新撰組(新選組)主要メンバーを一覧で解説!隊長たち生き残りのその後

『は』

元治元年(1864年)ごろの「新選組」の幹部及び組織体系は、上記の図のようになっています。

この中でも「明治」まで生き残ったのは、わずか3名のみ。

それぐらい過激な時代だったのでしょう。

幕府のため、国のために散っていった彼らの軌跡を辿ってみましょう。


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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 新選組は前身の「壬生浪士組」発足当時、「芹沢鴨」を筆頭局長とし、その後「新選組」に改名して局長「近藤勇」、副長「土方歳三」、総長「山南敬助」、参謀「伊東甲子太郎」らによって率いられていた
  2. 新選組の各隊長たちは、それぞれに壮絶な最期を遂げているが、戦場で亡くなった人物は六番隊組長「井上源三郎」のみ。ほかは謎の死を遂げたり、戦場での傷が原因で亡くなった者もいる。
  3. 新撰組の各隊長の中で、明治維新後も生き残ったのは「永倉新八」「斎藤一」「鈴木三樹三郎」の三名のみ。全員が大正時代まで生き残っている

新選組・幹部メンバー・・・局長・副長・総長・参謀

「引用元『写真AC』より」

この「新選組」、前身である「壬生浪士組」が発足された後に出来た組織なのです。

壬生浪士組には2名の局長、3名の副長がおりました。


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■芹沢鴨 壬生浪士組筆頭局長 狼藉を繰り返し、朝廷から逮捕状が出された会津藩の刺客たちによって暗殺 享年31歳
■近藤勇 壬生浪士組局長 のちの「新選組」局長。戊辰戦争の中、新政府軍に捕縛されたのち、「坂本龍馬」暗殺の罪を被せられ斬首 享年35歳
■新見錦 壬生浪士組副長 乱暴・狼藉を繰り返し、芹沢・近藤の説得にも耳を貸さなかったため、隊規により切腹。幹部で初の粛清者 享年27歳
■土方歳三 壬生浪士組副長 のちの「新選組」副長。戊辰戦争の箱館戦争で、蝦夷地(北海道)弁天台場にて被弾。蝦夷共和国の閣僚8人の中で唯一の戦死者 享年35歳
■山南敬助 壬生浪士組副長 のちの「新選組」総長。1865年、突如として隊から脱走し「沖田総司」が追跡・捕縛。局中法度に背いた罪で切腹 享年33歳

壬生浪士組を経て新選組になって1年後の1864年、八番組組長「藤堂平助」の仲介で入隊したのちの新選組・参謀「伊東甲子太郎」もご紹介しますね。

■伊東甲子太郎 新選組・参謀 北辰一刀流免許皆伝。伊東道場の道場主。のちの「新選組」参謀。近藤勇と袂を分かち「御陵衛士」を結成するも、油小路の変(油小路事件)で新選組に惨殺される 享年34歳

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新選組・各隊隊長たち!その最期は壮絶なものばかり

いつも死と隣り合わせの中でいた彼らですから、やはり壮絶な最期が多いです。

簡単ではありますが「1番隊」から「10番隊」までの各組長の最期をご紹介します。

一番隊 沖田総司 組長及び撃剣師範。当時の不治の病と言われる「労咳」(肺結核)のため、「鳥羽伏見の戦い」以降参戦できないまま、病死。 享年27歳(生まれ年がはっきりしないので24歳〜27歳説がある)
二番隊 永倉新八 組長及び撃剣師範。新選組を離脱後、精兵隊を結成。会津藩の降伏を知り江戸へ帰還。松前藩士として帰参が認められた後、藩医の杉村家へ婿養子として入る。晩年は小樽で過ごし大正4年、虫歯が原因で骨膜炎と敗血症を併発し死去。 享年77歳
三番隊 斎藤一 組長及び撃剣師範。敗戦が続く中、常に最前線で戦い続けた。終戦後、会津松平家は家名断絶されていたが、斗南(となみ)と改名転封した「斗南藩」の藩士となる。東京に移住後は警視庁に勤め、晩年は学校の撃剣師範も務める。大正4年、胃潰瘍のため死去。 享年72歳
四番隊 松原忠司 組長及び柔術師範。壬生浪士組時代からの隊士。1864年に病死したとされるが謎が多く、よくわかっていない。 享年50歳
五番隊 武田観柳斎 組長及び文学師範。甲州流軍学を修めていたが、後に幕府がフランス式兵制を取り入れた事で時代遅れとなり地位が揺らぐ。除隊を願い出て一旦新選組を離れるが、密かに倒幕活動を行なっていた事が露見され暗殺。 享年・不明。(生まれ年がはっきりしないため)
六番隊 井上源三郎 試衛館時代からの古参。天然理心流免許皆伝。「鳥羽・伏見の戦い」にて敵の銃弾を腹部に受け戦死。 享年40歳
七番隊 谷三十郎 組長及び槍術師範。京都東山の祇園社にて死去。会津藩への報告は「祇園石段下に於いて頓死相遂げ候」と報告しているが詳細は不明。 享年34歳
八番隊 藤堂平助 北辰一刀流目録。のちに試衛館へ入門。三番隊組長の「斎藤一」とともに最年少幹部の一人。「伊東甲子太郎」と共に新選組を離脱し、御陵衛士(高台寺党)となる。「油小路の変」で新選組に殺害された「伊東甲子太郎」の遺骸を引き取りに来た所を襲撃され戦死。 享年23歳
九番隊 鈴木三樹三郎 伊東甲子太郎の実弟。のちの御陵衛士。「油小路事件」「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」と、ありとあらゆる戦線をくぐり抜けた。警察として務めたのち、老衰のため死去。 享年83歳
十番隊 原田左之助 種田流槍術(宝蔵院流槍術)免許皆伝。

試衛館からの古参。

「鳥羽伏見の戦い」から甲陽鎮撫隊まで新選組として戦ったあと、二番組長「永倉新八」と共に離脱し靖兵隊を結成。

その後は永倉新八とも別れ、「彰義隊」に入隊するも「上野戦争」で負傷。

その傷が元で死亡したとされる。

ただ一説によると、大陸に渡って「馬賊」になったとも言われていますが。真偽の程は定かではありません。

享年29歳

「引用元『写真AC』より」

 


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新選組の生き残りたち!明治維新(1868年)以降も生き残った

明治維新以降も生き残った幹部は、二番組長「永倉新八」、三番組長「斎藤一」、九番組長「鈴木三樹三郎」の3名のみです。
常に「死」と隣り合わせの戦いの中をくぐり抜けてきた御三方は、一体どんな強運を持っていたのでしょうか。

二番組長「永倉新八」のその後

■『永倉新八』…新選組を離れ、靖兵隊を結成。

北関東にて抗戦するも、会津藩の降伏を知って江戸へ帰還。その後は脱藩した松前藩の藩士として帰参が認められます。

明治4年(1871年)】、藩医の「杉田介庵」の娘「きね」と結婚し、婿養子として松前(北海道)に渡る事になりました。

明治6年(1873年)】、杉村治備(のちに義衛)と改名後、北海道小樽へ移ります。

刑務所の看守に剣術を教えたり、退職後は江戸牛込で剣術道場を開いたり、再び妻子が待つ小樽へ移り住んだりと、なかなかアグレッシブな一面が見れますね。


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小樽に戻ってからでも大学の剣道部を指導しているので、切っても切れない縁で刀と結ばれているのでしょうね。

晩年はよく孫を連れて映画館へ足を運んでいたそうで、映画館の出口でヤクザに絡まれた時、鋭い眼力と一喝で退散させたという逸話も残っています。(諸説あり)

新選組の中でも屈指の武士ですから、睨まれただけでもすくみ上がりそうですね。

大正4年(1915年)】、虫歯が原因で骨髄炎と敗血症を併発し死去。

享年77歳。

余談ではありますが、永倉新八の手記「浪士文久報国記事」があったおかげで、新選組像が正しく今日まで伝わっていると思います。

実はこの「浪士文久報告記事」は平成9年(1997年)まで所在が分からなかった「幻の手記」と言われていたものでした。

新選組と袂を分かちながらも、晩年は新選組の名誉回復のために事実を記し、後世に語り継ごうとしてくれた事に感謝です。


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三番組長「斎藤一」のその後

■『斎藤一』…新選組が敗走する中、会津に残留して戦い続けます。

会津藩が降伏した後も戦い続け、松平容保(会津藩主)が派遣した使者の説得によって投降、謹慎生活を送ることになりました。

その後、会津藩は改易(身分剥奪し地位を失う事)され「斗南藩」となり、斎藤一は斗南藩士となります。

斎藤一は2度結婚しており、2度目の結婚後「藤田五郎」に改名しました。

東京に移住し警視庁で勤めており、「西郷隆盛」が起こした「西南戦争」に政府軍として参戦。

戦後も巡査部長や警部補を歴任し【明治25年(1892年)】退職。


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晩年は博物館の看守を勤めながら撃剣師範を担っており、現在の「お茶の水女子大学」の交通整理もしていたそうです。

66歳まで現役で働いていらしたようですので、社会貢献することが好きだったのかもしれません。

大正4年(1915年)】、胃潰瘍が原因で床の間に結跏趺坐(けっかふざ)をしていた状態で亡くなっていたそうです。(正座したまま亡くなったという説もあり)

享年72歳。

新選組時代には間者(スパイ)をしていたことも関係しているのか、斎藤一が新選組のことを語ったものなどは残っていません。

実際には口述を記録した「夢録」(むろく)という文書があるらしいのですが、現在まで発見されていないようです。

この書物が見つかったらまた面白い真実が出てくるかも知れませんね。


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九番組長「鈴木三樹三郎」のその後

■『鈴木三樹三郎』…戊辰戦争では新政府軍に加わり「北越戦争」や「会津戦争」を戦いました。

新選組と対した「御陵衛士」の隊士。実兄「伊東甲子太郎」を新選組に殺害されているので、最期まで新選組・幕府側とは敵対する「新政府軍」として戦っています。

どこかで「斎藤一」とも対決しているかも知れませんね。

明治以降は千葉県・山形県などで主に司法・警察関係に従事し、退官後は茨城県石岡町にて余生を送ったそうです。

大正8年(1919年)】、老衰のため死去。

享年83歳。

 

「永倉新八」も「斎藤一」も「鈴木三樹三郎」も、三人とも大正時代まで生き残ったのですね。

永倉と斎藤の2人は、ともに大正4年に亡くなっています。

この偶然に、因縁のようなものを感じますね。


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『新選組』について「ひとこと」言いたい!

新選組の最期については、よく「滅びの美学」と書かれますが、私はその表現は苦手です。

滅んでいくからこそ美しいのではないのです。

自分が信じるものに命を賭けて、信じて、戦い抜いていったから美しく、かっこいいのです。

たったひとつの信念を貫き通していくことがどれだけ難しいことだっただろうと。

裏切りや策略に阻まれ、状況が悪くなっていった時は、何度も心が折れそうになったことだって、きっとあったはず。

それもいつも「死と隣り合わせ」という生活の中で。

何かを「守りたい」という気持ちは旧幕府軍であろうと新政府軍であろうと同じなんだと思います。

そこに私は男らしさやかっこよさを感じるのです。

「引用元『写真AC』より」

 


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 新選組は「芹沢鴨」「近藤勇」「新見錦」「土方歳三」「山南敬助」「伊東甲子太郎」たち幹部によって率いられていた
  2. 新選組の各隊長たちは、ほとんどが明治を待たずして亡くなっているが、その死因は様々。病死・戦死・死因不明などなど。
  3. 新撰組の隊長たちの中で、明治維新後も生き残ったのは「永倉新八」「斎藤一」「鈴木三樹三郎」の三名。この三名は「大正」まで生きている。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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