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源義高の最後!大姫との悲しい恋の物語と、一緒に葬られた墓の場所

この記事では、木曽義仲きそよしなかの息子・源義高みなもとのよしたかについて、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。

記事の内容をかんたんにまとめますと、以下のとおりです

  1. 源義高は、父・木曽義仲と源頼朝みなもとのよりともの仲が決別すると、源頼朝によって殺害された
  2. 殺害される直前、源義高は、婚約者だった頼朝の長女・大姫おおひめの助けを得て逃亡をこころみたが失敗し、討ち果たされた
  3. その後、婚約者だった源義高の死を知った大姫は落胆し、意気消沈。最期まで義高への愛を貫いて病死した

これを読めば、誰かに説明できるほど、源義高にくわしくなれます。

→→→→→『鎌倉殿の13人』登場人物・関連記事まとめはこちら


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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

目次

源義高の生涯年表

1173年 木曽義仲の嫡男として生まれる。母は不明
1183年 源頼朝に人質としておくられ、頼朝の娘・大姫と婚約する
1184年 源頼朝によって殺害される

源義高とは、どんな人なの?

源義高とは、源平合戦に登場する猛将・木曽義仲(本名・源義仲みなもとのよしなか)の息子です。

そして、宿敵・源頼朝の娘・大姫と運命的な恋をし、悲劇的な最期をむかえはかなく散った人物なのです。

源義高の父・木曾義仲きそよしなかとは、何者なのか?

木曽義仲とは、平清盛たいらのきよもりが亡くなったあとの平家一門を、京都から追い出した源氏一族の猛将です。

《木曽義仲》
「引用元ウィキペディアより」

義仲は、信濃国・木曽谷きそだにを本拠地として、京都を支配する平家を攻撃しようとしていました。

しかし、関東を支配していた宿敵・源頼朝が、木曽義仲の背後を攻撃する動きを見せたのです。

京都の平家と、関東の頼朝、その両方から義仲は挟み撃ちにされかねない状態だったのです。

そのため木曽義仲は、息子の源義高を、人質として源頼朝におくったのでした。

こうして義仲と頼朝は停戦協定を結び、ともに宿敵・平家を滅ぼそうと誓ったのです。


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木曾義仲と源頼朝はどういう関係?いとこ同士だが宿敵だった

木曽義仲と源頼朝は、いとこ同士です。

つまり木曽義仲の父と、源頼朝の父は、血のつながった兄弟ということです。

ところが、両者は宿敵関係にありました。

なぜなら木曽義仲の父・源義賢みなもとのよしかたは、頼朝の父・源義朝みなもとのよしともによって殺害されているからです。

【源頼朝・家系図】 家系図の引用等ご遠慮くださいませ。この家系図には【源義平】は登場しておりません。また【木曽義高】とありますが正式には【源義高】です

頼朝の父・義朝は、源為義みなもとのためよしからその地位を継承して、源氏一族の棟梁とうりょう(ボス)となるべき源氏の嫡男でした。

ところが義朝の弟・源義賢とのあいだで、源氏一族の家督相続争いが勃発。

義朝は自分の息子・源義平みなもとのよしひらに命令して、弟・源義賢を討ち果たしたのでした。

そのとき、義賢はまだ幼かった木曽義仲を密かに逃亡させたのです。

源頼朝は、この源義朝の三男であり、源義平の弟にあたります。

つまり木曽義仲からすると源頼朝は、父・義賢を殺害した義朝の子であり、義平の弟というわけです。


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源義高の生涯!宿敵だった源頼朝の娘・大姫と婚約した理由

猛将・木曽義仲の長男として生まれた源義高は、父の宿敵であった源頼朝の娘・大姫と、運命のような愛を育むことになります。

源頼朝は、人質として源義高を預かったものの、表向きは源義高を自分の婿としてむかえ、義仲との関係が良好なものであると、宿敵の平家に見せつけようとしました。

《源頼朝》
「引用元ウィキペディアより」

大姫はこのとき7歳。源義高は12歳でした。

大姫もまた、源義高のことを気に入り、政略結婚であったものの、2人は若いながらも互いを信頼し合う関係だったのです。

こうして2人は愛を育んだものの、源義高の立場は崖っぷちの状態でした。

なぜならば、もし万が一、父・源義仲が、源頼朝と戦いを始めてしまったら、源義高はみせしめとして、真っ先に討ち果たされる運命にあったからです

そして残酷な運命が、若武者・源義高を襲うことになります。


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源義高の最期!最愛の女性・大姫に逃がされるも戦死

源義高の最期

源義高は、大姫の父・源頼朝によって殺害されてしまうのです。

頼朝と停戦協定をむすんだ木曽義仲は、京都へ進軍します。

義仲は、圧倒的な強さで平家を京都から追い出すものの、京都の治安を維持することができませんでした。

なんと義仲の軍は、京都の住民に乱暴し、略奪を繰り返す有様だったのです。

そのため京都の支配者だった後白河法皇ごしらかわほうおうは木曽義仲を嫌い、両者は対立することとなります。

《後白河法皇》
「引用元ウィキペディアより」

しかも義仲は、次期天皇を誰にするかという問題にも介入します。

平家が安徳天皇をつれて京都から逃亡したため、次の天皇を決めなくてはならない状況となった際に、木曽義仲は次期天皇を【北陸宮ほくりくのみや】という人物にすべきだと主張

この次期天皇を誰にするかという問題に介入した木曽義仲に対して、後白河法皇は激怒。

結果として北陸宮は、天皇に即位することはなく、後鳥羽天皇ごとばてんのうが即位することとなるのです。
(後鳥羽天皇は、のちに後鳥羽上皇ごとばじょうこうと呼ばれ、承久の乱じょうきゅうのらん北条義時ほうじょうよしときと対立する)

《後鳥羽上皇》
「引用元ウィキペディアより」

木曽義仲との関係が一気に悪化したため、後白河法皇は源頼朝を京都へまねきいれて、木曽義仲を追い出してもらおうと考えます。

後白河法皇からの京都への招きに応じた頼朝は、弟・源義経みなもとのよしつねに軍をあたえて京都へ派遣。

こうして木曽義仲と源頼朝の対立は、決定的なものとなったのです。

粟津あわづの戦いで、木曽義仲は義経に大敗し、戦死。

義仲を殺害した頼朝は、人質として預かっていた義高を生かしておいては、将来の不安の種となると判断し、源義高の殺害を決意したのでした。

その時、鎌倉にいた源義高はというと、婚約者・大姫の協力により、女装して逃亡をこころみています。

ところが源頼朝は、義高の逃亡を知り激怒。

追ってを差し向け、武蔵国で源義高は討たれてしまうのでした。

1184年6月6日、源義高・死去。享年12歳

鎌倉市常楽寺じょうらくじには、源義高のものとされる墓があります。

承久の乱じょうきゅうのらんと、北条義時ほうじょうよしときについては、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。

⇒⇒⇒⇒【承久の乱とは何か】の解説はコチラ

⇒⇒⇒⇒【北条義時の子孫と家系図】の解説はコチラ

源義高の死因

くわしい死因は不明ですが、首を討たれて亡くなったものと考えられます。

義高は藤内光澄とうないみつずみという武将によって討ち取られているので、そのときに致命傷をうけ、首を斬られて亡くなったのでしょう。


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大姫のその後!婚約者・源義高への愛を貫いた生涯と最期

7歳だった大姫は、最愛の婚約者・源義高がなくなったことを知り、病気で倒れてしまいます。

大姫を溺愛していた母・北条政子ほうじょうまさこは、源義高を討った夫・源頼朝に猛抗議。

北条政子
「引用元ウィキペディアより」

なんと頼朝の命令で源義高を討ち果たした藤内光澄とうないみつずみという武将をさらし首にしたほど、政子は激怒したといいます。

大姫はその後も、数々の縁談をすすめられました。

  • 摂政という重職にいた身分の高い公家・近衛基通このえもとみち
  • 頼朝の甥にあたる貴族・一条高能いちじょうたかよし
  • 歴代天皇の中でも最も優秀だったといわれる帝王・後鳥羽天皇ごとばてんのう

ところが大姫は、源義高のことを愛し続け、すべての縁談を拒絶したのでした。

最期まで源義高への愛をつらぬいた大姫は、1197年に病気で亡くなります。

享年20歳

現在、源義高が眠っているとされている鎌倉市常楽寺には、大姫のものとされる墓も残されています。

源義高と大姫は、それぞれの父親同士の因縁にも負けることなく、幼いながらも、それぞれの愛を貫いたのでした。

2人は今、同じ場所で静かに眠っているのです。

余談かもしれませんが、この常楽寺には、北条義時の息子・北条泰時ほうじょうやすときのお墓もあります。

北条泰時は、武士の法律【御成敗式目ごせいばいしきもく】をつくった、まさに武士のお手本となった人物です。
(歴史家・坂井孝一先生によれば、北条泰時の母親は、源頼朝の最初の妻だった【八重姫】という人物ではないかといわれている)

⇒⇒⇒⇒⇒北条泰時と【御成敗式目】についての記事はコチラ

⇒⇒⇒⇒⇒八重姫についてはの記事はコチラ

まとめ

  1. 源義高は、父・木曽義仲と源頼朝みなもとのよりともの仲が決別すると、源頼朝によって殺害された
  2. 殺害される直前、源義高は、婚約者だった頼朝の長女・大姫おおひめの助けを得て逃亡をこころみたが失敗し、討ち果たされた
  3. その後、婚約者だった源義高の死を知った大姫は落胆し、意気消沈。それが原因で病死したともいわれている

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

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