まんが・キングダムに登場する、趙国の隠れた名将・司馬尚
守戦の名将・李牧にもその才能を認められた司馬尚について解説いたします。
司馬尚の最期の様子と、子孫のゆくえとは?
実は三国志の英雄・司馬懿と、その孫で晋という国の皇帝となった司馬炎のご先祖様が、司馬尚なのです。
この記事では、名将・司馬尚についてご紹介します。
歴史専門サイト「レキシル」へようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
名将・司馬尚とは、何をした人なの?
まんが・キングダムに登場する、三大天の最期の候補者・司馬尚
趙国の名将でありながら、地方に隠れ、その能力を発揮しようとしない逸材。
キングダムでは、李牧から三大天に推薦されたにも関わらず、それを断り、地方にかくれることを続けた人物として描かれています。
燕の将軍オルドによる攻撃を撃退したときに、若干姿を表していました。
李牧とともに王翦と戦った
司馬尚は、史実によると李牧とともに王翦・王賁という名将親子を相手に戦ったとされています。
おそらく司馬尚は、李牧を補佐する副将だったのでしょう。
キングダムで描かれている鄴(ぎょう)の戦いで、司馬尚は李牧と共に戦ってはいませんが、史実ではおそらく李牧とともに秦軍と戦っていたと考えられます。
司馬尚は本当に、後世に名を残すほどの名将だったのでしょうか?
結論からいうと、司馬尚はキングダムで描かれているほどの名将ではなかったと考えられます。
なぜなら、戦功について、目立ったものがなにもないからです。
おそらく李牧のほうが、司馬尚よりも格上だったでしょうね。
ちなみに鄴(ぎょう)という地は、三国志の英雄・袁紹が本拠地としていた地です。
袁紹を倒して鄴を奪った曹操は、魏国を建国したときに、鄴を魏の都としました。
その結果、この地は鄴都(ぎょうと)と呼ばれて繁栄したのです。
司馬尚の最期とは?
司馬尚の最期については、はっきりとはわかっていません。
ただ、李牧が死ぬと同時に更迭(こうてつ)、つまり将軍の身分を奪い取られて、そのまま逃亡したといわれています。
紀元前229年、王翦が楊端和や羌瘣(きょうかい)と共に趙国へ進行します。
趙国の幽繆王(ゆうぼくおう)は、李牧と司馬尚にたいして、王翦がひきいる秦の軍団を倒すように命令します。
それに対して秦国では、李牧の恐ろしさがわかっていたので、李斯が立案した作戦に従い、幽繆王の側近・郭開へ賄賂(わいろ)を送り
「李牧と司馬尚が趙国を裏切ろうとしている」
と、幽繆王にたいしてニセ情報を吹き込みます。
その情報を信じた幽繆王は、李牧と司馬尚に更迭を命じます。
しかし、危機に瀕した趙国を救うため、李牧はこの命令を拒否してしまうのです。
命令違反の罪により、李牧は処刑されてしまいます。
それに対して司馬尚はというと、更迭の命令に従ったためなのか、処刑されることはありませんでした。
そのうえ、司馬尚は身の危険を感じて逃亡までしています。
李牧の死から3ヶ月後、秦の猛攻により、趙国は滅亡します。
これ以降、司馬尚が歴史の表舞台に登場することはありませんでした。
ちなみに幽繆王とは、まんが・キングダムで李牧をめちゃくちゃに罵った悼襄王(とうじょうおう)の息子です。
李牧から、希望の光と呼ばれて期待されていた太子・嘉の弟にあたる人物です。
悼襄王はキングダムでは、暗君として描かれています。
しかし、家出した名将・廉頗を呼び戻そうとしたり、龐煖(ほうけん)や李牧を大抜擢したりと、なかなか人を見る目があったようです。
ところが、その息子の幽繆王はというと、正真正銘の無能な王さまだったようで、李牧を更迭して趙国を滅亡させているのです。
それに対し、兄の太子・嘉はなかなかの気合を見せています。
趙国が滅亡した後、最期の領地である代(だい)というところへ移動して、代国を建国し、秦に対抗をつづけているのです。
しかし代国も、趙国が滅亡した5年後に、秦の王賁将軍によって滅ぼされています。
王賁について、よろしければ以下のリンク記事を御覧くださいませ。
三国志の英雄・司馬懿は、司馬尚の子孫だった
司馬尚には、司馬卬(しばごう)という息子がいました。
司馬卬は、秦国を滅亡させた覇王・項羽(こうう)に、部下としてつかえていました。
その結果、司馬卬は殷王(いんおう)という王に任命されましたが、最終的に項羽を裏切っています。
司馬卬はその後、項羽のライバルである劉邦(りゅうほう)という人物につかえるのです。
劉邦につかえたあと、司馬卬は以前の主君である項羽と戦って大敗北。亡くなっています。
ちなみに項羽とは、キングダム主人公・李信を撃破した楚の大将軍・項燕の孫です。
項羽の父親が誰なのかは、史実上は不明です。
しかし、おそらくキングダムでは、雷轟・項翼が項羽の父親、という設定になるのだと考えられます。
「司馬懿」「司馬炎」とは
司馬尚の息子である殷王・司馬卬の子孫が、三国志で有名な名将・司馬懿であり、その孫にして皇帝にまで登りつめた司馬炎なのです。
司馬懿と言えば、日本でも有名な蜀国の宰相・諸葛亮孔明の進撃を防ぎきった名将です。
その後、司馬懿の息子・司馬昭は、晋王となって、魏国の皇帝を操るほどの実力者となります。
司馬昭の息子・司馬炎は、ついに魏国の皇帝から帝の位を奪って、晋を建国。
その後、晋は、最後のライバルだった呉の国を滅ぼして、三国志の時代を終わらせたのでした。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 司馬尚とは、キングダムでは名将として描かれているが、史実ではあまり目立たない人物で、李牧の副将をつとめていた
- 司馬尚の最期ははっきりわかっていないが、李牧とともに更迭される際に、逃亡して生き延びている
- 三国志の英雄・司馬懿と、司馬懿の孫・司馬炎は、司馬尚の子孫といわれている
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。
ありがとうございました
『キングダム』関連記事一覧
「秦の武将・軍師たち」関連記事
「王翦・王賁」
「昭王・六大将軍」
「秦の始皇帝」
「呂不韋」関連記事
「趙・三大天」
「戦国四君」
「キングダムの脇役・雑学」関連記事
コメント