マキャベリの「君主論」と並ぶ帝王学の傑作「韓非子」について、作者の「韓非子」とは何者なのかを、わかりやすく解説します。
韓非子とは「現代日本でも読まれている帝王学の作者で、秦の始皇帝がとても尊敬していた思想家」のこと
最期は、兄弟弟子「李斯」の罠で亡くなった。
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この記事を短く言うと
・「韓非子」とは、戦国七雄の一つ「韓」の王族で、「性悪説」を説いた「荀子」の弟子
・韓非子は、始皇帝がとても尊敬した思想家だったが、同門であった「李斯」の罠で亡くなった
・「韓非子」が残した思想は、同じく帝王学であるマキャベリ「君主論」と比べられるが、事例が豊富であることから「韓非子」のほうが優れているのではないか
韓非子とは?実は、あの人の弟子だった
春秋戦国時代を生きた思想家「韓非」
ここでは、「先生」を意味する「子」をつけて「韓非子」と呼ぶこととします。
その著書「韓非子」は、現代でも優れた帝王学として評価されています。
人気漫画「キングダム」にも名前が登場する「韓非子」
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一体どういう人物なのでしょうか?
「韓非子」とは何者?
「韓非子」
春秋戦国時代に「戦国七雄」と呼ばれた七カ国の一つ「韓」の王族。始皇帝の「秦」に滅ぼされた「韓」最期の王「安」は、「韓非子」の兄、または弟とされています。
韓非子は、「吃音」が理由で兄弟や祖国「韓」の王から見下されていた王子でした。しかし文章能力が極めて優れており、文字で書いて説明する能力を開花させたのだとか。
「信賞必罰」・・・・賞することと罰することを公平に行うべし・・・という言葉ですが、韓非子は後に自らの著書で、これが君主に必要不可欠な能力であると力説しています。
韓非子は、最強国「秦」の圧力に苦しみ、滅亡寸前に追い込まれた「韓」を救うべく、帝王学「韓非子」を記し、君主に献上したものの、相手にされず、失意のどん底に沈みます。
しかし、この「韓非子」を極めて高く評価した人物が一人いました
それが後の始皇帝こと「秦王・嬴政」だったのです。
『韓非子』の功績
韓非子の功績を短く解説いたしますと
・後世において「マキャベリ」の「君主論」と並ぶ帝王学「韓非子」を記した
この一つのみでしょう。
韓非子は後の帝王たちのバイブルとして扱われ、現代の日本においても、経営者の教科書として活用されています
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始皇帝はこの帝王学のバイブルを読んで、韓非子に心酔してしまいます。
「著者である韓非子と親しく出来たなら、もう死んでも良い」
とまで、始皇帝は言ったとのことです。
名言
二柄八姦
この「二柄八姦」とは、「韓非子」に記されている言葉です。
「二柄」とは、「君主が人を従わせるためには、『刑』と『賞』の2つが必要不可欠である」ということを意味しています。罪を犯したものには絶対に「刑」を加え、功をたてたものには必ず『賞』を与えなくてはならない。この「刑」と「賞」の権限を、王は手放してはならない。さもなければ、王位は簡単に他人に奪われるだろう・・・というのです。
実際、この「刑」「賞」の内、「刑」を手放した「斉国」の王は、宰相であった「田氏」に王位を奪われています。
「八姦」
これは、君主が外的要因に操られる「八つの害」のことです。この八つの害悪を遠ざけなくてはならないと、韓非子は言っています。
「同床」
君主と同床で過ごす異性が、君主をあらぬ方向へ導くことがあるので、余計な口出しさせないこと
「在傍」
君主の秘書・側近は、君主の判断を謝らせるので、余計なことを言わせない
「父兄」
君主の親戚、その意見を入れてしくじったら、必ず罰すべきこと
「養殃」
豪遊は、君主を怠けさせるので、家来に豪遊を企画させないこと
「民萌」
人気取りに終止してはならない。施しは、君主から行うべきで、家来が勝手に行わないようにすること
「流行」
議論は両方の意見を聞かないと判断がつかない・・・なので、家来たちが口裏合わせを
「威強」
家来が軍事力を後ろ盾に、悪さをしかねない
「四方」
外国が、国内の反乱分子と結託してクーデターを起こしかねないので、外交で油断せず、外国からの筋の通らない要求は、拒絶しなくてはならない
この「二柄八姦」は書籍「韓非子」の序文に過ぎません。
韓非子は自らの著書の中で「法治主義」を唱えています。
法律で縛らなくては、人は必ず罪を犯す・・・と韓非子は考えているのです。それは、韓非子の師「荀子」が唱えた「性悪説」から影響を受けた思想なのかもしれません。
これらを呼んでみると分かると思いますが、韓非子は、「人間というものを全く信じていない」のです。
信じることから過ちは生まれる・・・とまで言っているほどです。
韓非子・・・超現実主義者なのでしょうね・・・マキャベリの「君主論」と同じく、恐怖で人を統制する思想をすすめています。
韓非子の師「荀子」
韓非子は、日本でも有名な「あの人物」の弟子であったことで有名です。
「荀子」・・・・・・「性善説」を唱えた「孟子」とよく対比される人物。
「人の性は悪なり」・・・「性悪説」・・・つまり「人は生まれながら利己的で、悪の素性を持っている」という考えのこと。
韓非子はこの「荀子」のもとで、後の秦国宰相「李斯」とともに学んでいたのです。
韓非子の最期!同門・李斯の罠
韓非子の最期は非常に悲惨なものでした。
韓非子は、その思想を尊敬していた秦王・嬴政のもとへ、韓からの使者としておもむきます。
すると秦王は韓非子を大歓迎。その才能を高く評価し、自らの側近として採用しようとします。
「李斯」
韓非子と同門の法律家で、後の秦国宰相です。彼は韓非子の能力が凄まじいことを知っており、韓非子が採用されれば自らの出世がおぼつかなくなることを確信していました。
そのため、韓非子のことを秦王に讒言・・・。このため、韓非子は投獄され、牢屋の中で李斯から渡された毒薬を服して亡くなってしまいます。
韓非子
その才能を開花させる直前まで行ったにもかかわらず、旧友に阻まれるとは・・・悲運な生涯と言わざるを得ません。
とはいえ、後世のその名を轟かせたのは、罠にはめた「李斯」ではなく、「韓非子」のほうでした。
「韓非子」は、自らの名著を2000年も未来の現代に残し、対する「李斯」は愚かで無残な最期を遂げることとなるのです。
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「韓非子」、マキャベリの「君主論」より優れている?
帝王学「韓非子」は、よく後世にイタリアで誕生した帝王学「君主論」と比較されます。
どちらのほうが優れた代物なのか?
普通に考えれば、1700年も後に誕生した「君主論」のほうが優れていて当然でしょう。
歴史
韓非子が誕生した紀元前3世紀・・・このとき中国大陸の歴史は、既に2000年以上も続いていました。
そのおかげで何が起こったのかというと、豊富な事例に恵まれていたのです。
- 暗君・名君の事例
- 失敗・成功の事例
韓非子を読むと、そういう事例に事欠きません。
書籍は通常、「理論」を記してから、それを解説する「事例」を記して、読者に納得させる書き方がされています。
「韓非子」という本は、この事例がとても豊富・・・その点から言っても、実証研究において勝っていた「韓非子」のほうが、「君主論」より優れているのではないでしょうか。
祖国「韓」が滅びゆくことを憂い、韓王に献上された帝王学「韓非子」
対して、フィレンツェ共和国に仕えた「ピッコロ・マキャベリ」は、主君「ロレンツォ」に対して、祖国を憂いて「君主論」を献上したと言われています。
ともに母国を想い、心血を注いで記された帝王学・・・韓非子もマキャベリも、自らの著書で祖国を救うことは叶いませんでしたが、それでも、その思想は21世紀の現代にも生き続けています。
『韓非子』について、レビュー(評論)!
韓非子
その生涯は、苦難に満ちたものだったでしょう。
吃音のために見下され、それにもめげずに「書」を研究し、帝王学「韓非子」を記すまでに能力を開花させ、始皇帝にも絶賛された思想家に、韓非子は成長します。
諦めてはならない
韓非子の人生を見ていると、そのことを痛感せざるをえません。
もしも韓非子が服毒自殺せず、秦王・嬴政へ言い訳することが出来たなら、聡明な秦王と、頭脳明晰な韓非子の両者の力で、韓非子の冤罪は比較的簡単に証明されたと思います。
先例
実際、処刑直前に、起死回生の大逆転を成し遂げた事例は、古代中国の歴史上いくつもあります。韓非子ほどの人物が、それを知らないはずがないのです。
もしも冤罪が証明されたなら、韓非子は後の始皇帝の師として、始皇帝やその子「扶蘇」に帝王学を教え込み、秦帝国の中央集権体制は更に強化されていたでしょう。
おそらく韓非子は始皇帝の宰相として、後世に名を残していたと思いますし、その手腕を持って、祖国「韓」への優遇政策も実現していたかもしれません。
韓非子を殺害した「李斯」
韓非子を殺したくらいなのだから、完璧な人生を送って、最期は頂点にたったのだろうなぁ・・・と思ったら、宦官「趙高」に騙されて無残な最期を迎えていました・・・。
李斯
そんな結末になるくらいなら、韓非子を長生きさせてあげてほしかったですね・・・。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・韓非子は韓の公子であり、荀子の弟子で、秦国宰相「李斯」の同門
・始皇帝が韓非子を崇拝していたが、李斯の罠にハマり、最期は牢獄で服毒自殺する
・帝王学「韓非子」は、マキャベリの「君主論」より優れているのではないか
以上となります。
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