始皇帝の墓には水銀の海が!内部には生き埋めにされた数百のご遺体も

人気漫画「キングダム」で活躍する「秦王・政」こと後の「始皇帝」

広大なその墓「始皇帝陵」には、お驚くことに「広大な水銀の海」が!!

墓の内部には、多数の罠と、始皇帝の後を追わせる様に、数百もの生き埋めにされた人達がいました。

この記事では、広大な始皇帝の墓の秘密と、「水銀と不老不死」について解説いたします


スポンサーリンク

歴史専門サイト「レキシル」へようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと
始皇帝の墓には、大量の水銀で作られた「海・川」があった

・始皇帝陵は、項燕の孫・覇王「項羽」と淮南王「英布」によって暴かれたと言われている

・墓には、後宮に仕えた女性たちが、相当な人数、生き埋めにされたらしい


《始皇帝の墓には「水銀の海」と莫大な財宝が!》

始皇帝は、秦王に即位すると同時に、70万人を動員して、自らの墓の建設を始めたと言われています。

始皇帝陵とは?

史上初めて「天下統一」を果たし、過去最大の領土を手に入れた「秦の始皇帝

その始皇帝の墓には、当然ながら副葬品として、膨大な財宝が埋められたと言われています。

始皇帝陵と呼ばれる「始皇帝のお墓」は、20000平方メートルもの広さ。

中華人民共和国・陝西省西安の北東へ30kmほどの地点・「臨潼区」にあります。

ちなみに西安は、かつての秦の都「咸陽」の近く。

当時の権力者のお墓の中には「死後に生活する世界」が建築されていたのだそうです。

始皇帝も、死後に生活する世界を「始皇帝陵」の内部に作り上げ、更には、死後の始皇帝を守るために、兵士の人形を約8000体も埋めたのです。

この人形軍団が、有名な世界遺産「兵馬俑(へいばよう)」。

始皇帝と水銀の逸話

大歴史家「司馬遷」が記した歴史書「史記」には

「始皇帝の棺の近くに、水銀を使った海・川が作られた」

と記されています。

現在の始皇帝陵に「水銀の海・川」は存在していませんが、、墓の内部には水銀が蒸発した痕が残っていたことが、確認されています。

始皇帝は、水銀をとても重要な代物だと考えていたようです。

天下統一を成し遂げた始皇帝は「永遠の命」を求めたと言われています。

「徐福」という家来を、日本へ派遣し、永遠の命を捜索させたという逸話は有名。

そんな始皇帝が「永遠の命」を得るために、「薬」と勘違いして「水銀」を飲んでいたのです。

始皇帝の死因は「水銀中毒」と言われていますので、「始皇帝陵」に「水銀の川・海」が存在していた理由は「始皇帝の永遠の命への執着」だったのでしょう。


スポンサーリンク

《「二人の王」が始皇帝の墓を破壊!》

財宝が盗掘されていた

始皇帝陵が建築された時、副葬品としてかなりの財宝が埋葬されたはず。

しかし始皇帝陵から財宝が発見されたという話は、聞いたことがありません。

何故かと言うと、実は始皇帝が埋葬された直後に、「二人の王」が始皇帝陵を荒らしていたからです。

「二人の王」とは?

始皇帝の墓を暴いた「二人の王」とは、秦国を滅亡させた「覇王・項羽」と、彼の部下で、後に「淮南王」と名乗る「英布(黥布)」のこと。

項羽は、秦国に滅亡させられた「楚」の出身で、「楚国の名将・項燕」の孫。京劇「覇王別姫」で有名な人物です。

「英布」というのは、罪を犯して「始皇帝陵」の建築作業に駆り出されていた「罪人」

顔に黥(いれずみ)を入れられる刑をくだされたため、「黥布(げいふ)」とあだ名された人物。

始皇帝に恨みを持っていた「項羽」は、始皇帝陵を暴こうとしました。

しかし、墓には多数の罠が張り巡らされていたのです。

そのため項羽は、始皇帝陵の建築に従事していた「英布」に、始皇帝陵の探検を命令。

英布はその任務を達成し、副葬品・財宝は、ことごとく項羽に没収されてしまったのでした。


スポンサーリンク

《墓には生き埋めにされた人が数百人!》

始皇帝陵へ「生き埋めにされた人間」が数百人もいたと言われています。

歴史書「史記」には、こう書かれています。

「始皇帝が亡くなると同時に、後宮(日本でいう大奥のようなもの)にいた女性で、子供がいない人は、全て殉死をさせられた。

かなりの人数が亡くなった」

始皇帝のあとを継いだ「胡亥」は、始皇帝に殉死させるため(実際には跡目争いのライバルを始末するため)、「始皇帝の息子12名、娘10名」を殺害したと記されています。

始皇帝の王子・王女だけで「22」名も殉死させられたのです。

おそらく「胡亥」は、「始皇帝の子供を妊娠している可能性がある人物」を恐れたのでしょう。

その為「子供がいない女性」を殉死させたのです。

王族から22人殉死したなら、一般人は実に「数百人」規模で殉死したのでは??なんて噂されています。

一説には、始皇帝は「秦国を支える有能な人材」を失うことを恐れ「殉死」を禁じたと言われています。

ただ、二世皇帝「胡亥」は邪魔者を排除するために、「殉死」を名目として次々と政敵を排除していったみたいですね。

始皇帝は、殉死なんてさせるつもりはなかったのかもしれません。


スポンサーリンク

《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・始皇帝は「不老不死の薬」と勘違いして「水銀」を服用し、水銀中毒で亡くなった

・始皇帝陵には「水銀の川・海」が存在していた

・覇王・項羽と淮南王・英布によって、始皇帝の墓は、暴かれた

・殉死の名目で、二世皇帝「胡亥」は、次々と政敵を始末していった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

2018年12月
« 10月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  
ページ上部へ戻る