黒船来航の目的とペリーの真実!船が来た現在地と、黒船とは何かを解説

1853年の「ペリー提督による黒船来航」

ペリーは何をしに来たのか?

そして船が来た現在地とは?

黒船って、そもそもどういう船だったの?


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この記事を短く言うと

・黒船来航とは、アメリカ・フィルモア大統領の親書を、ペリー提督が持ってきた一連の騒動

・目的は、寄港地・補給基地確保のための日本の開国

・ペリーは突然来たわけではなく、実は前もって「来る」と予告していた


黒船来航!とは、一体なに?

1853年、当時の江戸に激震が走る事件が起こりました。

それが「マシュー・ペリー」提督・・・階級は(大佐)・・・彼が率いる「黒船」が日本・浦賀に来航したのです。

ペリーは、「アメリカ合衆国海軍・東インド艦隊」の艦船4隻を率いて日本へ来航。

歴史上、この時から「幕末」が始まったと言われています。

当時の江戸幕府将軍は12代将軍「徳川家慶」無能ではありませんが、それほど優れた名君であったわけでもありません。

それまで、日本人は「黒船」なんてものを観たことがありません。

巨大な船に圧倒された日本人は、心底恐怖したのです。とはいえ、さすがに血気盛んな江戸っ子の皆さん・・・・。最初は黒船に恐怖したものの、その目的が「戦争ではない」とわかると、興味本位で黒船に近づいてみたりしていたようですよ。挙句の果てには、艦船が行っていた空砲による威嚇射撃を、花火代わりに歓声を上げて楽しんだとも言われています。

黒船来航・・・200年以上の鎖国を打ち破る威嚇・・・。これが、幕末動乱の始まりだったというわけです。


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何しに来たのか?目的は?

そもそもペリー提督は、一体なにをしに来たのでしょうか?

その目的は、アメリカ合衆国の「フィルモア大統領」の国書を、日本へ渡すことでした。

国書を渡して、実現しようとしていた目的は2つ。

1,清国(当時の中国)との貿易のため、寄港地が欲しかったので、開港してほしかった

2,捕鯨のための補給基地として、日本を活用したかった。


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1,「清」との貿易のための寄港地

当時のアメリカは、メキシコとの戦争で「カリフォルニア」を手に入れて、太平洋に面した港を手に入れていました。

当時の世界最強国は「イギリス」

イギリスに次ぐ大国が「ロシア」、そしてフランスも大国!とはいえ、両国ともイギリスとは比べ物にならないほど弱かったですが・・・。

日本が鎖国でも長年貿易を続けてきた「オランダ」は、小国・・・。

アメリカも、新興国・小国でした・・・人口は日本の半分ほどしかいない始末です。

そんな新興国アメリカが、太平洋戦略の中で重視したのが、「4億人」もの人口を誇る「清」との貿易。

アメリカが清と貿易のために使っていたルートは「北太平洋から千島列島・津軽海峡」を経由して上海へ向かうというもの。

そのため、寄港地・補給基地として「箱館」を開港してくれたら、都合が良かったのです。

世界の強国と争い、植民地競争に勝利するためにも、日本との条約締結で先んじたかったという理由があったみたいですね。


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2,捕鯨のための寄港地

当時、産業革命による「燃料需要」に応えるため、クジラの乱獲が行われていました。「鯨油」が目的だったのです。

その捕鯨のための寄港地として、日本に開港してほしかったのです。

実際、このペリー来航の数年前、日本人「ジョン万次郎」が、小笠原諸島に立ち寄った「捕鯨船」に助けられて渡米しています。日本近海で捕鯨していたということですよね。

つまり、貿易の中継地点!捕鯨のための補給基地!、その他もろもろの理由で、日本に開港してほしかったのです。


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ペリーの真実!事前に「来る」ことを日本へ知らせていた

実はペリー提督・・・突然来たわけではなく、ちゃんと日本に「事前通告」していました。

今度お邪魔しますよ」と・・。

当時日本は、鎖国していたものの、長崎・出島を通じて「オランダ」と「清」とだけは貿易をしていました。

その為アメリカは、オランダを通じて日本へ来航を通告。

アメリカはオランダ政府を通じて日本へ手紙を送りましたが、日本にその手紙が届くことはありませんでした。それでもアメリカが来日することだけは、幕府に伝わっていたのです。

当時、日本は「異国船打払」を緩和して、日本近海に現れていた外国船に対し、食料や水・薪を渡してかえってもらう方針を取っていました。

強国「イギリス」や「ロシア」に比べて、アメリカは「新興国」で人口も日本の半分ほど。挙句の果てには「南北戦争」で内ゲバ真っ最中の小国。

日本にとって、交渉しやすいったらない国だったのです。

実は「突然来た」わけではなく、日本からすると「イギリスやロシアに比べたらやりやすい、渡りに船」な国だったわけです。


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黒船とは何か?来航した場所は「浦賀」じゃなかった

そもそも黒船ってどんな船?

黒船というのは「蒸気艦船」のこと。

風の力で動く「帆船」ではなく、蒸気の力で動く「黒塗りの船」

イギリスやロシアが使っていた「帆船」と違っていたため、日本は「黒船」の驚きました。

しかし、先述の通り、江戸っ子たちは黒船の発砲にもビビらず、結構おちょくっていたみたいですね。


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黒船が来た場所は、浦賀じゃなかった!

さて・・・・黒船が突然来たわけじゃないことはご説明しましたが、実は黒船・・・突然「浦賀」に来たわけじゃないのです。

最初に来た場所は、神奈川県横須賀市にある「久里浜」

そこから幕府に誘導されて浦賀に到着したのです。

ちなみにペリーが最初に来た「久里浜」には、現在「ペリー公園」なる公園があります。

実は久里浜に来る前にも、ペリーは「琉球王国」に上陸して、許可もなく軍隊を首里城まで行進させたり、小笠原諸島で探検したりと、やりたい放題やってました。

挙句の果てには、幕府にフィルモア大統領の親書を渡した後

「1年後にまた来ます」

と言っておきながら、わずか半年で戻って来たのでした。

ペリー・・・開国させるために威嚇を繰り返したと言われていますが・・・結構好き勝手されていたのですね・・・。


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なぜ長崎・出島に来なかった?

当時、日本は鎖国していました。

しかし、オランダと清の二カ国だけは、日本と貿易していたのです。

その窓口が「長崎・出島」でした。

さて、アメリカはどうして「出島」に行かなかったのでしょうか?

理由は簡単。「オランダ」です。

当時日本との貿易では「オランダ」による独占状態。

アメリカが日本と条約を結ぼうとする行為は、オランダからすると面白くありません。

ですので、長崎に行けば、アメリカと日本の交渉はオランダに妨害される可能性があったのです。

オランダに妨害されないように、オランダ商人の巣窟である長崎を避けたのです。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・黒船来航とは、アメリカ東インド艦隊を率いた「ペリー」による来日行為。

・目的は、寄港地を得るための「日本開国」

・実は、ペリーは来日を事前予告していた

・ペリーが長崎に来なかったのは、オランダの妨害を恐れたため。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

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