この記事ではマンガ・キングダムに登場する武将・桓騎について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
趙国の名将・李牧と戦うことになる桓騎の最後とは?
そして李牧が見抜いたという桓騎の弱点とは何なのか?
実は史実を見てみると、桓騎には
- 【李牧に殺されたという死亡説】
- 【生き残ったという生存説】
この両方が唱えられているのです。
また、桓騎の弱点とは、もしかすると【仲間を大切に思うこと】なのかもしれません。
追記・・・・2022年6月23日に公開されたキングダム最新話において、【李牧】が【桓騎の弱点】について解説するシーンが描かれていました。それによると、桓騎の弱点は【正攻法での戦いが出来ないこと】だそうです⇒⇒⇒⇒⇒⇒くわしい解説はコチラ
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この記事を短く言うと
1,李牧が言っていた【桓騎の弱点】とは何か?
- 【仲間を大切に思いすぎている】
- 【敵を虐殺しすぎ】
- 【指揮命令が混乱しやすい】
2,桓騎の最期とは、どんなものなのか?
桓騎は、肥下の戦いで、趙国の名将・李牧に大敗し亡くなった。
また別の説によると、桓騎は【肥下の戦い】で李牧に大敗し、秦王・嬴政によって庶民に落とされたという。
3,桓騎の生存説とは、どんなものなのか?
桓騎は、李牧に敗北したあと、樊於期と名前を変えたという。
そして暗殺者・荊軻に協力して、秦王・嬴政を暗殺する計画にかかわったという説がある
4,2022年6月23日追記・・・李牧が明かした桓騎の弱点とは?
桓騎の弱点は、【野盗あがりであるために、正攻法での戦いがまったく出来ないこと】
桓騎の弱点とは何なのかを考察
桓騎の弱点について、いくつかの仮説をたててみました
- 【仲間を大切に思いすぎている】
- 【敵を虐殺しすぎ】
- 【指揮命令が混乱しやすい】
などが考えられます。
桓騎の弱点について筆者は、【廉頗との戦いで見せた桓騎の行動が、伏線となっているのではないか】と、筆者は考えています。くわしくは後述いたします。
弱点その1【仲間を大切に思いすぎている】
マンガ【キングダム】において、李牧が見抜いたという桓騎の弱点は
【仲間を大切に思いすぎていること】
なのではないかと思います。
桓騎は仲間の雷土が、敵に拷問された挙げ句に亡くなったことを知り、静かに激怒していました。
史実では、桓騎は本陣にいる仲間が攻撃されたことに焦り、救出へ向かうところを李牧に待ち伏せされて大敗しているのです。
桓騎の弱点は、仲間をとても大切におもっているため、その仲間を攻撃されると、必ず救出しにくることなのではないでしょうか。
弱点考察その2【敵を虐殺しすぎている】
桓騎は、敵を虐殺する武将です。
そのため、敵は降伏しても殺されるため、必死の抵抗を見せるようになります。
かつて項羽という武将がいました。
この項羽も、敵の降伏を決して許さない武将だったのです。
項羽は敵を皆殺しにするような、とても残忍な武将でした。
そのため、項羽が攻めた城の兵士たちは、降伏できないため、必死の抵抗をみせていたのです。
桓騎の弱点は
【敵を殺しすぎているために、敵に必死の抵抗をさせてしまうこと】
なのではないでしょうか。
これに対して、同じ秦国の将軍・王翦は、鄴攻略戦をみても、敵の民衆を助けています。
そのため敵は、王翦になら簡単に降伏してくるでしょう。
桓騎は、敵に必死の抵抗をさせてしまうため、必然的に味方を苦戦におとしめてしまうのです。
弱点考察その3【桓騎軍は指揮命令が混乱しやすい】
桓騎軍は、もともとは盗賊野盗だったため、訓練された軍団と違い、指揮命令が徹底されていないと考えられます。
いってみれば、特殊な軍団なのです。
そのため、桓騎は自らの特殊軍がなくなると、即座に力を発揮できなくなってしまうと考えられます。
もし仮に、秦国の正規軍を桓騎に与えたとしても、今までのような戦功は期待できないでしょう。
桓騎の軍団はおそらく、一度でも混乱してしまったら、収拾をつけにくいのではないでしょうか。
弱点考察その4【廉頗との戦いで見せた桓騎の弱み】
実は筆者は以前、桓騎の弱点について、まったく別の考察をしております。
それは【桓騎は民衆を虐殺することで、敵将は必ず民衆を守りに来ると、信じすぎている】ということです。
その考察については、以下の別記事で解説させていただいております。
桓騎と李牧の戦いの史実を基礎にして、【桓騎の弱点が何なのか】を考察した記事は、以下のリンクからご覧いただけます。
⇒⇒⇒⇒李牧が見抜いたという【桓騎の弱点】については、コチラ
2022年6月23日追記・李牧が明かした桓騎の弱点は【正攻法が出来ないこと】
2022年6月23日に公開されたキングダムの最新話において、李牧が桓騎の弱点を明かすシーンが描かれていました。
それによると、桓騎の弱点とは
【奇策は得意だが、野盗あがりであるために、普通の将軍ならば誰もができるはずの正攻法での戦争が苦手】
というものだそうです。
そのため、奇策を駆使して敵を葬り去る能力にかけては天才的ではあるものの、正攻法を必要とする野戦に引きずり出されたら、桓騎は何をすればいいのかがわからないのだとか。
確かに、桓騎は蒙驁に見出されるまで、野盗としてゲリラ戦のような戦いをしてきたのでしょうから、李信や王賁が当然のように経験を積んできた【正攻法での戦い方】がまったくわからないのも無理はありません。
果たして桓騎は、どのような最期をむかえることになってしまうのでしょうか・・。
史実における桓騎(かんき)の最後とは、どんなものだったのか?
桓騎の最後【肥下の戦い(ひかのたたかい)】とはどんなもの?
桓騎の最期は、紀元前233年、肥下の戦いだったといわれています
秦国の軍をひきいた武将・桓騎は、この肥下の戦いで、趙国の将軍・李牧に大敗北しています。
紀元前234年、肥下の戦いの1年前、桓騎は趙国を攻撃しています。
この攻撃で、桓騎は趙国の武将・扈輒を討ち取り、趙国の兵士10万人を斬首しています。
その翌年の紀元前233年、桓騎はふたたび趙国を攻撃しています。
このとき桓騎を迎え撃ったのが、李牧です。
桓騎は趙国の拠点であった赤麗と宜安という場所を占領。
このとき、桓騎は李牧を誘い出すために、民衆を攻撃しています。
ところが李牧は桓騎の裏をかいて、その本陣を急襲。
本陣救出のために退却してきた桓騎に、李牧の伏兵が襲いかかったのです。
結果は李牧の大勝利でした。
史実では、この戦いを最後にして、桓騎は歴史の表舞台から姿を消します。
実は、桓騎が戦いで李牧に殺されたのか、それとも生きのびたのか、はっきりしていないのです。
桓騎が戦死したのか生き延びたのか、当時の2つの歴史書には、異なる内容が記されているのです。
桓騎の最後については
- 戦国策
- 史記・廉頗藺相如列伝
の2つの歴史書に、異なる最期が記されているのです。
李牧がどのようにして桓騎を倒したのかについては、以下のリンク記事でくわしく解説しております
歴史書【戦国策】における桓騎の最後
歴史書・戦国策には、桓騎が肥下の戦いで李牧に大敗し、亡くなったと記されています。
李牧の急襲を受けて大敗北した桓騎は、そこで命を落としたというのです。
実際に、桓騎はその後、歴史の表舞台には登場していません。
少なくとも、秦国の王・嬴政の部下のなかから、桓騎の名前はなくなっています。
ところが、大歴史家・司馬遷が残した歴史書【史記】の【廉頗藺相如列伝】では、桓騎が生き延びたと記されています。
歴史書【史記】における桓騎の最後
歴史書【史記】には、桓騎が李牧に肥下の戦いで敗北したあとも生き延びたと記されています。
ところが、李牧に大敗した桓騎に対して、秦王・嬴政は激怒します。
激怒した嬴政は、桓騎から将軍の地位を剥奪し、庶民の身分に落としたというのです。
人気マンガ【キングダム】では、主人公・李信は、奴隷の身分から将軍に這い上がったことになっていますが、当時の秦国はきびしい身分制度がさだめられていたため、桓騎は李信のような奴隷階級の一つ上の階級へ格下げとなったというのです。
桓騎のその後は不明です。
歴史の表舞台から、完全に姿を消したため、そのまま亡くなったと考えられます。
- 李牧に敗北して戦死したという【戦国策】
- 敗北したことが原因で身分を落とされたという【史記】
どちらが真実なのでしょうか?
桓騎(かんき)は死亡したのか?生き残ったのか?
桓騎が李牧に大敗した戦いで戦死したのか、それとも生き残ったのかは、わかりません。
しかし、筆者の個人的な意見でしかありませんが、李牧に大敗した桓騎が、その後も長く生き延びた可能性は低いと思います。
実は秦王・嬴政は、敵に敗北した武将を、容赦なく処刑するというやり方をする人物なのです。
歴史書・史記によると、桓騎は敗北したことで秦王・嬴政の怒りをかって、身分を剥奪されています。
これでは桓騎は、秦王・嬴政を恨み、敵国へ逃亡して秦国の軍事機密を漏洩させる可能性があります。
なんの根拠もありませんが、桓騎は身分を剥奪されたあと、処刑されたか、または死ぬまで幽閉されたのではないでしょうか。
桓騎の生存説!生き延びて始皇帝暗殺をたくらんでいた?
桓騎は李牧に敗北したのちも生き延びて、荊軻という暗殺者が起こした【始皇帝暗殺未遂事件】に協力していたという説があります。
桓騎は李牧に大敗して、将軍の身分を剥奪されたのち、燕国へ逃亡。
そこで桓騎は、樊於期と名を変えて生き延びていたというのです
そこで、燕国の太子だった丹という人物がくわだてた秦王・嬴政の暗殺計画を知ります。
荊軻は、秦王・嬴政から憎まれていた樊於期に対して、暗殺計画に協力してくれと頼みます。
荊軻が言うには、秦王・嬴政を暗殺するには、樊於期(桓騎)の首が必要だというのです。
一般人である荊軻が、秦王・嬴政を暗殺するためには、そばに近づかなくてはいけません。
ところが荊軻が秦王・嬴政に謁見するには、理由が必要です。
そこで、裏切り者の樊於期の首を手土産にしたいというのです。
樊於期は喜んで自らの首を差し出します。
ところが荊軻の暗殺計画は失敗します。
こうして樊於期こと桓騎は、無駄死にとなってしまったのでした。
ただ、この桓騎と樊於期が同一人物という説は、信憑性に乏しいものされています。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,李牧が言っていた【桓騎の弱点】とは何か?
- 【仲間を大切に思いすぎている】
- 【敵を虐殺しすぎ】
- 【指揮命令が混乱しやすい】
2,桓騎の最期とは、どんなものなのか?
桓騎は、肥下の戦いで、趙国の名将・李牧に大敗し亡くなった。
また別の説によると、桓騎は【肥下の戦い】で李牧に大敗し、秦王・嬴政によって庶民に落とされたという。
3,桓騎の生存説とは、どんなものなのか?
桓騎は、李牧に敗北したあと、樊於期と名前を変えたという。
そして暗殺者・荊軻に協力して、秦王・嬴政を暗殺する計画にかかわったという説がある
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。
よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。
ありがとうございました。
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