皆さんは「土方歳三」を、ご存知でしょうか?
実は土方歳三について、くわしく知っている方は、それほど多くないみたいです。
この記事では【土方歳三とはどんな人で何をした人なのか】を、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。
今は土方歳三について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。
これを読めば、誰かに説明できるほど、土方歳三に詳しくなれます。
この記事を読んで、土方歳三の疑問をスッキリと解消していただけたら、これほど嬉しいことはありません。
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
1,【土方歳三】とは、どんな人?
土方歳三とは、江戸幕府に属する警察組織・新選組の副長だった人物。
【1835年】に生まれ、【1869年】に亡くなった。
2,【土方歳三】とは、何した人なの?
土方は新選組副長として、京都の犯罪をとりしまり、池田屋事件で幕府を倒そうとする長州藩の武士たちを壊滅させた。
江戸幕府が消滅したあとは、箱館戦争にいたるまで、薩摩長州の新政府軍と戦い続けた。
3,【土方歳三】の生涯を、ひとことで解説!
土方歳三は、盟友の近藤勇をささえて、実質的な新選組の司令官だった人物。
近藤勇と新政府軍に殺害されたあとは、そのかたきを討つために、最期まで戦い抜いた。
【土方歳三】とは、どんな人?
土方歳三(ひじかた としぞう)とは、剣豪集団【新選組】の副長だった人です。
【名前】土方歳三(ひじかた としぞう)
【あだ名】鬼の副長
【生年月日】1835年5月31日
【没年月日】1869年6月20日
【愛刀】和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)
【土方歳三】とは、何した人なの?
土方歳三とは、何をした人なのかというと、剣豪集団【新選組】の副長として、おもに京都の治安を守った人物です。
新選組というのは、侍(さむらい)でなくとも、剣術が強ければ、農民でも町人でも入隊できる剣豪集団でした。
現代に例えていうなら新選組は、警察の特殊部隊SATのようなものです。
土方歳三はその新選組をひきいて、江戸幕府を倒そうとたくらんでいた長州藩を中心とした過激な志士たちと戦った人なのです。
土方歳三が参戦した事件や戦争をザッと一覧にすると、以下のとおりです。
土方はこれらの戦いに参加して、長州藩や新政府軍と、死闘を繰り広げているのです。
【土方歳三】の年表
土方歳三の生涯を、ザッと年表にすると、以下のとおりです。
【1835年】、土方歳三が現在の東京都日野市で誕生
【1859年】、この頃に近藤勇と出会う
【1863年】、浪士組に応募して京都へ向かう
【1863年】、土方が壬生浪士組(新選組)の副長に就任
【1863年】、部隊名を「新選組」と改める
【1864年】、池田屋事件
【1867年】、鳥羽・伏見の戦い
【1868年】、近藤勇が斬首される
【1868年】、会津戦争
【1869年】、箱館戦争で土方歳三・戦死
【土方歳三】の生涯を簡単にわかりやすく解説
ここでは、土方歳三の生涯を簡単に解説いたします。
土方歳三・誕生
【1835年】、土方歳三誕生。
歳三が生まれ土方家は、多摩の豪農つまり農民の家でした。
若い頃の歳三は、石田散薬という薬を売り歩いて、そのついでに各地の剣術道場を渡り歩いて修行したといわれています。
【1859年】、土方歳三はいとこの紹介で、試衛館という道場に入門。そこで天然理心流剣術の修行を開始します。
この頃に土方は、のちに新選組の局長となる近藤勇と出会ったのです。
新選組を結成!【鬼の副長】として活躍
新選組・鬼の副長と呼ばれた土方歳三は、幕末の混乱した時代に活躍した人物です。
【1853年】、アメリカのペリーが黒船をひきいて来航して以来、日本では京都を中心に開国派と攘夷派が激しく争い、治安が悪化していました。
そんなとき江戸幕府は、京都の平和を守るため、「強ければ身分は問わない」という条件で、剣豪たちを募集。
その結果、浪士組と呼ばれる組織を誕生したのです。
土方歳三は、近藤勇や沖田総司ら試衛館道場の仲間とともに、この浪士組に応募。
浪士組はのちに新選組と改名し、近藤勇をトップ(局長)に、土方歳三は副長に就任。
池田屋事件と呼ばれる戦いで、土方歳三たちは過激な長州藩の攘夷派・倒幕派の志士たちを倒し、京都の平和のため活躍します。
身分を問わず、強いだけで統制の取れない新選組をまとめるため、土方は新選組の隊士たちに厳しい法律を定め、違反する者たちを次々と切腹させました。
そのおかげで土方はいつのまにか、【鬼の副長】と呼ばれるようになっていたのです。
盟友・近藤勇との別れ!新選組の崩壊
薩摩・長州と幕府の戦いが激化していく中で、土方歳三は盟友・近藤勇を新政府軍に処刑されることになるのです。
【1867年】、最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還をしたことで、260年続いた江戸幕府は消滅。
【1868年】に起こった鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)において、旧幕府軍と土方歳三たち新選組は、薩摩・長州軍と戦い、敗北することとなります。
その後、江戸城無血開城で徳川慶喜が薩摩長州に降伏して、江戸幕府は完全に消滅します。
近藤勇も、現在の千葉県流山市で新政府軍に捕らえられ、斬首されてしまいます。
盟友・近藤勇を失った土方歳三は、新選組残党をひきいて、新政府軍への復讐を誓い戦いを続けるものの
- 【宇都宮城の戦い】
- 【壬生の戦い】
- 【会津戦争】
など、各地の戦いで徐々に新政府軍に押され、北海道・五稜郭へと逃れていくのです。
「大政奉還とは何か」については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。
土方歳三の最期!箱館戦争で戦死
【1869年】、土方は箱館・五稜郭を本拠地として、新政府軍との最後の戦いに望みます。
そこで土方は、腹部に被弾して戦死するのです。
土方は松前城を陥落させるなどして奮戦するものの、少ない軍団では新政府の大軍団を相手にすることは難しく、徐々に追い込まれていきます。
【1869年5月11日】、新政府軍の総攻撃が開始され、土方歳三も出陣します。
土方は【一本木関門】という拠点を守備し、馬に乗って部隊を指揮していたところ、敵の銃弾を腹部に受けて落馬し、亡くなります。
ほとんど即死だったといわれています。
土方歳三・戦死。享年35歳(満年齢34歳)
その遺体の行方は、今も不明です。一説によると、五稜郭に埋葬されたが、のちに北海道函館市のどこかへ改葬されたといわれています。
土方歳三が亡くなった7日後の【5月18日】、榎本武揚らが降伏し、箱館戦争および戊辰戦争は終結したのです。
「土方歳三の最期」については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。「土方は味方に暗殺された」という説があるようです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,【土方歳三】とは、どんな人?
土方歳三とは、江戸幕府に属する警察組織・新選組の副長だった人物。
【1835年】に生まれ、【1869年】に亡くなった。
2,【土方歳三】とは、何した人なの?
土方は新選組副長として、京都の犯罪をとりしまり、池田屋事件で幕府を倒そうとする長州藩の武士たちを壊滅させた。
江戸幕府が消滅したあとは、箱館戦争にいたるまで、薩摩長州の新政府軍と戦い続けた。
3,【土方歳三】の生涯を、ひとことで解説!
土方歳三は、盟友の近藤勇をささえて、実質的な新選組の司令官だった人物。
近藤勇と新政府軍に殺害されたあとは、そのかたきを討つために、最期まで戦い抜いた。
以上となります。
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