キングダム・ラスボスはあの男!王翦・李牧をも上回る戦神・昭王の孫

漫画「キングダム」の「ラスボス」は誰なのか?簡単にわかりやすく解説いたします。

ラスボスは「王翦」や「李牧」以上の天才。

戦神(いくさがみ)と恐れられた名君「昭王」の孫。

史上初めて天下統一を成し遂げた「始皇帝」と同じく「祖国に捨てられた天才」の、哀しくも壮絶な物語。


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この記事を短く言うと

・キングダムのラスボスは「昌平君」

・昌平君は、戦神と呼ばれた秦王「昭王」の孫であり、楚の王「考烈王」の子

・昌平君とともに戦った楚の名将「項燕」は呪われた予言を残した。「たとえ三戸となっても秦を滅ぼすは楚」

・「項燕」が残した予言は、項燕の孫「項羽」によって実現してしまう


「キングダム」のラスボスは、「戦神」の血を引くあの「超天才軍師」

人気漫画「キングダム」。秦の始皇帝による天下統一と、それを支える若き武将「信(李信)」による「天下の大将軍」への軌跡を描くストーリー。

その「キングダム」における「ラスボス」は誰なのでしょうか?

後の始皇帝「嬴政(えいせい)」による天下統一を阻む最期の難関とは?

「昌平君」・・・・・秦国軍の「総司令官」にして、秦国の元宰相「蔡沢」から「猛将・蒙武よりも強い男」と称された傑物。天才軍師「河了貂」の師。

この「昌平君」こそが、キングダムのラスボスなのです。


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史実を見てみると、秦国の天下統一が成し遂げられる際、最後まで残っていたのは「斉国」です。

「昌平君」が王となって率いた「楚」は、「燕」と「斉」の滅亡より前に滅びています。

しかし、大国・楚は、秦国最大のライバル。

秦による楚への侵攻が始まった時、「燕」はすでに滅亡寸前まで追い込まれていました。「斉」もまた、秦国の工作員によって事実上支配されていたため、「楚」が天下統一への最期の難関だったことは明らかです。

「キングダム」にて、合従軍との戦いで、「戦国四君」の一人「春申君」が、こんなことを言っています。

「山陽をとったのは、中華統一への詰(つ)みの一手だった。

これを見破ったのは俺と李牧のみ」

「山陽攻略」という「詰みの一手」を放った昌平君は、「李牧」や「春申君」にも劣らぬ能力がある「名将」ということでしょう・・・・。

そして、その合従軍を討ち果たした戦術をひねり出したのは「昌平君」。

また、合従軍から「斉国」を裏切らせるという外交戦略を立案し、成功させたのも「昌平君」でした。

彼がどれほど優れているかが伺い知れます。

実はこの「昌平君」・・・・有名な「あの王様」の孫なのです。


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「ラスボス」の生い立ちと、裏切りの理由

戦神「昭王(昭襄王)」・・・・「キングダム」において「白起」や「王騎」たち「六大将軍」を率いて、50年以上も王位にいた名君(史実でも名君と言っていい人物でしょう)。

その戦神「昭王」の娘と、「剛腕」と称された楚国の王「考烈王」・・・・その間に生まれたのが「昌平君」でした。

つまり昌平君は、戦神「昭王」の孫であり「考烈王」の息子・・・・秦国と楚国、二つの王族の血を継ぐ人物ということです。

「昌平君」は、楚からの人質として秦国へ送られ、そこで能力を発揮。

「考烈王」の弟であり、自分の叔父でもある「昌文君」とともに秦で活躍し、「相国」という大臣の最高位にまで出世しています。

この頃、昌平君の祖国「楚」は、名将「項燕」を先頭に立てて秦国と交戦。

項燕は、キングダムの主人公「」や「蒙恬」を撃破しています。

一時的に秦の侵略を防いだものの、秦の名将「王翦」の猛攻に項燕は大敗。

昌平君の兄弟である楚王「負芻(ふすう)」を捕縛され、楚は滅亡寸前まで追いやられていました。

この時「昌平君」は、楚の名将「項燕」の求めに応じて、「王」として楚国へ帰還。

自らが大臣を務めていた秦国軍と戦うという、無謀な選択をするのです。

それまでの出世をすべて捨てて、昌平君は滅亡寸前の祖国に、「王」として帰還・・・。

つまり、「秦国」を裏切った・・・と言っても過言ではない行動を選択しているわけですが・・・なぜそんな自殺行為に等しい選択をしたのでしょうか?


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「楚」へ帰還・・・その理由は「秦王・嬴政」への対抗心?

なぜ「亡国の王」として帰還するという、無謀なことを、昌平君はやらかしたのか・・・。

これは筆者の勝手な想像ですが、もしかしたら秦王「嬴政(えいせい)」への対抗心ではないでしょうか。

「嬴政」への対抗心・・・嫉妬心のようなものが、昌平君にはあったのではないでしょうか。

秦王・嬴政・・・のちの始皇帝もまた、実は「昌平君」と似たような生い立ちなのです。

昌平君は、楚から秦へ人質として送られ、いつ殺されてもおかしくないような際どい立場におかれながらも、その能力で頭角を現し、秦の相国に上り詰めました。

秦王・嬴政も、敵国である「趙国」の首都「邯鄲」で産まれ育ち、いつ殺害されてもおかしくない崖っぷちの状態で、少年時代を過ごしています。(とはいえ昌平君は、楚の王族であると同時に秦の王族でもあったので、嬴政とは違い、秦国から大切にされたはず)

そんな嬴政が秦王となり、「天下統一」という、それまで歴史上だれも成し遂げたことがない偉業を成し遂げようとしている・・・。相国にまで登りつめた昌平君など、比べ物にならないほどの偉業・・・天下統一を成し遂げて高みに登りつめようとしている・・・。

もちろん、自らの祖国「楚」が滅亡することに耐えられたかった・・・という事情もあるでしょう。しかしその心底には「嬴政へのライバル心」があったのではないでしょうか。

滅亡寸前の「楚」とはいえ、秦王・嬴政と同じ「王」という立場に立ち、嬴政と対等に戦える・・・そんな状況に、昌平君は心動かされたのかもしれません。


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ラスボスの最期と「呪われた予言」

昌平君が楚へ帰還したとき、「楚国」は見るも無残な状況でした。

名将「項燕」は、秦将「信(李信)」「蒙恬」は撃破したものの、「王翦」に敗北し、首都「陳」は陥落。

残された兵も数は少なく、楚の仇敵「越国」との連合軍を組織して、やっと抵抗を続けるという有り様。

たとえ天才「昌平君」をもってしても、名将「王翦」率いる最強の秦軍による猛攻を止めることは、もはやできなかったのです。

「たとえ三戸となっても、秦を亡ぼすは楚なり」

紀元前223年「蘄(き)の戦い」において壮絶な最期を遂げた「項燕」将軍が、死の間際に放ったとされる言葉です。

直訳すると「たとえ少人数になっても、楚は必ず秦を亡ぼす」という意味になります。

これはつまり

「何が起こっても、どんなことをしてでも必ず楚は、秦を滅ぼしてみせる!」

という怨念の言葉なのです・・・・。


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項燕とともに「昌平君」もまた、「王翦」「蒙武」の攻撃を受けて敗死。昌平君が目指したであろう「打倒・秦王」は儚い夢と散りました。

その無念はどれほどのものだったのか・・・それとも、自らの夢にかけて散ったことに、昌平君は満足していたのか。今となっては誰にもわかりません。

その後、昌平君の故郷「楚」は、秦軍によって踏みにじられることとなります。

昌平君が散った江南の地は、雨が多く豊かな土地・・・そして霧の立ち込める幻想的な地。その土地を、秦軍がどのように扱ったのか・・・想像を絶するものがあります。

 

王翦は「楚国」に続き、江南の「越」を滅ぼします。李信・王賁・蒙恬の活躍もあって「燕」と「斉」も滅亡・・・。

紀元前221年、秦は天下統一を成し遂げ、秦王・嬴政は人類史上初めて「王」を超える称号「皇帝」を名乗って天下に君臨するのです。

しかし・・・秦国の支配は、わずか15年で終わります。

「今に見ていろ・・・・。

そのうち俺が、貴様にとって代わってやる」

天下統一を成し遂げた始皇帝・嬴政・・・・その始皇帝が率いる壮大な行列にひざまずく一人の若武者・・・・彼はこのようにささやき、呪怨に満ち満ちた瞳を始皇帝に向けます。

『項燕が残した怨念』が、自らの間近で蠢(うごめ)いていたことを・・・この時、始皇帝は知りませんでした。


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実現してしまった「項燕の予言」!秦国を滅ぼした「覇王」

紀元前206年、「昌平君」が亡くなり「楚」が滅亡した17年後・・・秦国は「始皇帝」から数えて三代目の秦王「子嬰(しえい)」の代で滅亡します。

秦を滅ぼしたのは、復興を果たした「楚」・・・・項燕の末子「項梁」と、項梁の甥にして項燕の孫「項羽」、この二人の手で「楚」は復興され、始皇帝が亡くなった後の「秦」へ復讐戦を開始したのです。

後に「覇王」を名乗る猛将「項羽」の父親が誰なのか・・・史実では不明です。

しかしおそらく漫画「キングダム」の登場人物「雷轟・項翼」が項羽の父、という設定になるのではないでしょうか。

項燕の息子「項梁」は、秦将「章邯」によって敗死します。

しかし項梁の甥「項羽」は、「軍神」と称されるほどの神がかった戦闘能力を発揮して秦軍を撃破。

楚を滅ぼした名将「王翦」の孫「王離」もまた、項羽に敗北し亡くなっています。

項羽率いる楚軍は、秦の首都「咸陽」を制圧。

項羽は祖父「項燕」の怨念を晴らすかのように「咸陽」を蹂躙します。

始皇帝が建設した壮大な大宮殿「阿房宮」は放火され、その火は三か月も燃え続けたと言われたほどです。


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「いつか貴様にとって代わってやる」

項羽が始皇帝の行列に対して吐いた「怨念」は、こうして実現したのです。

その後、項羽は自ら「西楚(せいそ)の覇王」を名乗って天下統一を目指します。

しかし、「秦国打倒」を目指して共に戦った「劉邦」と「項羽」の間で「楚漢戦争」が勃発。

昌平君の祖国「楚」・・・・現代日本には「楚」の国の名残が残っています。

「四面楚歌(しめんそか)」・・・・・覇王「項羽」が「垓下(がいか)の戦い」で敗死する前夜、四方から項羽の祖国「楚」の歌が聞こえてきたことを指す言葉です。

「楚の国は、すでに私を見捨てたのか・・・」

祖国「楚」が、自分を見放して劉邦に降伏した・・・・・・「項羽」は絶望し、「抜山蓋世(ばつざんがいせい)」という有名な歌を残して出撃。

その直後に、壮絶な戦死をとげます。


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「天が私を亡ぼすのだ」

生涯70以上の戦いすべてに勝利してきた、中国史上でも一二を争うほどの強さを誇る軍神「項羽」・・・最期はライバル「劉邦」に敗れたことをあくまでも認めず、『劉邦に負けたのではなく天の意志によって滅びるのだ』、と宣言し壮絶に戦死。

奇しくも項羽が亡くなった「烏江(うこう)の渡し」は、「昌平君」が亡くなった江南・江東への入り口でした・・・。

項羽が成し遂げた「秦国打倒」は、それまで昌平君が作り上げた秦国の仕組みを破壊するものでした。それは、昌平君が望んだことだったのか・・・。

項羽の破壊衝動・・・秦国を粉々に打ち砕き、昌平君の故郷「楚」をも滅亡へと導き・・・・。

項羽のすさまじい破壊行為は、「秦」と「楚」の両国に生きた証を残した昌平君の遺功を踏み潰すものだったのかもしれません。

昌平君の祖国「楚」は、覇王「項羽」の力により、一瞬の輝きを伴って復活したものの、脆くも崩れ去ったのでした。


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「ラスボス」の末裔は、今も生きているのか?

昌平君の子孫は、存在しているのでしょうか?

結論から言ってしまうと、末裔がいるかどうかは不明です。

しかし、昌平君と同じく「楚」王族の血を引く人物は、後世に登場しています。

その名は「羋心(びしん)」・・・後に「義帝」と呼ばれる皇帝の位についた人物。

「義」とは、「仮」を意味する言葉・・・つまり「義帝」とは「仮の皇帝」を意味する称号です。

「昌平君」の曽祖父「懐王」。この「懐王」の孫の孫「羋心(びしん)」が、後に「項梁」や「項羽」に担ぎ出され、「楚」の王として祭り上げられます。

「義帝」こと「羋心」は、項羽によって「義帝」を名乗らされますが、秦国を滅ぼして天下統一を目指す項羽により、邪魔者扱いされて誅殺されます。

主君を殺した項羽・・・その仇を討つという名目で、劉邦は項羽を滅ぼして天下統一を達成し「前漢」を建国。

この「義帝」には子供がいなかったため、子孫は残っていません。

その後、楚の王族は歴史から消えていくこととなるのです。


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読み切りマンガ「蒙武と楚子」

「俺は父に、国に捨てられた・・。

俺だって、歴史に名を馳せる英雄になりたかったのに・・・」

これは「キングダム」の作者「原泰久」による読み切り短編集「蒙武と楚子」における「昌平君」の言葉です。

秦国へ人質として送られた昌平君は、見捨てられた絶望に打ちのめされていました。

これを聞いた昌平君のライバルにして友である、若き「蒙武」は、こう言い放ちます。

「お前は終わってなんかいない!

国に捨てられたんなら、お前も国を捨てればいいじゃねぇか!

今立っているここ(秦)で一旗あげればいいじゃねぇか!

己の野望を掲げて爆進する!

それが戦国に夢を描く益荒男(ますらお)ってやつだろうが!」

昌平君を励ますように叫ぶ蒙武

そしてその手をつかみ立ち上がる昌平君。

「ともに将軍となって一旗揚げるぞ!

そして二人の名を天下に轟かせるんだ」

「キングダム」の主人公「信」と「漂」が交わした「天下の大将軍になる」という夢を、「蒙武」と「昌平君」の二人もまた交わしていたのでした。

しかし、将軍より上の大臣にまで上り詰めた昌平君は、祖国「楚」への想いを捨てきれませんでした。

昌平君は、秦王・嬴政からの「楚攻略のための作戦を立案せよ」という命令に従えず、秦から逃亡・・・祖国へ帰還し、兄である楚王「負芻」の後を継いで楚王となります。

天才・昌平君の奮戦虚しく、王翦と蒙武による楚国侵攻で、楚は滅亡。


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「降伏はしない。

そんなナヨ坊ちゃんは、お前の友『楚子』ではない」

最期の戦いにおいて、楚王「昌平君」は、敵となってしまった親友・蒙武に、こう言い放ちます。

「お前は馬鹿だ!!!」

絶叫する蒙武の手で、昌平君は壮絶な最期を遂げるのでした。

自らを立ち上がらせてくれた友に対して、笑顔で放った最期の言葉

「降伏はしない。

そんなナヨ坊っちゃんは・・・お前の友『楚子』ではない」

それは、自らに活きる命を注ぎ込んでくれた友「蒙武」への礼だったのでしょう。

「俺は強くなった・・・お前(蒙武)のおかげで」

そんな言葉が聞こえてきそうになる、昌平君の最期でした・・・。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・人気漫画「キングダム」のラスボスは、秦国の軍総司令官「昌平君」

・昌平君は、楚の大将軍「項燕」とともに秦国軍と戦うものの、紀元前223年に敗死している

・秦国は、紀元前206年に、項燕の孫「項羽」によって滅ぼされることとなる

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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