【趙・悼襄王とは】生涯と最期!漫画キングダムでは暗君だが史実では

漫画「キングダム」にも登場する「趙国」の王「悼襄王(とうじょうおう)」について、その「生涯と最期」を、わかりやすく解説いたします。

「キングダム」では「暴君」とされた「悼襄王」だが、実は「滅びゆく趙国」を守ろうとした名君。

しかし息子「幽穆王」の時代に、趙は滅亡。


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この記事を短く言うと

・悼襄王は、趙国最後の王「幽穆王(ゆうぼくおう)」と、後に「代」という地の「王」となる「公子嘉」の父親。名将「李牧(りぼく)」や「龐煖(ほうけん)」という優れた名将を発見し、採用した人物である

・天下統一を目指す秦王「嬴政(えいせい)」の圧力に、悼襄王は抗い続けた

・人気漫画「キングダム」では、暴君とされているが、実際には名君の片鱗もみせている


悼襄王が残した功績とは?

秦の始皇帝と戦った趙国の王「悼襄王」

趙国が滅亡した際の王「幽穆王」の父親

人気漫画「キングダム」では、「暴君」として描かれている悼襄王の功績とは?

『悼襄王』の功績

悼襄王の功績を短く解説します。

・名将「李牧」を将軍に抜擢した

・学識豊かな学者「龐煖(ほうけん)」を将軍に抜擢した

長年にわたって趙国に仕えた名将「龐煖(ほうけん)」を将軍に大抜擢し、数々の戦功を建てさせています。

さらには名将「李牧」を抜擢し、一時的にでも秦国の進行を阻止しているところからして、人使いが上手だったのかもしれません。

しかし、奸臣「郭開」を遠ざけることができませんでしたので、それらの功績も水の泡となっています・・・。



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生涯と最期

悼襄王の生涯と最期について解説いたします。

王に即位・・・廉頗との確執

紀元前245年、悼襄王が「趙国の王」に即位。

悼襄王は、若い頃に自分を叱責した名将「廉頗」を恨んでおり、魏国攻略を行っていた「廉頗」に対して、名将「楽毅」の親戚「楽乗」と交代するよう命令しています。

しかし、それに激怒した廉頗は楽乗の軍を撃破して魏国へ亡命。

名将「楽乗」もまた、直後に亡命し、趙国から逃げ去っています。

「私は三傑(蕭何・張良・韓信)を使いこなした。

対してライバルの『項羽』は参謀・范増(はんぞう)すら使いこなせなかった。

それが私が天下を取れた理由だ」

これは前漢の初代皇帝「劉邦」の名言です。つまり天下を取るには、「人使い」が巧みでなくてはならないということ。

悼襄王は、後に「李牧」や「龐煖(ほうけん)」という有能な人材を抜擢していますが、スタートダッシュでいきなり名将「廉頗」を亡命させるという大きなミスを犯しているのです。



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名将「李牧」を採用

趙国は、北の国境地帯「雁門」で匈奴(モンゴル軍)と相対していました。遊牧民族の匈奴は、騎馬を利用した機動力で、趙国を苦しめていたのです。

しかし悼襄王の時代、匈奴による被害が突如としてなくなりました。

「守戦の名将」

これは、匈奴による被害を最小限に抑え、かつ匈奴軍を討ち果たした名将「李牧」に対して、歴史家「司馬遷」がつけたあだ名です。

悼襄王は、この李牧を将軍に抜擢。

その期待に応えた李牧は、燕国を攻略し、秦の将軍「桓騎」を倒します。

悼襄王の息子で趙国最後の王「幽穆王」は李牧の活躍を喜び、秦国の名将「白起」にならい、李牧に対して白起と同じ「武安君」という称号をおくっています。



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「龐煖(ほうけん)」を採用

悼襄王は一人の学者を将軍として抜擢しています。その名は「龐煖」。人気漫画「キングダム」で「龐煖」は「武神」を名乗る猛者として描かれていますが、実際には老齢の学者です。

「武霊王」・・・・「胡服騎射(こふくきしゃ)」と呼ばれる騎馬兵による弓矢部隊を編成して、趙軍の軍制改革に成功した名君。

その「武霊王」の時代から趙国に仕えていた学者「龐煖」を、武霊王が亡くなった「紀元前295年」から50年後の「紀元前245年」に、悼襄王は将軍に抜擢しています。

龐煖は悼襄王の期待に応え、燕国の将軍「劇辛」を捕縛し、合従軍(5か国連合軍)を率いて秦国を攻撃。

その強さは本物で、秦国の天下統一の主力となった名将「王翦」ですら、龐煖を避けたと言われているほど。

「王翦」は龐煖が燕国を攻略している隙を狙って、趙国の重要都市「鄴」「閼与」を攻略。龐煖は救援に間に合わず、それ以降、歴史書に登場していません。

おそらく老齢だったため、亡くなったのでしょう。

廉頗を呼び戻そうとして失敗

秦国による圧迫を受けた悼襄王は、他国に亡命していた老将「廉頗」を呼び戻そうと画策します。

使者を送ると、廉頗は大喜び。自分がまだまだ現役で戦えることをアピールしようと、馬に乗りこなして見せたり、数キロの肉を食いつくしてみせたりしています。

八十歳前後の年齢であるにも関わらず、まだまだ戦えることを使者に見せつけたのです。

奸臣「郭開」・・・趙国を滅亡に追いやった内患の名前です。

この郭開は、廉頗と仲が悪かったため、悼襄王に対してこのように報告しました。

「使者との会話の最中、廉頗は三度も失禁いたしました。」

これを聞いた悼襄王は

「廉頗はそれほどまでに年老いたか」

と嘆き、廉頗の召還を諦めます。

廉頗は亡命先の楚国「寿春」で亡くなりますが、最後の言葉は無念に満ち満ちたものでした。

「私はもう一度、趙軍を率いて戦いたい」



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最期

紀元前236年、秦国の名将「王翦」が将軍「桓騎」「楊端和」とともに、趙国の重要都市「鄴」と「閼与」を攻略。

同年。悼襄王は他界しています。

後継者問題・・・・数々の権力者が、その後継者問題に苦しみ続けてきました。優秀な後継者を選択すれば、継承権1位の長男が反乱の種となり、長男を後継者とすれば、優秀な弟たちが反乱の種となる・・・。

悼襄王もまた、その後継者問題に揺れ、趙国滅亡の火種を残して亡くなっていました。

後継者問題・・・趙国の滅亡

悼襄王の後継者となったのは、長男の「公子嘉」ではなく、その弟「幽穆王」。

「幽穆王」は趙国最後の王。

奸臣「郭開」・・・名将「廉頗」の趙国復帰を阻止した奸臣ですが、またしても「郭開」は趙国最後の希望「李牧」を死に追いやる告げ口を「幽穆王」にしています。「李牧」が反乱をたくらんでいると・・。

「幽穆王」は李牧を処刑。李牧とともに戦っていた名将「司馬尚」は逃亡してしまいます。その3か月後、趙国は秦国の猛攻を受けて滅亡。

趙国滅亡後、生き残った「幽穆王」の兄「公子嘉」は、「代」の地へ逃げ延び、代王を名乗ります。その「代」もまた、秦将「王賁」の攻撃により、趙国滅亡の5年後(紀元前223年)に滅亡するのでした。



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暴君どころか、実は名君だった?

人気漫画「キングダム」で、「悼襄王」はとんでもない暴君として描かれています。

「俺が死んだあと、趙がどうなろうが知ったことではない」

キングダムにおける「悼襄王」のセリフです。

しかし、史実における「悼襄王」は、所々に名君としての片鱗を見せている気がします。

悼襄王は「李牧」や「龐煖」のような有能な人物を大抜擢しています。これが趙国滅亡を遅らせたことは明らか。李牧は楚の将軍「項燕」と並んで一時的にでも秦国の侵略を防いでいますし、龐煖は合従軍を率いて秦国へ攻め込んでいます。

しかし、有能なだけではなく、失敗もあります。

王に即位した直後、私怨から名将「廉頗」と「楽乗」を亡命させているのです。

また、奸臣「郭開」の悪意を見抜けず、その罠にハマって名将「廉頗」「李牧」の両名を失うという大失敗も。

これらの失策をから考えると、「名君」とは言い難いですが、李牧・龐煖を抜擢した功績を考えれば「暴君」とも言い難いのではないでしょうか。

後継者に「幽穆王」を指名してしまったこともまた、失策の一つと考えられます。

悼襄王・・・・李牧を採用したことで趙国の滅亡を先送りにしたことは確かですが、後継者選択にしくじってしまったことで、完全に趙国の息の根を止めてしまったのかもしれません。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・悼襄王は、「李牧」や「龐煖」という人材を大抜擢した功績がある

・廉頗や楽乗を亡命させてしまったが、李牧・龐煖の活躍で、一時は秦国を圧迫している

・「悼襄王」・・・名君の片鱗を見せてはいるが、暗君の要素も持ち合わせた人物

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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