MENU

斎藤一は会津藩が新撰組へ送ったスパイ?会津に尽くした逸話がスゴイ

『は』

「新選組」の三番組長「斎藤一」といえば、寡黙な武士・・・という印象を持たれる方が多いのではないでしょうか。

この「寡黙」というイメージは、斎藤一が「スパイではないか」という事と、同じ新選組の二番組組長「永倉新八」と同じく、大正時代まで長生きしたのにも関わらず、新選組の事を多く語らなかった【謎めいた人物】であったことが要因かと思います。

「斎藤一・スパイ説」に対しては色々は見解があるようですが、結論を言うと「会津のスパイである」という明確な証拠は、現段階では存在しません。

ただ、確実に言えるのは「斎藤一」は恩義に篤い武士であるということです。


スポンサーリンク


歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 「斎藤一」とは、新選組の三番組長をつとめた幕末の剣豪。新選組では剣術を教える立場である「師範」をつとめ、「池田屋事件」「鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)」「会津戦争」「西南戦争」などで活躍した
  2. 斎藤一は、会津藩が新選組へと送り込んだスパイ・・・という説がある。ただ、その根拠がとぼしいので、信憑性は低いだろう。
  3. 戊辰戦争が終わった後、斎藤一は会津藩と行動をともにし、斗南藩へ移住。その後は東京へと移住して警察官をつとめた。

「斎藤一」とは何者なのか?その功績をザッと解説

なんとなく名前ぐらいは聞いたことあるけど、どんな事をしていたのかわからない謎の人物。

「斎藤一」に対して、そんなイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか。

どちらかといえば、表で派手に動くタイプではないような感じがしますね。

簡単ではありますが、斎藤一の来歴・年表をご紹介いたします。



スポンサーリンク


  • 文久3年(1863年)3月10日 新選組に入隊。三番組長・撃剣師範となる。
  • 元治元年(1864年)6月5日 「池田屋事件」勃発。土方歳三隊として出動。
  • 慶応3年(1867年)3月 新選組・参謀「伊東甲子太郎」が新選組を離脱し「御陵衛士」を結成。斎藤一も「御陵衛士」に加わり、新選組を離脱。しかし、新選組の間者(スパイ)として御陵衛士へ潜入していただけ。新選組に復帰する際には御陵衛士の活動資金を盗んで逃走。
  • 慶応3年(1867年)12月7日 天満屋事件勃発。斎藤は後ろを斬りつけられるが、新選組の平隊士「梅戸勝之進」が斎藤を守った。
  • 慶応4年(1868年) 1月 鳥羽・伏見の戦いに参戦。
  • 同年3月 甲州勝沼に転戦。
  • 同年閏4月5日 白川口の戦い
  • 同年8月21日 母成峠の戦い
  • 同年9月22日 会津藩 降伏

新選組の後見人だった「会津藩」が降伏した後も、斎藤一は戦い続けます。

会津藩主の松平容保が派遣した使者の説得により、彼の戦は終焉を迎えました。

常に最前線で戦っていた斎藤一。

新選組と会津藩のために戦い続けたのです。



スポンサーリンク


斎藤一は、会津藩が新撰組へ潜り込ませたスパイだった?

前項で「斎藤一が「御陵衛士になったのは、新選組のスパイだったから」と記載しましたが、そもそも「斎藤一は会津藩が新選組に送り込んだスパイだったのではないか」という説もあるようです。

どういった見解があるのか見てみましょう。

 

スパイである説の根拠

  1. 将軍警護の為に江戸で「清河八郎」により募集された「浪士組」に名前がない
  2. 「斎藤一」の名前が初めて出てくるのは「文久3年3月10日」に会津藩に提出された嘆願書から
  3. 試衛館に居候(食客)していなかったのに、いきなり新選組・三番組長という幹部に抜擢されたこと
  4. 母成峠の戦い後、会津藩と行動を共にした
  5. 会津藩主「松平容保」とともに「斗南藩」まで仕えていた斎藤は、明治新政府につかえる話を頑なに拒んでいた

 

スパイでない説の根拠

  1. 大河ドラマ「新選組!」では、試衛館道場に出入りしていた描写はあるものの、他の幹部のように居候(食客)ではなかった
  2. 江戸にいた頃、旗本(幕府の高級武士)を斬ったことが原因で、行方をくらませていた


スポンサーリンク


「スパイである説」の情報が多いような気もしますが、確固たる証拠がないので、はっきりしたことはわかりません。

「会津藩」が絡んでくるタイミングで、斎藤一の名前が浮上してきたのかも知れませんしね。

私個人としましては、「スパイではなかった」説を推したいと思います。

理由は「幕府の高級節である『旗本』を斬っていること」です。

これは事実として立証されていますし、前科がある人を「スパイ」という重要かつ忠義の必要な事をさせるのだろうか・・・・と思ったからです。

もし斎藤一が短絡的な殺戮者であれば、そんな人物を「スパイ」に任命してしまうことで会津藩が危ない立場におちいる可能性が少なくはないだろう・・・と考えたからです。

しかし「戊辰戦争」前後の斎藤一は、会津藩から受けた恩義に対して、見事に報いるような行動をとっていることも事実です。

新選組幹部の中でも年少だった斎藤一・・・もしかすると、会津藩に対して少しずつ傾倒していったのではないかな・・・というのが筆者の個人的な見解です。



スポンサーリンク


戊辰戦争後の斎藤一は、一体どこで何をしていたのか?会津へ貫いた忠義

戊辰戦争後、斎藤一は降伏した会津藩士とともに謹慎生活を送ることとなります。

賊軍となった会津藩はお家断絶。

しかし【明治2年(1869年)11月3日】、お家の再興を許されました。そして「斗南藩(となみはん)」という領地を与えられる事となったのです(斗南藩は現在の青森県東半分)

これから先、「斎藤一」は「斗南藩士」として生きていく事になります。

斗南藩領の五戸町(現在の青森県)に移住。

明治4年頃、名家である篠田家の「篠田やそ」と結婚。

経緯ははっきりとはわかりませんが、3年ほどで「篠田やそ」と離別しているようです。



スポンサーリンク


明治7年に元会津藩大目付「高木小十郎」の娘「高木時尾」と再婚し、3人の子宝にも恵まれました。

時尾と結婚した後、斎藤は東京に移住。警視庁に勤めています。

警察官になるまでは「二君に仕えず」と言って、「松平容保」以外に仕えるつもりはないと断っていたようですが、会津藩の元家老からの説得に応じ、警察官に任命されました。

明治10年(1877年)】、西郷隆盛を盟主として「西南戦争」が勃発。斎藤はこれに参戦。

斬り込みの際に負傷するも奮戦。この活躍は「東京日日新聞」によって報道されたそうです。

西南戦争に参戦した理由は「会津=朝敵」という図式を挽回したかったからではないか、と考えられています。(「斎藤一」は明治政府側なので、「西郷隆盛」がひきいた薩摩軍と交戦しています)

西南戦争終戦後も警察部隊に所属。明治25年(1892年)12月に退職。

退職後は看守をしたり、学校で剣道を教えたり、交通整理をしたりと、世のため・人のために尽くされていたようです。殺伐とした日々から考えると180度違う世界。
「あの新選組の三番組長が・・・・」と思うと、とても不思議な感じがしますが、戦争を必死に生き抜いて訪れた平和な時代を、斎藤は噛み締めていたのかも知れません。



スポンサーリンク


『斎藤一』について「ひとこと」言いたい!

新選組の組長格の中でも非常に剣術に優れ、元新選組隊士の「阿部十郎」は斎藤一の剣術について

「一に永倉・二に沖田・三に斎藤の順」

と評したと言われています。阿部十郎から「第一」と評価をされていた二番組長「永倉新八」は、斎藤一の剣術を「無敵の剣」と評価して一目置いていました。

そんな腕を買われていたのか、斎藤一は新選組内の粛清役も務めていたとも言われています。

明治維新後、斎藤一は名前を「藤田五郎」と改めていることもあり、かつての「新選組 三番組長 斎藤一」としての顔は鳴りを潜めました。

斎藤一が「永倉新八」と違って明治維新後に多くを語らなかったのは、会津藩の隠密活動をしていたからかも知れない事、そして斎藤一をつけ狙っている刺客がいたから、なのかも知れませんね。



スポンサーリンク


まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「斎藤一」は、新選組三番組長をつとめた剣豪。「戊辰戦争」「西南戦争」で活躍した猛者。
  2. 斎藤一は「会津藩が新選組へと潜り込ませたスパイ」という説があるが、根拠がとぼしい
  3. 戊辰戦争が終わった後、斎藤一は斗南藩へ移り住み、その後は東京へ移住。警察官として務めた

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



スポンサーリンク


「新選組」関連記事

以下のリンク記事でも、「新選組」の「逸話」や「人物」「出来事」について簡単に理解できるように、わかりやすく解説させていただいております。

よろしければこれらの記事も、ぜひお役立てくださいませ。

「新選組」の関連記事

 

「土方歳三」関連記事

 

「沖田総司」関連記事

 

「その他【新選組】幹部」の記事

 

「新選組」に関連する歴史的出来事の記事


スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次