【池田屋事件とは】わかりやすく解説!坂本龍馬暗殺事件とは全然違う

幕末の大事件「池田屋事件」がどういう事件だったか?またなぜ「池田屋事件」が起こったのかをご存知でしょうか?

池田屋事件とは、会津藩おかかえの警察部隊「新選組」が、「池田屋」に集まっていた長州藩士を襲撃した事件です。

中には「坂本龍馬・暗殺」事件と混同してしまう方もおられるようです。

今回はこの「池田屋事件」について、詳しく解説したいと思います。


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この記事を短く言うと

・『池田屋事件』とは、新選組が「長州藩の過激派」を襲撃した事件

・新選組は、自らの名前を天下にとどろかせるために、「池田屋事件」で抜け駆けした

・「池田屋事件」のほかにも幕末には、薩摩藩の粛清事件「寺田屋事件」、坂本龍馬暗殺の「近江屋事件」などの、似たような名前の「事件」が存在している


《池田屋事件とは何か?わかりやすく解説》

池田屋事件

《池田屋事件》
「引用元ウィキペディアより」

池田屋事件とは、1864年6月、新撰組が京都の旅館池田屋に集まっていた長州藩の尊王攘夷派の志士たちを襲った事件です。

新選組は、会津藩の下で「警察」のような「治安維持」の仕事をした組織。

幕府を倒そうとする人たち(尊王攘夷派)やそのような考えを持った藩を、徹底的に取り締まったことで有名な組織です。

池田屋には、幕府を倒そうとする人たち(長州藩)が集まっていました。

その情報を聞いた新選組は、幕府を守るために長州藩の志士たちを打ち取ったのです。


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《池田屋事件は、新選組のデモンストレーションだった》

池田屋事件の活躍で、新選組の名前は全国の知るところになります。

本当は、新選組と会津藩の援軍が合流して、一緒に池田屋を襲撃をする予定でした。

ですが、会津藩の援軍の到着が遅れ、新選組はたった「34人」で池田屋ほか各地を捜索、長州藩士を襲撃します。

この事件をきっかけに、新選組は一躍有名になります。

一説では、近藤勇は新選組の名前を売るために、独断で抜け駆けをした、とも言われています。

「池田屋事件」は、新選組売名のためのデモンストレーションだったのかもしれません。


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《龍馬暗殺の「近江屋事件」・・・薩摩藩士弾圧の「寺田屋事件」との違い》

幕末には、たくさんの事件が勃発しています。

その違いを見ていきましょう。

 

新選組が長州藩士を襲撃した「池田屋事件」

1864年7月8日 京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。

 

薩摩藩過激派の粛清事件「寺田屋事件」

1862年5月21日 薩摩藩の指導者・島津久光が薩摩藩・尊王派による「倒幕の挙兵」を未然に防ぎ、これを粛清した事件。後の初代鹿児島県知事「大山綱良」らの手で「有馬新七」たちが粛清されています。

この寺田屋事件の4年後 1866年3月9日 寺田屋へ宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行所の捕り方が包囲、坂本龍馬を捕縛もしくは殺害しようとした事件も「寺田屋事件」と言われる。別称「寺田屋遭難」といわれ区別して呼ばれています。

 

坂本龍馬暗殺の「近江屋事件」

1867年12月10日 坂本龍馬と中岡慎太郎、山田藤吉の3人が京都河原町の近江屋・井口新助邸において暗殺された事件。実行犯については、江戸幕府「京都見廻組説」が有力。黒幕は会津藩主「松平容保

日本史にはよくあることですが、似たような名前が多くて区別がつけにくいですね。


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《『池田屋事件』について、レビュー(評論)!》

池田屋事件は、新選組のデモンストレーションだったのか?近藤勇や土方歳三は、この事件を利用して、新選組の名前を売り出そうとしていたのか?

まず間違いなく、近藤・土方は、「売名」としてこの事件を利用したのでしょう。

「天下に名を轟かす」・・・誰しもが満たしたいと思う「名誉欲」です。立身出世を目指して京都へ来た近藤や土方は、その志が強かったはずです。

「池田屋襲撃」に成功してしまえば、置いてけぼりをくわせた「会津藩」に、どうとでも言い訳ができます。新選組は実際「会津藩兵が遅かったから」と言って、抜け駆けをとがめる会津藩に反論しています。

おそらく「土方歳三」が、この「デモンストレーション」を考えたのでしょう。

実際「池田屋事件」は後世にまでそのインパクトを残し、新選組の名を歴史に刻み付けました。

この「池田屋事件」を発端として「禁門の変」が勃発。

その「禁門の変(蛤御門の変)」で「吉田松陰」の義弟「久坂玄瑞」は辞世の歌に残したように「血を吐くほどの無念」を抱きながら、短い生涯を終えるのでした。


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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・池田屋事件は、池田屋に集まった尊王攘夷派を新選組が取り締まった事件。

・新選組は名前を売り出すために、「会津藩」からの援軍を待たず襲撃をした。

・「池田屋事件」は「新選組による長州藩士襲撃事件」、「寺田屋事件」とは「薩摩藩士の同士討ち」、「近江屋事件」とは「坂本龍馬暗殺」

新選組はヒーロー的なイメージがありますが、それは新選組が作り出したものかもしれませんね。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓↓

「芹沢鴨暗殺事件の犯人と理由を調査!芹沢の強さは新選組トップレベル?」の記事はコチラ
「山南敬助の生涯と最期!新撰組総長の切腹理由と、愛刀の行方について」の記事はコチラ
「【桂小五郎とは】新撰組や高杉晋作との凄い関係!幾松や八重子のその後」の記事はコチラ

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