め」で最期・・・ということになるのでしょう。
もちろん「キングダム」は、多分に創作が含まれていますので、龐煖がまだまだ活躍する可能性があります。
史実に忠実に考えるのであれば、「鄴攻め」には「李牧」すら参戦していませんでしたからね。
あまり「史実」に固執しすぎるのもナンセンスでしょう。
筆者個人としては、龐煖にはまだまだ頑張って欲しいと思っています。
「?攻め」で「龐煖」が死んでしまうと、趙国「三大天」の3つの席が全て埋まらないままになってしまいます。
おそらく「司馬尚」が「三大天」に正式に任命されてから、龐煖は亡くなる・・・という展開になるのでしょう。
追記・・2019/12/26「龐煖・敗北」
「2019年12月26日」の「キングダム」連載で、龐煖が「王騎」の矛を持つ「信」に斬られました。
肩口から胸元にかけて斬られ、「両断」という解説付き!!
王騎に斬られ、矢の雨を喰らいながらも生き延びた不死身の武神「龐煖」・・・。
それでもさすがにあれだけ斬られたら、生きていられないでしょう。
キングダムが「創作」を多分に含みながらも、史実を大切にすることがよくわかりました。
武神「龐煖」・・・・幕です。
史実における龐煖の強さとは?
人気漫画「キングダム」では、「武神」と称される程、圧倒的な個人の武力を保有する「龐煖」
史実における龐煖の強さとは、どれほどのものだったのか?
「王翦」・・・・・・・・・始皇帝「嬴政」に仕えた名将です。秦国最大のライバル「楚」の名将「項燕」を滅ぼし、秦国の天下統一を達成させた最大の功労者。
その「王翦」が、龐煖との直接対決を、露骨に避けたと言われています。
その証拠に、王翦は「趙国・鄴攻略戦」を成功させたているわけですが、この「鄴攻略」において王翦は、龐煖が「燕国」と戦っている隙をついて行っているのです。
龐煖は鄴を救うために急遽戻ってきていますが、間に合わず、王翦の「鄴・閼与攻略」は成功。
龐煖の実績をまとめてみますと、以下の通りです。
・燕国の将軍「劇辛」を打ち破った
・楚の「春申君」と連携して、「趙」「楚」「燕」「斉」の4カ国連合軍を率いて秦国の城「さい」を攻撃した
などなど。
龐煖の強さ・・・・・・・それは「武神と称される腕っぷしの強さ」ではなく、名将「王翦」をも恐れさせたその「用兵の技術」と言えるのではないでしょうか。
連合軍を率いた・・ということは、抜群の統率力を持っていたということですからね。
ただ、龐煖はこの「合従軍」を率いて戦っていた頃、すでに70~80歳くらいの高齢であったと考えられますので、個人の武力はそれほど高くなかったと考えられます。
「龐煖」と「李牧」は、どういう関係なの?
人気漫画「キングダム」では、趙国の大将軍「三大天」の称号を持つ「龐煖」と「李牧」
史実において、2人はどういう関係なのでしょうか?
2人とも、史実では趙国の軍トップ「大将軍」ですが、一緒に戦ったことはありません。
言ってみれば、2人はともに「大将軍」という地位にのぼった「前任者」と「後任者」の関係です。
「龐煖」が大将軍をやめたあと、「李牧」が大将軍となって趙軍を率いて、秦軍と戦っているのです。
史実では、「龐煖」は「紀元前236年」に起きた、秦国の将軍「王翦」による「鄴・閼与攻略戦」を最期に、歴史からその名が消えます。
おそらく「老衰」か「病気」で亡くなったのでしょう。
一方、「李牧」はというと、「王翦」の「鄴・閼与攻略戦」の2年後の「紀元前234年」に「大将軍」に任命されています。
そして翌年、秦将「桓騎」を撃破しているのです。
「龐煖」が「紀元前236年」を最後に姿を消し、2年後の「紀元前234年」に「李牧」が大将軍となった・・・・。
おそらくこの「2年間」の間に「龐煖」が死に、代替わりが行われたのでしょう。
趙国は、「紀元前280年頃~紀元前245年」頃までは、名将「廉頗」を中心にして「秦国」と戦っていました。
「紀元前242~236年」は、「龐煖」が趙軍の中心でした。
「紀元前234~229年」は、「李牧」が趙軍の大将軍。
「廉頗」「龐煖」「李牧」と、趙国は軍のトップを入れ替えて、秦国という最強国にあらがっていたのです。
「龐煖」と「李牧」・・・史実では、もしかすると、面識なかったかもしれませんね。
龐煖は、李牧や項燕を超える名将だった
龐煖・・・・彼は武霊王に仕えた後、50年後の「悼襄王」の時代まで脚光を浴びることはありませんでした。
龐煖を重用した悼襄王は、父のあとを継いで王となった直後、名将「廉頗」「楽乗」の二人を他国に亡命させてしまうという失策をしている人物。
とはいえ悼襄王は、人を見る目は多少あったらしく名将「李牧」や「龐煖」を重用した王様でした。
龐煖が高齢であるにもかかわらず、悼襄王に見出されたということは、それだけ秦国の圧力が強く、趙国が滅亡寸前にあったということでしょう。
その後「李牧」という不世出の名将が、趙国を守るために趙王「幽穆王」のもとで戦い、一時的にでも最強国・秦を退けるわけです。
「もしも龐煖がいなかったら・・・」
紀元前228年に滅びた趙国ですが、龐煖がいなかったら間違いなく、もっと早く滅びていたでしょう。
趙国の「李牧」と、楚国の「項燕」・・・・この二名は、始皇帝による天下統一の侵略戦を、一時的にでも撃退した・・・という功績で2000年後の後世に名前を残している名将です。
しかし龐煖は、李牧以上の名将と言っていいと思います。
なぜなら龐煖は、防戦一方だった「項燕」と違い、敗れたとはいえ合従軍を率いて「秦国侵略」を試みているのですから。
防衛のみならず、最強・秦国を相手に攻勢に出た龐煖・・・ただの「戦上手」というだけではなく、連合軍を作り上げる外交にも卓越した、もっと評価されるべき名将なのではないかと思います。
「戦上手」で「外交上手」・・・もしも、漫画「キングダム」で描かれているような「武力」を持ち合わせていたら、龐煖は完全無欠の名将として名前を歴史に刻んでいたかもしれません。
もちろん、それにふさわしい実績が伴っていなければ、名前など残りませんが・・・。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・龐煖は、燕国・秦国との戦いで実績を残した名将だった
・龐煖は「武霊王」から四代の王に仕えた軍事評論家・武将だった
・龐煖は名将「王翦」も戦いを避けた名将だった
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
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