新撰組・鬼の副長「土方歳三」
その末裔が、「土方歳三の刀」を管理・公開している?
土方歳三の家系図・子孫とは?
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この記事を短く言うと
・新選組副長「土方歳三」は、武蔵国多摩郡(東京都日野市)の農家出身で、10人兄弟の末っ子
・土方歳三直系の子孫はおらず、兄「喜六」の子孫が「土方歳三資料館」を運営している
・愛刀「和泉守兼定」は、「土方歳三資料館」で、毎年「土方歳三」の命日に合わせて展示されている
土方歳三の家系図
新撰組・鬼の副長「土方歳三」
京都の治安維持を任務としていた精鋭部隊「新撰組」のNO2を務め、局長「近藤勇」を補佐し続けた人物。
1835年5月、武蔵国・多摩郡・石田村(現在の東京都日野市石田)で誕生。
生家の「土方家」は、代々農家・・・当然土方家も農民。
歳三も、どこかの養子にでもならない限り、将来は農民になるはずの身でした。
- 父「土方隼人」
- 母「恵津」
歳三は10人もいた兄弟の末っ子。
その兄弟の内、6名までは氏名がはっきりしていません。
- 長男「為次郎」
- 次男「喜六」
- 姉「佐藤のぶ」
それ以外の6名の兄姉の名前は不明・・・。
生家の「土方家」は、代々農家であり、歳三も農民。「石田散薬」なる薬の行商をよくしていたのだとか。
ヤンチャだった歳三は「武士」になることを夢見て、各地の道場で修業。
最終的に近藤勇が率いる「天然理心流道場・試衛館」へ入門。
浪士組(後の新撰組)への参加を応募し、京都へ出て「新撰組」の副長として活躍することになるのです。
土方歳三の子孫とは?
土方歳三の子孫は、現在どこにいるのでしょうか?
実は土方歳三には、子供がいません。
1869年5月11日、北海道函館・五稜郭で腹部に銃弾を受けて亡くなっています。
享年35歳。
土方歳三の血縁者といえば、9人もいた兄弟たち・・。
その兄弟の子孫が、現在でも活動していると言われています。
中でも有名なのが、次男「喜六」さんの「来孫(孫の孫の子)」・・「土方愛」さん
この「土方愛」さん・・・土方歳三の生家で育ち、現在はその築300年の生家を「土方歳三資料館」として一般開放しているとのことです。
「土方歳三資料館」についてはこちらをどうぞ
「資料館」には、土方歳三が使用した方な、直筆の手紙、鎖帷子や鉢金(額に当てる防具)などが展示されています。
土方の「愛刀」とは?
土方歳三の愛刀は、どうやら3本あるようです。
- 「大和守秀国」
- 「脇差・堀川国広」
- 「和泉守兼定」
この内「和泉守兼定」は、最も価値が高い代物だったのだとか・・・。
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局長の『近藤勇』が使用していた刀「虎徹」。
「兼定」には、虎徹の20倍もの値打ちがあったと言われています。
会津藩主・松平容保から、土方歳三が授かった「兼定」
「兼定」は、現在「土方歳三資料館」にて保存されています。
毎年、土方歳三の命日に合わせて、「1ヶ月」ほど展示されているみたいですね。
2017年、はっきりとした予定はまだ発表されていませんが、2016年が「4月3日~5月15日」まで展示だったので、2017年もこの日程に展示されるでしょう。
兼定には、戦争の傷跡らしきものが、生々しく残っているとのことです。
「会津藩主・松平容保の子孫が、現在徳川宗家の19代当主である」という件について、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・土方歳三は、東京都日野市の農家出身で、10人兄弟の末っ子
・次男「喜六」の来孫「土方愛」さんが、「土方歳三」の生家で「土方歳三資料館」を運営している
・土方の刀「兼定」は、「土方歳三資料館」で、土方歳三の命日に合わせて、年に一ヶ月ほど展示されている
以上となります。
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ありがとうございました
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