MENU

天龍寺は誰が建てたの?歴史をわかりやすく簡単に解説

天龍寺を建てた人は誰なのか?について短くまとめると、以下の通りです。

  1. 天龍寺を建てた人は、室町幕府の初代将軍・足利尊氏(あしかが たかうじ)という人
  2. 天龍寺は、1345年に建てられた
  3. 天龍寺は、後醍醐天皇の菩提を弔うため、つまり後醍醐天皇が亡くなられたことを悲しみ、その霊を慰めることを目的に建設された

この記事では天龍寺について、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。

これを読めば、誰かに説明できるほど、天龍寺に詳しくなれます。

歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。


スポンサーリンク


目次

天龍寺は誰が建てたの?

天龍寺を建てた人は、室町幕府をつくった征夷大将軍・足利尊氏です。

《足利尊氏》
「引用元ウィキペディアより」

京都・嵐山にある世界遺産・天龍寺をつくったのは誰なのか。

庭園と雲龍図で有名なこのお寺は足利尊氏が、宿敵・後醍醐天皇の死を悲しみ、その霊をなぐさめて、しずめるためにつくったものなのです。

南北朝時代をご存知でしょうか?

南北朝時代とは、京都と奈良の吉野に、2人の天皇が君臨して争っていた時代です。

天龍寺は、そんな動乱の時代につくられたものなのです。


スポンサーリンク

天龍寺の歴史をわかりやすく簡単に解説

いつ建てられたの?

天龍寺は1345年に建てられました。

天龍寺の庭園

1337年、日本で南北朝時代と呼ばれる動乱の時代が始まりました。

南北朝時代とは、京都には光明天皇が、吉野には後醍醐天皇が君臨した、2人の天皇が同時に君臨した時代のことです。

1339年、そんな南北朝の動乱の時代に、南朝の後醍醐天皇が急死してしまったのです。

北朝に味方していた足利尊氏は、後醍醐天皇の宿敵でした。

しかし足利尊氏は、宿敵である後醍醐天皇の死を悼み、その霊を慰めるために、天龍寺をつくったのです。


スポンサーリンク

どんな目的や理由で建てられたの?

天龍寺は、足利尊氏が後醍醐天皇の死を悼み、その霊を鎮めるためにつくられたお寺です。

後醍醐天皇
引用元ウィキペディアより

天龍寺をつくった足利尊氏は、後醍醐天皇と激しく戦っていた宿敵でした。

ところが、足利尊氏は宿敵であるはずの後醍醐天皇の死を悲しんで、天龍寺をつくって霊を慰めるという、なぞの行動をとったのです。

なぜ足利尊氏は、宿敵であったはずの後醍醐天皇の死を悲しんだのでしょうか?

実は、もともと足利尊氏は後醍醐天皇から、もっとも愛された部下だったのです。

後醍醐天皇の尊氏への寵愛ぶりは、後醍醐天皇につかえていたお公家さんから、苦情が出るほどでした。

尊氏は後醍醐天皇の部下として、新田義貞や楠木正成たちと協力し、鎌倉幕府とそのトップだった北条高時を倒した人物です。(北条高時とは、人気漫画『逃げ上手の若君』の主人公・北条時行の父)

→→→→→【北条時行の死因と最期】についてくわしくはこちら

楠木正成
引用元ウィキペディアより

後醍醐天皇は、数多くいる部下の中で、足利尊氏をもっとも気に入っており、異例の出世をさせていたのです。

そして足利尊氏も、後醍醐天皇のことを崇拝し、心の底から尊敬していました。

そんな両者が、鎌倉幕府が倒れたあと、仲間割れをして、権力闘争を開始したのでした。

たとえ敵味方に別れて戦っても、足利尊氏が後醍醐天皇を尊敬し崇拝する気持ちには、少しも変化はありませんでした。

1339年、尊氏の宿敵・後醍醐天皇は

「足利尊氏を倒せ」

という執念に満ちた遺言を残して亡くなります。

尊氏は、自分を恨みぬいて亡くなった後醍醐天皇の死を、心の底から悲しんでいました。

足利尊氏は、宿敵であったはずの後醍醐天皇の菩提を弔うという、不思議な目的を果たすために、天龍寺をつくったのです。

 

後醍醐天皇と足利尊氏については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。


スポンサーリンク

後醍醐天皇の死のあと、何が起こったの?

後醍醐天皇が亡くなられたあと、日本はさらなる戦乱の時代となります。

北朝の足利尊氏と、南朝の後醍醐天皇の子である後村上天皇が、いつ終わるともしれない戦争を続けたのです。

そんなときに、北朝から政治を任されていた室町幕府のなかで、内乱が起こります。

足利尊氏の弟で、室町幕府の政治を任されていた足利直義(ただよし)と、兄の尊氏が、血で血を洗う兄弟喧嘩を始めたのです。

足利直義(この肖像は源頼朝ではなく、近年では足利直義ではないかといわれている)
引用元ウィキペディアより

 

さらにその足利兄弟の兄弟喧嘩に、南朝の勢力が介入して、三つ巴の戦いが勃発。

泥沼の戦争が繰り返され、南北朝の動乱は、なんと足利尊氏の死後も続きます。

そして、尊氏の孫で三代将軍・足利義満の時代に、ようやく南北朝の動乱は終結。

1392年、南朝が北朝に天皇の位をゆずる形で、南朝と北朝は統一されます。

2人の天皇が同時に存在するという、異常な南北朝時代は、こうした終わったのです。

しかし、南北朝時代が終わったあとも、南朝勢力の抵抗は続いたといいます。

記録によれば1499年まで、後南朝(ごなんちょう)とよばれる勢力の抵抗運動が続いたのでした。

まとめ

本日の記事をまとめますと

1,天龍寺を【建てた人】は誰?

天龍寺を建てた人は、室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏(あしかが たかうじ)

 

2,天龍寺は【いつ】建てられたのか?

天龍寺は、1345年に建設された

 

3,天龍寺が建てられた【理由や目的】とは?

天龍寺は、後醍醐天皇の菩提を弔うため、つまり後醍醐天皇が亡くなられたことを悲しみ、その霊を慰めることを目的に建設された

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。

その他の記事

よろしければ、以下のリンク記事も、ぜひお役立てくださいませ。

『足利尊氏の家系図と子孫』の記事はコチラ

『足利尊氏と後醍醐天皇の争いの原因とは?』の記事はコチラ

『後醍醐天皇の性格を分析!』の記事はコチラ


スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次