人気まんが・キングダムに登場する秦の始皇帝・贏政(えいせい)と、その親友である武将・信こと李信将軍
漫画のなかでは、秦王と武将、王と臣下という関係でありながら、ふたりは友人として描かれています。
史実でも、ふたりは親友だったのでしょうか?
そしてキングダムで、六大将軍のひとりとして、名将あつかいされている王騎。
王騎は史実では、かなり無能な将軍だったとのうわさがあります。
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この記事を短く言うと
李信将軍と始皇帝は、親友だった?
まんが・キングダムでは、のちに始皇帝となる秦王・贏政(えいせい)と、のちの大将軍・李信は、おたがいに呼びすてで呼びあう親友として描かれています。
結論からいうと、李信と始皇帝は、けっして親友ではありません。
なぜなら当時、王と臣下が対等に話せるなんて、ありえないことだからです。
実際には、秦王に謁見、つまり李信が嬴政と顔をあわせたことすらも、生涯で数回しかなかったのではないでしょうか。
嬴政と李信のふたりが親友である可能性は、かなり低いとおもいます。
しかも始皇帝は後世において、虎狼のような性格、とうわさされるほど残忍な性格だったといわれています。
歴史書の内容すべてが真実ではないかもしれませんが
- 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ・儒学者の弾圧)
- 趙国での虐殺
始皇帝がおこなったというこれらの行為をみれば、始皇帝が残酷な人間であることが、よくわかります。
そんな始皇帝が、部下からのタメ口をゆるすでしょうか?
ありえないと思います。
とはいえ始皇帝が李信を、かなり信頼していたことだけはたしかです。
キングダムで、首切り桓騎、とよばれている桓騎将軍の末路とくらべると、李信がどれほど信頼されていたかがよくわかります。
始皇帝は李信をとても信頼していた
始皇帝は、李信が楚国の大将軍・項燕に大敗北をしても、けっして処刑したりしたりせず、将軍として起用し続けています。
つまり始皇帝は李信を気に入っていたようなのです。
それに対して桓騎はというと、史実では、趙国の李牧将軍に大敗北して、身分を庶民に落とされています。
(李牧に敗北して戦死したという説もあります。一説によると、このあと桓騎は秦王をうらみ、樊於期[はんおき]と名前をかえて燕国へ行き、太子・丹や暗殺者・荊軻[けいか]とともに、始皇帝暗殺を実行する事になっている。キングダムには樊於期という将軍が、桓騎とは別に登場している。そのためキングダムでは、桓騎=樊於期という説は採用されないだろう)
敗北=処刑または追放、というのが始皇帝のやり方のようです。
しかし李信は大敗北をしても、追放も処刑もされていません。
李信は楚国の大将軍・項燕に、歴史的な大敗北をしてしまったにもかかわらず、そのあとも将軍として重用されています。
李信はなんとその後、斉国を滅ぼすという大きな功績をあげているのです。
李信は桓騎とちがって、始皇帝から信頼されていたからこそ、敗北しても処刑されなかったのでしょう。
李信は始皇帝の友人を殺害していた!
李信将軍ですが、じつは始皇帝の数少ない友人である丹(たん)という人物を倒しているのです。
始皇帝を暗殺しようとした暗殺者・荊軻(けいか)をご存知でしょうか?
その暗殺者・荊軻をはなった黒幕が、燕国の太子だった丹(たん)という人です。(太子とは、王位継承順位第1位の王子様。つまり次の王様のこと)
李信は、この太子・丹を倒しているのです。
この太子・丹は、始皇帝がおさないころに趙国で人質となっていたとき、幼馴染として一緒に育った関係でした。
おなじ人質という、明日をも知れぬ身であることから、ふたりは親友だったのです。
丹は燕国の太子となったあと、燕国の使者となって、秦国の王となっていた親友・嬴政と対面しました。
しかし丹は変わり果てた嬴政から、とても冷たくあしらわれ、衝撃を受けます。
秦王・贏政の性格や特徴、そして燕国と秦国の関係、燕国と秦国のあいだに位置していた趙国が滅びたことなどの事情から、太子・丹は燕国が秦国に滅ぼされるのではないかと、危機感を抱くようになりました。
以下の地図をみればわかっていただけると思いますが、秦国と燕国のあいだに位置していた趙国が滅亡したため、燕国は秦国と国境を接することとなり、強国・秦の圧力をまともに受けることとなったのです。
太子・丹は、祖国である燕国を滅亡の危機からすくうために、秦王・贏政の暗殺を計画するのです。
しかし太子・丹がはなった暗殺者の荊軻は、嬴政の暗殺に失敗して亡くなります。
激怒した始皇帝は、燕国に猛攻撃をしかけます。
そして、燕の首都を陥落させてしまうのです。
李信将軍は、わずか1000人の騎兵で、逃亡した太子・丹を追撃したといいます。
遼東半島へ逃亡した燕王は、李信の執念の追跡に恐怖し、息子である太子・丹を殺害。
その首を李信へ引きわたしています。
つまり、始皇帝の友人だった丹は、李信将軍のせいで亡くなったというわけです。
とはいえ、始皇帝の親友・丹を殺害したこの功績は、始皇帝を喜ばせたことでしょう。
秦の怪鳥・王騎は、本当に名将だったのか?
漫画キングダムで秦の怪鳥と呼ばれ、春秋戦国時代の戦国七雄すべてから恐れられていたことになっている王騎将軍。
王騎将軍は、白起将軍らと並んで六大将軍とよばれ、最強の名将ということになっています。
しかし歴史書・史記には記述が少なく、とてもじゃないですが名将とは思えません。
史記に、王騎将軍がどのように記述されているかというと、以下の通りです。
- 趙国の首都・邯鄲を攻撃
- 韓の国の領地である上党の地を攻略
- 秦王・贏政の即位によって、蒙ゴウ、ヒョウ公とともに将軍に任命
- 紀元前244年に死去
これだけです。
13年も戦場にいたにもかかわらず、名将とよぶには、王騎の実績は少なすぎます。
キングダムに登場する六大将軍の筆頭・白起(公孫起)は、史実でもまちがいなく名将でした。
白起将軍は、生涯で100万以上の敵兵を倒しており、その強さは後世でも恐れられています。
もしも王騎が本当に白起とならぶ名将なら、白起と同じくらい歴史書に記録が残っているはずです。
しかし王騎は秦王・贏政が即位した時に、初めて将軍に任命されているくらいですので、おそらくそれほどの名将ではなかったのでしょう。
紀元前257年におこった趙国の首都・邯鄲の包囲戦において、王騎将軍は勝利できていません。
王騎の実績といえば、韓の国の領地だった上党という地を攻略したくらいしかないのです。
秦の怪鳥・王騎ですが、残念ながら名将とよぶには功績が足りません。
ちなみに王騎には、同じく六大将軍の1人とされている武将・王齕(おうこつ・キングダムで楚国の武将・汗明[かんめい]に敗れた怪力の豪将)と、同一人物という説があります。
その他、王騎について、くわしくは以下のリンク記事で解説しております。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 李信と始皇帝が親友である可能性は、限りなく低い
- しかし、始皇帝が李信を非常に信頼していたことは間違いない
- 秦の怪鳥・王騎将軍は、名将と呼ぶには実績が足りなさすぎる。おそらく史実では、漫画キングダムに登場するような名将ではない
以上となります。
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