『は』

《沖田総司》
「引用元『いらすとや』より」
「新選組」の「沖田総司」といえば、年若く病気で亡くなった為に、どこか儚い印象がありますね。
幕末屈指の剣豪が病気で亡くなるという事実に、世間は「色白で繊細で…」というイメージを持つ方が少なからずいらっしゃるかな、と思います。
実際の彼は、どんな容姿をしていたのか。
そしてそんな「儚いイメージ」から「女性説」もあるようです。
今回は当時の証言を元に「沖田総司の容姿」について調査していきたいと思います。
どうぞお付き合いくださいませ。
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拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
- 沖田総司は「ヒラメ顔(寄り目)で色黒、笑うと愛嬌があり、猫背な長身」と証言されており、子供に優しかった。イケメンではないかもしれないが、心が美しい人だった
- 沖田総司の写真は現存していない。姉「ミツ」の孫「要」という人が「沖田総司」に似ていたため、「要」をモデルに作成された肖像画が残されている。
- 「沖田総司は女性だった」という説があるが、可能性は極めて低いだろう。
幕末最高の美男子「沖田総司」は本当に「イケメン」だったのか?
新選組の「沖田総司」といえば、剣術の腕前は高く、若くして労咳(肺結核の事です。当時は不治の病とされていました)で亡くなった事などから
「夭折(ようせつ)の美剣士」
と謳われているほど。
さて・・・・そんな彼は本当に「美剣士(イケメン)」だったのでしょうか。
当時の証言をご紹介します。
「沖田はヒラメ顔で、色黒。
笑うと愛嬌があり、猫背で長身」
現代で言うところの「ヒラメ顔」は「離れ目」ですが、当時のヒラメ顔は「寄り目」の事を指していたそうです。
肌の色は色白と思っていたら、色黒なんですね。
想像とは全く真逆になってきました。
でも「背が高くて笑顔が可愛い」のってすごく素敵ですよね。
イメージは「黒猫」でしょうか(笑)
もう一つ、イメージを定着させたであろう根拠をご紹介いたします。
新選組を語る上では外せないバイブル「燃えよ剣」(著:司馬遼太郎)の中で、沖田総司の容貌を「ちょっと色小姓にしたいような美貌」と表現されている事も要因のひとつだと思います。
しかし私的にですが、史実の証言の中に「沖田総司」のことを好きになったポイントがあります。
以下、当時の証言です。
「よく冗談を言い、ほとんど真面目になっていることはありませんでした。
酒は呑んだが女遊びはしなかったようです。
近所の子守や私たち子供相手に、往来で鬼ごっこをやったり壬生寺の境内を駆け回って遊んでいました。」
(八木為三郎:談)
余談ですが、この「八木為三郎」さんは「新選組」が江戸から京都にやってきた時に、仮住まいをさせていた八木家のお子さんです。
当時はまだ幼く、よく沖田に遊んでもらっていたようです。
本題に戻りますが沖田総司の「見た目」は、もしかしたら「イケメン」とは呼べないかも知れません。
しかし心根はとっても綺麗で純粋な人だったんだろう、と推測できます。
人と斬り合う殺伐とした日常の中で、美しい精神を保つ事はなかなかに難しい事と思います。
「ヒラメ顔」「長身」「色黒」といっても、私個人としましては「美しい精神」だけで十分「イケメン」だと思いますが、皆さんはどう思われますか?
沖田総司の顔写真の真実!全然イケメンじゃない?

《沖田総司?》
「引用元『幕末ガイド』より」
●実は、沖田総司の写真は現存していません。
上の肖像画を見てビックリされた方も多いと思いますが(私も初見では非常に驚きました)、こちらの肖像画はモデルになっている方がいます。
昭和4年に沖田総司の長姉「ミツ」さんが、自分の孫である「要」氏を「どことなく総司に似ている」と評したことから、その要氏をモデルに描かれたものです。
確かに愛嬌のあるお顔をしていらっしゃいますね。
もう一つ、「沖田総司ではないか」と言われている写真がこちらです。

《沖田総司?》
「引用元『ヤフー知恵袋』より」
こちらの写真はなぜか「はっぴ姿」で写っています。
どう見ても武士の姿ではないですね。
こちらの写真を使った動画がありましたのでご紹介します。
動画内の説明文にもある通り、イメージイラストなんだそうです。ご本人の写真ではないので、お含みおきくださいね。
結論といたしましては、当時の彼を写す写真や本人を描いた肖像画がない以上、「イケメンであるかないか」については非常にナイーブなお話になりますね。
しかし人柄は好青年といった風であり、「誰からも愛された好人物」であったことは確かなようです。
沖田総司は「女性だった」という説は、本当か?
突拍子もない事ですが、「沖田総司 女性説」もあります。
先程お話しした容姿の事柄にも関わってくるのですが、沖田家には世間に広まっている伝聞「色黒・長身」とは真逆の「色白で小柄なひとだった」と伝わっているそうです。
もしその話が真実であるならば、仮説ではありますが「沖田総司 女性説」は沖田家に伝わる内容を汲み取って、沖田総司が女性として登場する演劇「幕末純情伝」(作・つかこうへい)が創作されたのではないかと思います。
こちらの作品が人気となり、「沖田総司 女性説」が浮上したものと考えられます。
あり得ない話ではありますが、架空でも仮説でも、歴史に興味を持ってもらうキッカケとしては有りなのかなと思います。
『沖田総司』について「ひとこと」言いたい!
「沖田総司」という人は、比較的現代に近い実在した人物であるにも関わらず、あまりにも謎が多い人だと思います。
それが輪をかけて人々のいろいろな空想に影響されて、現代の「沖田総司」像というものが創り上げられたのではないかと思います。
男女問わずミステリアスな人って、どこか魅力を感じますよね。
まとめ
本日の記事をまとめますと
-
- 沖田総司は、決してイケメンとはいえない容姿だったと考えられるが、子供にとても優しい人だった
- 沖田総司の写真は現存していない。姉の孫「要」をモデルに書かれたという肖像画は残っている。
- 「沖田総司 女性説」は、可能性が低い
- 沖田総司は、決してイケメンとはいえない容姿だったと考えられるが、子供にとても優しい人だった
以上となります。
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