【キングダム】趙高の生涯と最期!史実での『馬鹿』エピソードが怖い

漫画「キングダム」にも登場した、秦の始皇帝に仕えた宦官(かんがん)の「趙高」。その「生涯と最期」をわかりやすく解説いたします。

「始皇帝の秦国を滅亡させた歴史上最悪の愚か者・趙高」

日本でも使われている言葉「馬鹿(バカ)」という言葉は、この趙高がつくったものだった!


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この記事を短く言うと

・趙高とは、秦の始皇帝に仕えた「宦官(秘書)」であり、秦国を滅亡に追いやった張本人

・趙高は始皇帝に愛されて権力をつかんだが、最期は始皇帝の孫「子嬰(しえい)」に殺害された

・始皇帝は、勉強熱心で働き者の「趙高」を信頼しきっていた


趙高とは?何をした人物なのか?

秦の時代・・・「始皇帝」に使えた宦官「趙高」。宦官とは男性機能を意図的に失った側近のこと。

趙高は、始皇帝に大変気に入られた人物で、始皇帝の末息子「胡亥(こがい)」の守役を勤めた人物。

人気漫画「キングダム」にも、秦王・嬴政(えいせい)の母に仕える側近として登場しています。

 

「断じて行えば鬼神もこれを避く」
趙高が、始皇帝の死の直後、遺言を書き換えて、「胡亥」を無理やり後継者にした際、胡亥を説得するために口にした言葉です。

その後、趙高は二代皇帝「胡亥」の側近として絶大な権力を持つに至り、ついには「胡亥」を殺害。

始皇帝が作り上げた法治国家「秦」を崩壊させ、最期は三代皇帝「子嬰」によって殺害されてしまいました。

その後「秦」は、復興を果たした「楚」の将軍「項羽」によって滅ぼされます。


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「馬鹿」の語源エピソード

秦が反乱軍に滅ぼされる直前、趙高は皇帝「胡亥」に責任を押し付けて、自分は反乱軍から助けてもらおうと考え、胡亥の殺害を企てます。
しかし、趙高に反発する秦の家来たちも多かったため、趙高は彼らの排除を企み、あることを行いました。
ある日、趙高は皇帝「胡亥」の前に、一頭の「鹿」を引いて現れ、「これは馬です」と言い出したのです。
家来たちは「これは馬だ」と主張する者と、「鹿だ」と主張する者に割れます。
このとき、趙高の意見に逆らい「鹿だ」と言った人間は、直後に全員処刑されてしまうのです。
これにより、反対派を一掃した趙高は、胡亥を「悪政によって秦を滅亡の危機に追いやった罪」で処刑。
このエピソードから、「馬鹿」という言葉が生まれたのです。

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生涯と最期

趙高の出自ははっきりしていません。

「趙国」の王族だったという説もありますし、貧しい一家に生まれたとも言われています。

趙高は法律に詳しかったため、法治国家「秦」で重宝されていました。挙げ句の果てには始皇帝に気に入られ、始皇帝がもっとも可愛がった末息子「胡亥」の守役となったのです。

紀元前210年、巡幸先で始皇帝が病死。始皇帝は後継者として、長男「扶蘇」を指名。しかしこの遺言を預かった趙高は、権力欲に負け、自らを信頼し気心が知れた「胡亥」を皇帝とするため、遺言を偽造。

宰相「李斯」を仲間に引き入れ「胡亥」「趙高」たちは、「扶蘇」とその側近「蒙恬」に偽の命令書を送り、自決させます。

その後、胡亥は趙高に騙され、後宮の中で贅沢にふけり、趙高は取り次ぎ役として権力を独占。宰相「李斯」もまた、趙高に処刑されます。

趙高の悪政により、全国で反乱が勃発。

特に、秦将「李信」「蒙恬」を撃破し「王翦」に敗北した楚の大将軍「項燕」の孫「項羽」と、後に皇帝となる「劉邦」は、圧倒的な力を発揮して秦を窮地に追い込みます。

これに恐れを抱いた趙高は、「胡亥」に責任を押し付けて殺害。劉邦に講和を持ちかけますが、相手にされません。

仕方なく三代皇帝に「扶蘇」の子「子嬰」をつけて対抗するも、秦をめちゃくちゃにした趙高を、子嬰は許さずに処刑。

秦は、全国統一からわずか15年で、覇王「項羽」により滅ぼされることとなるのです


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なぜ始皇帝は趙高を信頼してしまったのか?

聡明な君主であるとされる「始皇帝」。その始皇帝がなぜ「趙高」のような奸臣を信じてしまったのか?

始皇帝は、趙高を信頼し、胡亥の守役をさせるだけでなく、自らの秘書として常にそばにおいていたのです。

「もっともよく働くやつが、もっとも裏切るやつ」

独立騒動で話題になった「ビートたけし」さんの言葉です。この言葉、趙高の性格をよく表しています。

趙高は大変に勤勉で、非常によく働く人物でした。そのため、始皇帝は趙高を気に入り、そばにおいて秘書として利用していたのです。

「忠実な人間には、二種類いる。

真に忠実な者と、最期に裏切るために忠実な者」

そんな言葉を聞いたことがありますが、趙高は真に忠実だったわけではありません。

最期に裏切るために、忠実なふりをしていたのです。

まるで・・・豊臣秀吉に忠実なフリをして仕え、最期は豊臣家を滅ぼした徳川家康のように・・・。


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『趙高』について、レビュー(評論)!

もしも趙高がいなかったら・・・・。

そう考えずにはいられません。

趙高がいなかったら、秦はこれほどはやく滅亡しなかったでしょう。

紀元前221年、史上初めて全国を統一した秦は、趙高の悪政が原因で、わずか15年後の紀元前206年に滅亡するのです。

「焚書坑儒」
始皇帝が行った思想弾圧事件です。書物を焼却し、儒学者を埋める。これを行った始皇帝を止めようとしたのが、温和な長子「扶蘇」でした。

扶蘇は始皇帝から英才教育を施されていたため、名君の素質を持っていたのです。

さらに、扶蘇の息子「子嬰」は、趙高を殺害して秦の復興を志し、それが果たされないとわかると、秦の幕引きを請け負う傑物。

始皇帝、扶蘇、子嬰
この3代に皇帝の地位が正しく継承されていたら、少なくとも、秦は反乱軍に敗れることはなかったのではないでしょうか。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・趙高とは、宦官で、始皇帝のお気に入り秘書。そして胡亥の守役だった

・趙高は、始皇帝の遺言を偽造し、後継者「扶蘇」を毒殺。胡亥を後継者として、権力を独占した

・とてつもなく働き者だった「趙高」を、始皇帝は信頼しきっていた

以上となります。

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