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【キングダム】藺相如の生涯と強さがスゴイ!廉頗との刎頸の交わりとは

人気マンガ「キングダム」に登場する趙国「三大天」の1人「藺相如(りんしょうじょ)」の活躍を、わかりやすく解説いたします。

趙国の宰相「藺相如」

「キングダム」では、「廉頗」「趙奢」と並び、「白起」や「王騎」と渡りあった名将のように描かれています。

しかし、史実における「藺相如」は、決して武将ではなく、交渉事を得意とする「説客」、つまり「弁舌家」なのです。

「キングダム」の「第597話」で、藺相如は「2度」、戦神と呼ばれた「昭王」と会っている・・・と言われていました。

その「2度」、昭王と会ったエピソード「完璧」と「黽池(べんち)の会」について、簡単に解説いたします。


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この記事を短く言うと

  1. 人気マンガ「キングダム」で「藺相如」はまるで「歴戦の武将」のように描かれているが、史実では「説客」「弁舌家」つまり、交渉などが得意な人物だった
  2. 藺相如は「完璧」「べんちの会」で、二度「秦の昭王(昭襄王)」と会見している。二度とも、藺相如はその「弁舌」で秦国から趙国の威信を守った
  3. 「完璧」「べんちの会」で最高位の大臣に出世した「藺相如」。名将「廉頗」と仲が悪かったが、その後和解し「刎頸(ふんけい)の交わり」と呼ばれるほどの関係を結ぶことになる

藺相如の活躍を「キングダム」と「史実」で比較してみた

人気マンガ「キングダム」に登場する趙国の3名の大将軍「三大天」。

その「三大天」で、「廉頗」「趙奢」とともに登場するのが「藺相如(りんしょうじょ)」です。キングダムでは、「白起」たち「六大将軍」と互角に戦った・・・・ということになっています。

しかし史実において「藺相如」は、軍をひきいて連戦連勝というような「軍人」「将軍」「武人」ではありません。

確かに「軍」をひきいて戦ったことはあったようですが、戦いよりもむしろ「口」や「言葉」で相手を翻弄し、外交で国を守る「弁舌家」でした。

舌先三寸で相手を翻弄する弁舌家。

のちに「刎頸(ふんけい)の交わり」と呼ばれる「盟友」となる「廉頗」からも、「藺相如」は当初「口先だけの男」とみられて嫌われていたのです。



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史実における藺相如のエピソード!「完璧」「黽池(べんち)の会」

「キングダム」の「597話」において、「藺相如」が六大将軍の一人「王騎」と会話しているシーンがありました。そこで

「藺相如は2度ほど、昭王(昭襄王)と会っている」

と言われていました。

その「2度」会ったというのが、これから解説する「完璧」の逸話と、「黽池(べんち)の会」での逸話です。

この2つの逸話を、超簡単に解説いたします。



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「完璧」

紀元前284年、名将「楽毅」が「合従軍」と呼ばれる「燕・趙・魏・韓・秦」の5カ国連合軍をひきいて、「秦」と並ぶ最強国「斉」を滅亡寸前にまで追いやりました。

趙国からも「廉頗」がひきいる部隊が「合従軍」に参加していたと考えられています。

しかし、「戦国七雄」と呼ばれる列強諸国のなかで、唯一その合従軍に参加しなかったのが「楚」です。

このため、外交で孤立してしまった「楚」は「和氏の壁(かしのへき)」と呼ばれる円盤のような形の宝石を「趙国」へ贈って関係改善を目指しました。

この「和氏の壁」とは、「卞和(べんか)」という人物が見つけた宝玉だったため、その名を取って「和氏の璧」と呼ばれたのです。

 

趙国に、有名な「和氏の璧」があると知った秦国の「昭襄王(昭王)」は、「15の城と和氏の璧を交換したい」と持ちかけます。

趙国では

『「和氏の璧」を渡したところで、15もの城をもらえるはずがない。これは罠だ』

と考えられていました。

しかし、「和氏の璧」を渡さないといえば、最強国「秦」の昭襄王が、それを口実にして趙国へ攻め込んでくることは明らかでした。

「和氏の璧」を守り、戦争をも食い止める・・・・。

そんなことが出来る人物を、趙国の王「恵文王」は探していたのでした。



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この時、趙国の「繆賢(びゅうけん)」という人物の家に「藺相如(りんしょうじょ)」という人が住み込みで働いていたのです。

「繆賢」にすすめられて、藺相如を採用した恵文王は、彼に「和氏の璧」を渡し、秦国へと送り出します。

藺相如は、「昭襄王」と謁見。

「昭襄王」は「和氏の璧」を受け取ると、部下に見せびらかしてばかりで、一向に「15の城」の話をしません。

藺相如は「昭襄王は和氏の璧を奪うことが目的で、やはり15の城など渡すつもりがない」ことを確信します。

昭襄王の手から、スキを突いて「和氏の璧」を奪い取った藺相如は

「15の城を渡さないのなら、和氏の璧を破壊して、私もここで死ぬ」

と昭襄王を脅迫。

驚いた昭襄王は、「15の城」を譲渡すると約束。それを聞いた藺相如は「和氏の璧」をもっていったん宿舎へと戻ります。



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その夜のうちに「和氏の璧」を趙国へ送り返した藺相如は、翌日ふたたび昭襄王と謁見。

その場で、「和氏の壁」を趙国へ送ってしまったこと、「和氏の璧」がほしいなら先に「15の城」を渡してほしい、ということを昭襄王へ要求。

激怒した昭襄王でしたが、ここで「藺相如」を殺害しても、「趙国」を敵に回すのみで、利益はないと判断。

無事に帰国した藺相如は、趙の恵文王から激賞を受けます。

住み込みの家来でしかなかった藺相如は、一気に趙国の大臣に出世。

「和氏の璧」を完全な形で持ち帰ったこの逸話がもととなり、「完璧」という言葉が生まれたのでした。

ちなみにこのとき、「藺相如」は自分を殺さずに助けてくれた「昭襄王」の度量に感動したらしく、その後「趙」と「秦」の間を取り持つ努力を重ねることとなります。



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黽池(べんち)の会

紀元前279年、「和氏の璧」の騒動から5年。

藺相如の努力も虚しく、秦は名将「白起」を使って、趙国を攻撃し続けていました。

ある日、秦の昭襄王は

「趙王・恵文王」と、講和について話し合いたいので、秦国の領地である「黽池」で会談したい」

と申し入れて来ました。

秦国に弱みを見せられなかった趙国は、危険であるにもかかわらず、「黽池」へと赴きます。

「廉頗」を趙国の守備に残し、趙国の恵文王は「藺相如」をともに連れて出発。

「黽池」で秦国の昭襄王と、趙国の恵文王が会談することとなったのです。

昭襄王は、酒を飲みながら恵文王に言います。

「聞くところによると趙王は『琴』が得意だとか。私のためにひいてくれないか」

一国の王にむかって、「自分のために音楽をかなでろ」とは、とてつもなく非礼なことでした。

しかし、強国「秦」を恐れた恵文王は、琴をかなでます。

即座に秦国の記録係が「秦の昭襄王が、趙の恵文王に琴を弾かせた」と記録。

この記録は、趙国にとって屈辱的でした。

藺相如は、即座に昭襄王にやり返します。

「どうかわが王のために、太鼓を打っていただきたい」

激怒した昭襄王はこれを断るものの、藺相如が脅しをかけます。

「私と昭襄王のあいだにある距離は、わずか5歩。ここで私の首を斬り、その血を器に注ぎましょうか」

これは、強烈な脅しでした。



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この言葉の裏に隠された意味は、つまり

「太鼓を叩け。さもなければ、あなたの首を斬り裂く。私とあなたの距離は5歩。逃しはしない」

ということでした。

強烈な気迫を感じた昭襄王は、太鼓を一度叩きます。

即座に趙国の記録係が

「趙の恵文王が、秦の昭襄王に太鼓を叩かせた」

と記録。

この後も、秦国は事あるごとに「趙国」に無理難題をふっかけ続けます。

「趙国は、昭襄王の長寿を祝って15城を献上してはどうかな」

対して藺相如は

「秦国こそ、恵文王の長寿を祝って、秦国の首都『咸陽』を献上してはいかがかな」

などなど。

この会談が終わるまで、藺相如は弱みをみせることなく、趙の威信を守り通したのでした。

無事に帰国した「恵文王」は、藺相如の活躍を喜び、国内で最高の位を贈ります。

これにより、藺相如は、名将「廉頗」を上回る位につくこととなったのです。



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名将・廉頗との関係!「刎頸(ふんけい)の交わり」

口先だけで自分より上の位についた「藺相如」。

叩き上げの軍人「廉頗」は、それが面白くありませんでした。

そのため、口々に「藺相如」の悪口を言いふらし続けたのです。

これ以後、「藺相如」は「廉頗」を避けるようになります。

ある日、道でいきあった「廉頗」の馬車と「藺相如」の馬車。

藺相如は、馬車を後退させて、廉頗から逃げるようにして隠れたのでした。

この様子をみていた藺相如の家来たちは、あまりの情けなさに「辞職したい」と藺相如に申し出ます。

この家来たちに対して、藺相如は一つの質問をしました

「お前たちは、秦国の昭襄王と、廉頗将軍とどちらのほうが恐ろしいか?」

誰もが「昭襄王のほうが恐ろしい」と応えました。

当然です。

最強国「秦」の昭襄王のほうが、圧倒的な力をもっているのですから。



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「最強国である秦が今、我が趙国を滅ぼせないのは、私と廉頗将軍がいるからだ。

今ここで、私と廉頗将軍が争ったら、喜ぶのは秦国の昭襄王だろう。

そうならないように、私は廉頗将軍を避けたのだ。

何より大切なのは『趙国の安全』であることを、どうかわかってほしい」

納得した家来たちは、そのことを口々に噂し始めます。

その噂を耳にした廉頗は、突然「藺相如」の家を訪問。

上半身裸になったかと思うと、もっていた「いばらのムチ」を藺相如にわたして言います。

「私は愚かにも、あなたが趙国の未来を思って私との争いを避け続けたことを知らなかった。

どうかこのムチで、私を罰してほしい」

上半身裸になるということは、つまり日本で言うところの「土下座」。

驚いた藺相如は、廉頗に服を着せて言います。

「廉頗将軍あっての趙国なのです。」

これに応える廉頗

「あなたのためなら、私はこの頸(くび)を刎(は)ねられても、悔いはない」

藺相如も応えます

「私も将軍のためなら、喜んでこの頸(くび)を差し出しましょう」



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2人はその後「刎頸(ふんけい)の交わり」と呼ばれるほど、強い絆で結ばれ、趙国のもうひとりの名将「趙奢」とともに最強国「秦」の「昭襄王」に立ち向かったのでした。

紀元前270年」、廉頗は45万の大軍団をひきいて昭襄王の部下「王齕(おうこつ)」「白起」がひきいる秦軍と「長平」という地で激突。

恵文王の子「孝成王」は、秦国の策略にハマり、「廉頗」を左遷。

代わりに「趙奢」の息子で愚将の「趙括(ちょうかつ)」を「長平の戦い」の総大将に任命します。

病気で瀕死の藺相如は、「廉頗」の左遷を思いとどまるように、必死に孝成王を説得。

しかし藺相如の努力もむなしく、趙括と45万の趙軍は、「長平の戦い」で「白起」によって全滅します。

藺相如は、この「長平の戦い」の直後、「紀元前270年」のあたりで病死。

廉頗はその後、「孝成王」や「悼襄王」と続く暗君に愛想を尽かして、魏・楚へ亡命。

楚の「寿春」という城で亡くなっています。



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『藺相如』について「ひとこと」言いたい!

藺相如は、確かに「弁舌家」でした。

廉頗のように「軍を自在に操って戦う」いわゆる「名将」ではありません。

「藺相如」は軍をひきいて戦った経験もあるものの、廉頗や趙奢ほどの功績は残せていません。

しかし、藺相如のような「弁舌家」は、その交渉力をもって、常にすさまじい結果を出し続けてきた歴史があります。

 

「秦」が滅亡したあと、のちの「漢」という国の皇帝「劉邦」が、覇王「項羽」と天下を争った「楚漢戦争」。

その楚漢戦争で活躍した弁舌家が「酈食其(れきいき)」です。

紀元前203年」、藺相如が亡くなってから約60数年後、「酈食其」は劉邦の命令で、「斉」という国を味方につけるべく、説得へおもむきます。

酈食其は、馬車の車輪に手をかけて休みながら、得意の「弁舌」を駆使して「斉」の王を説得。

強国「斉」を味方につけることに成功したのです。



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同時期に各地を転戦していた名将「韓信」は、これまで「50」以上の城を攻略していました。

それに対して「酈食其」は、口先だけで、一瞬にして「斉国」の「70」以上の城を降伏させたのでした。

ただ、あまりにもあっさりと大きな功績を叩き出した酈食其は、廉頗にねたまれた藺相如と同じく、ライバル「韓信」から妬(ねた)みをうけることとなります。

一瞬で自分より多くの城を降伏させた「酈食其」を危険視した韓信は、自分の主である「劉邦」に降伏した「斉国」へ、降伏したにもかかわらず攻撃を開始。

約束が違うと、怒った「斉王」に、酈食其は煮殺されるてしまうのです。

口先で敵を味方につける「調略」を得意とした武将・・・日本では「豊臣秀吉」が「藺相如」や「酈食其」と似たタイプかも知れません。

秀吉も、「柴田勝家」ら歴戦の猛者タイプの人たちに「ねたまれた」といいますからね。

楽をして結果を出しているように思われると、今も昔も人の妬みを買うものなのでしょう。

しかし「藺相如」の功績は、「弁舌」のみならず、類まれな「勇気」によってなしとげられたものなのではないでしょうか。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 人気マンガ「キングダム」で、「藺相如」は将軍であるかのように描かれているが、実際には「交渉」などを得意とする弁舌家だった
  2. 藺相如は「完璧」「べんちの会」で、2度「昭襄王」と会っている。2度とも、藺相如は趙国の威信を守り通している
  3. 藺相如は「廉頗」と不仲だったが、和解し「刎頸の交わり」と呼ばれるほどの盟友となっている

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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