【五稜郭の戦いとは】世界一わかりやすく解説!新撰組・土方歳三の最期

「明治維新」の際に日本全国で勃発した「戊辰戦争」。その「戊辰戦争」最後の戦いが「五稜郭の戦い(箱館戦争)」

この箱館戦争とは、どのような戦争であったのか?そこで亡くなった新選組副長「土方歳三」の最期は、どのようなものだったのか?

「箱館戦争」とは、最新式の要塞「五稜郭(ごりょうかく)」にたてこもった旧幕府軍と新政府軍の戦い。

旧幕府軍の一人「土方歳三」は、銃撃によって戦死したのです。

この記事では、「五稜郭の戦い」について、わかりやすく解説いたします。


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この記事を短く言うと

  1. 「五稜郭の戦い」とは、旧幕臣「榎本武揚」を中心とした旧幕府軍と新政府軍の戦い
  2. 新選組副長「土方歳三」は、1869年5月11日、新政府軍の銃撃により戦死した
  3. 榎本武揚は、黒田清隆の説得により降伏。榎本武揚は服役後、要職で活躍した

五稜郭の戦い(箱館戦争)とは?勃発の理由は何?

土方歳三関連の観光地として名が挙がるのは、東京都日野市の土方歳三資料館や、京都の新撰組屯所跡などだと思いますが、北海道の五稜郭も有名だと思います。

ここは約150年前に、土方が奮戦した「五稜郭の戦い」が終結した場所でもあります。

≪五稜郭の戦い≫
「引用元ウィキペディアより」

五稜郭の戦いとは、慶応4年(明治元年)〜明治2年(1868年 〜1869年)の間に起こった戦いです。

別名を『箱館戦争』ともいい、戊辰戦争の一局面に数えられています。

戊辰戦争とは京の帝を担ぎ上げ、幕府を倒し新政権を樹立するしようとする薩長を中心とする新政府軍と、それに対抗する旧幕府軍の戦いのことです。

戊辰戦争の戦場が北上してゆき、最後の戦いの場が北海道・五稜郭でありました。

五稜郭の戦いの原因として、旧幕府軍の榎本武揚(えのもと たけあき)が、五稜郭のある蝦夷地(北海道)で新しい政権を樹立したことがあげられます。

この政権を「蝦夷共和国」といい、榎本は職を失った旧幕臣達のために、この政権を作って彼らに仕事を与えようしました。

もちろん、官軍である新政府軍は、このような独立国家を認めなかったため、蝦夷地で両軍が戦うことになったのです。


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新撰組副長・土方歳三の最期

明治2年(1869年)5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始され、『島田魁』らが守備していた弁天台場(べんてんだいば)が新政府軍に包囲され孤立。

土方は救出のために僅かな兵を率いて出陣し、馬上で指揮を執っていましたが、敵の銃弾が腹部に命中し落馬、そこで命を落としました。

亡骸は、五稜郭に埋葬されたといわれています。

ちなみに、土方の形見とも言える肖像写真や遺髪、愛刀『和泉守兼定』は、土方の小姓を務めた「市村鉄之助」によって、実家の日野に届けられています。


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戦争の終わり。榎本武揚と黒田清隆の友情

前述した土方の戦死が発端となり、榎本ら蝦夷共和国の幹部が降伏をして、五稜郭の戦いは終わりを迎えます。

榎本を含む7名の幹部が東京辰の口の軍務官糾問所の牢獄に投獄されることになります。

新政府内では榎本らの処置に関して対立があり、木戸孝允ら長州藩出身者が極刑を求めた一方、榎本の才能を評価していた黒田清隆らが助命を主張。

その際、黒田は剃髪までして、助命を懇願したそうです。

また、『学問のすゝめ』で有名な福沢諭吉も、彼の助命を求めていたと言われています。

その後、黒田が助命をした甲斐もあって、榎本は外務大臣や文部大臣を歴任することになります。

榎本と黒田は盟友関係となり、榎本は自身の息子「武憲」の妻に、盟友である黒田の娘「梅子」を迎えさせています。


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『五稜郭の戦い』について、レビュー(評論)!

五稜郭の戦い・・・・旧幕府軍が最期の抵抗を見せた戦いですが、この戦いで、榎本武揚は黒田清隆の説得に応じて降伏しています。

黒田は非常に情け深い人物であり、長岡藩との「北越戦争」に際し、敵将「河井継之助」を降伏させ、新政府に協力させるべきと考えていました。

河井継之助を救うことは出来ませんでしたが、黒田は箱館戦争で「榎本武揚」の助命に尽力。

榎本武揚は、黒田の説得に応じ、全将兵を救ってくれる代わりに、自分は切腹すると提案。

黒田はこれを拒絶。榎本武揚の命が救えなくては、意味がないと榎本を説得したのです。

これに折れた榎本は、ついに降伏し投獄。

1872年1月、2年数か月の投獄生活から戻った「榎本武揚」は、その後盟友「黒田清隆」と協力し、得意の外交で、日本のために力を尽くすのでした。

まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 五稜郭の戦いは、旧幕府軍の榎本武揚が樹立した「蝦夷共和国」とそれを認めない新政府軍との間の戦いである。
  2. 土方歳三は、新政府軍の攻撃を受けた自軍の救出のため出陣し、敵の銃弾によって落馬、そして絶命した。
  3. 五稜郭の戦いの後、木戸孝允らが榎本の極刑を求めた一方、榎本の才能を評価していた黒田清隆らが助命を懇願した。

以上となります。

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