【白起とは】その評価と能力がスゴイ!『キングダム』最強将軍の最期

始皇帝が産まれる前、秦国で活躍した空前絶後の名将「白起」の功績と最期を、簡単にわかりやすく解説いたします。

人気漫画「キングダム」にも登場した「白起」

生涯に「100万」以上の敵兵を倒した名将は、始皇帝の曽祖父「昭王(昭襄王)」の命令で自殺していた!


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この記事を短く言うと

・名将「白起」と宰相「魏冄(ぎぜん)」のコンビが、後の「秦の始皇帝」による天下統一の土台をかためた

・白起・・・生涯に100万人近い敵兵を撃破した。「長平の戦い」では「45万人」もの趙軍を殺害した名将。

・亡くなる直前、白起は数々の虐殺を公開したような発言をしている。その上、長平の戦いでは、少年兵を助けている


《空前絶後の名将「白起」・・その評価がスゴイ!》

春秋戦国時代、後に天下統一を成し遂げる強国「秦」を中心に、「戦国七雄」と呼ばれる七カ国が戦争を繰り広げていた時代。

一人の名将が「秦」に登場し、残りの六国を震撼させます。

その名は「白起」・・・またの名を「公孫起」。

人気漫画「キングダム」にも、「六大将軍・筆頭」として登場する名将です。

 

「公孫」とは、王の孫という意味であるため、もしかしたら「白起」は、秦王族の末裔だったのかもしれません。

≪白起≫
「引用元ウィキペディアより」

白起
歴史書「史記」を記した大政治家「司馬遷」は白起について、このように評しています。

「敵の能力を正確に分析して巧みに戦い方を変化させ、無限に奇策を繰り出した。

白起の威は、まさに天下を震撼させたのだ」

「無限の奇策」
武将に対して最高評価をしていると言って良いでしょう。

司馬遷は「史記」の中で白起について、秦の天下統一を実現させた名将「王翦」と並び、「白起・王翦列伝」という一つの伝を記しています。

王翦と並び評価された「白起」は生涯において、相当な数の敵兵を撃破しています。


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「白起」の戦績

紀元前293年、韓・魏国を「伊闕の戦い」で撃破。24万人の敵兵を斬首・5つの城を陥落。

紀元前292年、魏国を攻略し、61の城を陥落させた

紀元前278年、「鄢郢の戦い」で楚国を攻略し、楚の首都を攻略。

紀元前273年、「華陽の戦い」で「韓」「魏」「趙」の連合軍と戦い、13万人を斬首。

同年、趙軍と戦い、敵兵2万を黄河に沈める。

紀元前264年、「陘城の戦い」で韓を攻略。5万人を斬首。5つの城を陥落させる。

紀元前260年、「長平の戦い」で趙軍を撃破。名将「趙奢」の子「趙括」を倒し、25万の趙軍を倒し、20万の趙兵を生き埋めにした


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上記の結果だけを見ても、白起は合計で「89万人」もの敵兵を殺害しているのです。おそらく、記録に残っていない人数を含めると、白起が倒した敵兵の数は「100万人以上」となるでしょう。

名将「白起」を見出したのは、「秦」の「昭襄王始皇帝の曽祖父)」に仕えた宰相「魏冄(ぎぜん)」・・・昭襄王の叔父(母の弟)にあたる人物です。

この名将「白起」と、白起を使いこなす名宰相「魏冄」のコンビが、秦国の力を一気に拡張させたのです。

これにより、後に登場する「始皇帝」こと秦王「嬴政」による「天下統一」への土台が作られたのです。


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《白起の能力と実績!「長平の戦い」で45万人生き埋め!》

紀元前262年、秦は強国「趙」と開戦。秦軍を率いたのは「王齕(おうこつ)」。趙軍を率いたのは名将「廉頗

秦軍と三度戦い、数が少ない秦軍に三度とも敗北した廉頗は、「長平城」に入城して防御を固め持久戦に・・。

「戦・守・逃・降・死」・・・三国時代、魏国の名将「司馬懿」が、燕王・公孫淵を倒した際に、口にした言葉です。

「戦っても勝てないなら守れ

守れないなら逃げろ

逃げられないなら降伏せよ

降伏できなければ死あるのみ」

廉頗は、秦軍よりも多い45万の軍を率いていましたが、攻めても勝てないことを悟り、「城壁」の防御力を利用して「守備」に徹したのです。


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名将「廉頗」の防衛策に困った秦・昭襄王は、名将「白起」に打開策を尋ねます。

白起はこう答えます。

名将「廉頗」相手では勝ち目がない・・・名将「趙奢」の子で、天才と呼ばれていたが経験不足の「趙括」なら勝ち目がある

「趙奢」とは、かつて「閼与(あつよ)の戦い」で秦軍を撃破し、廉頗や藺相如と並ぶ名声を誇る名将。

その息子「趙括」は、父を論破するほど兵法を知り尽くした天才でしたが、実戦には向かないとして、父から全く評価されない「机上の空論」を弄ぶだけの愚将でした。

「秦軍は廉頗を恐れていない。

むしろ、名将『趙括』を恐れている」

大軍を率いておきながら消極策をとる廉頗に、趙国では不満が高まっていました。その上、趙括を恐れているという噂・・・。この噂は、「魏冄」の後任の宰相「范雎(はんしょ)」が流したもの。

これを知った趙王「孝成王」は、指揮官を「廉頗」から「趙括」に交代。宰相「藺相如」や趙括の母がこれに反対するも、廉頗は更迭されてしまいます。

秦国は密かに名将「白起」を長平に送り込み、秦軍総大将に任命。

前任者「王齕」は、副将として「白起」を補佐。

紀元前260年、白起は巧みに趙軍を分断、包囲。兵法書を丸暗記していただけの「趙奢」は、応用が全く無かったため、模範解答のような攻撃を繰り返し、かえって予測しやすかったと言われています。

食料補給路を断たれた趙軍は、25万の兵を失い、残り20万の兵も降伏。

しかし捕虜20万の食料を確保できないと判断した白起は、「20万」の兵を生き埋めにし処刑。

この長平の戦いにより、趙国の国力は一気に衰退。「長平の戦い」から32年後の「紀元前228年」、名将「李牧」「司馬尚」の必死の防戦も虚しく「滅亡するのでした。

そしてこのすさまじい戦果が、かえって白起を死に至らしめることとなるのです。


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《白起の最期!天才将軍の心に秘められた真実》

長平の戦いで趙国を滅亡寸前に追い込んだ白起。この大手柄を苦々しく見ていた人物がいました。

宰相「范雎」です。范雎は白起を見出した「魏冄」の後任者。その魏冄を追放処分にした張本人。白起にとって「魏冄」は恩人。その魏冄を追放したことで、范雎は白起と折り合いが悪く、そのため白起の功績を喜べなかったのです。

昭襄王・・・・50年もの間、秦国の王位にいたものの、昭襄王はあまりにも素直過ぎて、家来たちの意見を聞きすぎるという特徴がありました。

趙の首都「邯鄲」・・・・白起は、長平の戦いで勝利した勢いのまま「邯鄲」を陥落させるべきと進言。しかし范雎は白起の功績を恐れ、昭襄王にすすめて趙国と講和。

翌年、昭襄王は再び「邯鄲」を包囲。総大将は「王陵」・・白起は病気と称して出仕を拒否。

この戦いは、趙国では「戦国四君」の一人「平原君」の必死の防戦と、魏の「信陵君」、楚の「春申君」の援軍により、秦軍敗北。

昭襄王は白起に総大将を命じましたが、「長平の戦い」直後の「邯鄲包囲」を退けられた怒りから、命令に従わず。

激怒した昭襄王は、白起に剣を贈り、自決を指示。

自決のための剣を受け取った白起は、「なぜ自分が死ななくてはならないのか?」と自問。当時の人は、なぜ自分が自滅の運命を避けられなかったのかを、死の直前によく自問自答しています。始皇帝に仕えた名将「蒙恬」も、毒をあおる前に「万里の長城を建設して地脈を断ったことで、天罰を招いた」と言っています。

白起はこう言ったと伝えられています。

「長平の戦いで、趙軍20万人を生き埋めにした・・・。

この罪が原因で、天は私を裁こうとしているのだろう

私は死ななくてはならない。

敵兵とはいえ、20万もの人間を生き埋めにした。

私は天を怒らせる大罪を犯しているのだ」

名将「白起」は自刃。


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100万人近くの敵兵を葬ってきた白起。その心には、趙兵を無残にも生き埋めにして処刑した「自責の念」があったのです。

実は白起、この「長平での生き埋め」に際して、「240名」の少年兵だけは命を助け、趙へ帰国させています。

おそらく、白起はこの20万人の趙軍をなんとか助けようとしたのでしょう。

食料確保が出来ず、また、捕虜にして帰国したとしても反乱のリスクもあります。それが叶わず、白起は苦しんだのかもしれません。

100万の敵兵を葬った名将「白起」・・・・その心には、武将に似合わず優しさが満ちていたのかもしれません。


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《『白起』について、レビュー(評論)!》

白起・・・・もしも白起が生きていたらと考えずにはいられません。

もしも白起が死なずに、「范雎」という戦略に優れた名宰相とタッグを組んでいたら、秦国は「始皇帝」の登場を待たずして「昭襄王」の時代に天下統一を成し遂げていたかもしれません。

楽毅」・・・・紀元前284年、弱小国「燕」の武将。秦と並ぶ最強国「斉」を滅亡寸前まで追い込んだ、白起と同じ時代を生きた名将です。

秦に唯一対抗できる強国「斉」が楽毅によって衰退し、それに次ぐ強国「趙」が「長平の戦い」で衰退。

秦国は既に最強国の地位を固めていたのです。そこに名将「白起」がいたら・・・。

白起は「昭襄王」の怒りをかい、自決させられました。実は楽毅も、主君「昭王」のあとを継いだ「惠王」に殺害されそうになっているのです。


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白起は素直に自決しましたが、楽毅は暗君「恵王」の命令に背いて他国へ亡命。

命令に背いて亡命した理由を、楽毅は後に「自分を重用してくれた昭王の名を汚さないため」と言っています。

白起を殺害してしまったことで、昭襄王の評判はそれほどよくありません。楽毅を重用した「燕の昭王」は名君として歴史に名を残し、その子「惠王」は暗君とはされているものの、楽毅を死なせるという大失態だけは回避しています。

もしも白起がこのとき、自決命令を無視して他国へ亡命していたら・・・。

いつの日にか昭襄王の誤解も解けて、将軍として復権を果たすことも出来たでしょう。

「政治力」・・・・白起に欠けていて楽毅に備わっていたもの・・・。その政治力が白起になかったことが悔やまれます。


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「孟嘗君」が宰相だったら

白起を見出した宰相「魏冄」・・・あまりに長く宰相の位にいたため、権力を独占しすぎて范雎と昭襄王に退けられた人物。

この魏冄の後継者として内定していたのが、戦国四君の一人「孟嘗君」でした。

孟嘗君は昭襄王から宰相として迎えられたものの、側近の讒言を受けた昭襄王に殺害されそうになります。その後孟嘗君は、「鶏鳴狗盗」の語源となった食客たちの活躍により秦の国門「函谷関」から脱出。

結局「魏冄」の後継者は「范雎」となったのでした。

作家「宮城谷昌光」さんの作品「孟嘗君」の中で、この孟嘗君の逃亡劇は「魏冄」の留守中に起こったこととなっています。

小説の中で、「孟嘗君」が逃げ去ったことを知った魏冄は愕然として、こうつぶやいたとされています。

「これで秦の天下は50年遅れる」

范雎は、昭襄王に「遠交近攻策」を推薦して、秦国の国土を広げた功労者とされています。

しかし、それ以上に「白起」を排除してしまったのは痛かったかもしれません。

もしも孟嘗君が秦の宰相だったら・・・・・。歴史はどうなっていたのでしょう。宮城谷昌光さんの小説が言う通り、50年早く天下を支配していたのでしょうか。

ちなみに「范雎」の後任として宰相となったのは、漫画「キングダム」にも登場する「蔡沢」。蔡沢の引退勧告を素直にきいた范雎は、鮮やかに引退したため、魏冄のように追放されるような終わり方をせずにすんでいます。


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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・白起とは、秦の宰相「魏冄」に見出され「昭襄王」に仕えた名将

・白起は生涯に100万近い敵兵を討伐している

・最期は「昭襄王」に自決を命じられて亡くなった

・長平の戦いで、趙軍を生き埋めにして処刑したことを、死ぬまで後悔していた

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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