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豊臣秀吉の末裔・子孫は現在タレント?茶々の血を引く有名人って誰だ

豊臣秀吉の末裔は、現在どこにいるのか?

 

タレントをやっているという噂もあるのですが・・・・。

 

秀吉の子といえば、織田信長の姪「茶々」が産んだ子ということか?


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 豊臣秀吉の直系の子孫は、すでに断絶している
  2. 秀吉の子供や孫は、全員子孫を残せずに亡くなっている
  3. 日本の天皇陛下は、秀吉の姉の血をひいている

豊臣秀吉と茶々姫の子孫は、タレント?

豊臣秀吉の子孫が「タレント」「芸能人」という噂が一部に流れているようです。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)
「引用元ウィキペディアより」

しかし実際には、秀吉直系の子孫が「タレント活動」をしているという事実はないみたいです。

 

そもそも、秀吉には「子孫」が存在しません。

 

秀吉は、幼少時に患った「おたふく風邪」によって、子供ができない身体になった・・・と言われています。

 

後述する「茶々」こと「淀君」が産んだ2人の息子も、実は「淀君」の乳兄弟である「大野治長」との隠し子・・・という噂があります。

 

秀吉には、直系の子孫はいない・・・。徳川家康によって根絶やしになっているのです。

 

豊臣家の簡単な家系図は、以下のとおりです。

 

粗末な家系図で申し訳ありません・・・。


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秀吉の「3人の息子」と「2人の孫」の末路

秀吉の直系の子孫は、秀吉の死後どうなったのでしょうか?

 

詳しく解説いたします。

秀吉の「3人の息子」の末路

秀吉には「3人の息子」がいました。

 

  1. 長子が「石松丸秀勝」
  2. 織田信長の姪・茶々が産んだ長男「鶴松」
  3. そして茶々の次男「秀頼」

 

最初に生まれた「石松丸秀勝」は、秀吉の側室「南殿」が産んだとされている子ですが、1576年に夭折しています。

 

南殿には、他にも女児がいたということですが、詳細は不明。

 

茶々姫の子「豊臣鶴松」は、1589年に生まれて、1591年に亡くなっています。

 

鶴松が亡くなった2年後に生まれたのが、同じく茶々姫の子「豊臣秀頼」

 

秀頼は1615年の「大坂夏の陣」で、母親の「茶々」とともに亡くなっています。

 

この豊臣秀頼の正室は、家康の孫で徳川秀忠の娘「千姫」でしたが、子供は出来ず、側室との間に「2人の子」をもうけたとされています。

 

つまり、秀吉には「孫が2人」いたということです。

「2人の孫」の結末

秀頼は、二人の側室との間に、それぞれ子供をもうけています。

 

  1. 国松
  2. 奈阿姫

 

大阪夏の陣で、大阪城が落城した時、2人は大阪城を脱出したものの、徳川軍によって捕縛されます。

 

国松はその後、千姫の必死の助命嘆願も虚しく、六条河原で斬首の刑となり、わずか8歳で亡くなっています。

 

「奈阿姫」は、千姫の助命が叶えられ、千姫の養女となって出家し「天秀尼」と呼ばれることになりました。

 

鎌倉の「東慶寺」へと入れられ、縁切り寺「東慶寺」を守り続けたとされています。

 

ちなみにこの「東慶寺」・・・「戸田恵梨香」「大泉洋」が出演した2015年の映画「駆込み女と駆出し男」の舞台となっています。


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「秀吉の孫・生存説」

秀吉の孫で、秀頼の子「国松」・・・実は生存していたという説があります。

 

国松は、真田幸村の息子・真田大助とともに「薩摩」に逃れ、秀吉の正室「ねね」の兄で豊後日出藩主「木下延俊」の四男「延由」と名乗ったのだとか・・・。

 

その「延由」は、「木下延俊」の死後、領地3万石のうち「5千石」を相続し、「立石領」の領主・旗本になりました。

 

木下家は現在まで子孫を続けていますが、現当主「19代当主・木下崇俊」さんは、口伝で「延由の正体は、豊臣秀頼の子・国松」と教えられてきたと証言しています。

 

現実的に考えて、国松が生きているとは思えません。

 

木下家は、関ヶ原の戦いでは家康に味方し、大坂冬の陣・夏の陣でも、家康に味方して豊臣家を敵としています。

 

おそらくですが、後世の子孫が、「秀吉の正室の兄であるにも関わらず、木下延俊は豊臣家を裏切った」とでも言われて、その罪悪感を和らげるために、「国松生存説」を作り上げた・・・・なんてことじゃないでしょうか?

 

もちろん、何の証拠も根拠もない空論でしかありませんが・・。

 

ちなみに、「島原の乱」を起こした「天草四郎時貞」が、秀吉の孫「豊臣秀綱」であった・・・とされていますが、可能性は限りなく低いと言われています。


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天皇陛下は、豊臣秀吉の血を引いている?

秀吉直系の子孫は亡くなりましたが、秀吉の姉「日秀尼」の子孫が、現代に続いています。

 

秀吉の姉「日秀尼」の子孫は、実は「令和」の世の天皇陛下。

 

天皇陛下は、秀吉の姉の血を引く子孫なのです。

 

どういうことかというと、秀吉の姉には、2人の息子がいました。

 

関白「豊臣秀次」と、その弟「羽柴秀勝」

 

秀次はご存知の通り、叔父である豊臣秀吉によって切腹させられています。

 

羽柴秀勝は病死していますが、信長の姪「お江(おごう)」との間に「完子(さだこ)」をもうけています。

 

「お江」は秀勝の死後、徳川秀忠と再婚しています。「完子」姫は、お江の姉・淀殿に育てられて、五摂家の一つ「九条家」の関白「九条忠栄(くじょう ただひで)」の妻となって子孫を残しています。

 

「九条家」・・・・後世「大正天皇」の皇后さま「九条節子」様が、完子姫の子孫であり、「昭和天皇」を出産しておられるのです。

 

つまり大正天皇の末裔である、現在の天皇陛下は「秀吉」の姉の子孫。

 

皇室には豊臣に血が続いている・・・・ということなのです。


「天皇陛下」といえば、「浅井長政」の子孫でもあるわけですが、それについては以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

 

  1. 豊臣秀吉の子孫がタレント・芸能人という事実はない
  2. 秀吉直系の子孫は、断絶している
  3. 秀吉の孫「国松」の生存説があるが、おそらく真実ではない
  4. 秀吉の姉は、現在の皇室に続いている

 

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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