皆さんは「明治維新(めいじいしん)」とは何かを、ご存知でしょうか?
実は明治維新について、くわしく知っている方は、それほど多くないみたいです。
この記事では明治維新を、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。
今は明治維新について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。
これを読めば、誰かに説明できるほど、明治維新に詳しくなれます。
この記事を読んで、明治維新の疑問をスッキリと解消していただけたら、これほど嬉しいことはありません。
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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
1,明治維新とは何か?
明治維新とは、【1868年】に起こった革命のこと。明治維新により、江戸幕府という政治組織が消滅し、明治新政府という新しい政治組織が日本を支配するようになった。
2,明治維新とは、いつ起きたのか?
明治維新がいつ起こったのかについては、諸説あるものの【1868年10月23日】と考えられる。この日、日本は元号を【慶應】から【明治】へと改めている。
3,明治維新は、なぜ起こったのか?
日本は当時、【1853年】のペリーがひきいた黒船来航以来、西欧列強諸国からの圧力に苦しめられ、侵略されかねない危機におちいっていた。
弱体化した江戸幕府を滅ぼして、新しい強い政治組織をつくりあげるために、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允らは明治維新を起こした。
つまり【日本を外国による侵略から守るために、明治維新は起きた】ということ。
明治維新とは何か!世界一カンタンに解説
明治維新とは、【1868年】に起こった革命のことです。
革命とは、それまでの政治を行う仕組みを一新し、新しい政治の仕組みを作り上げる行為のことです。
当時の日本では【1603年】に徳川家康が作った臨時政府・江戸幕府が、日本の政治を行っていました。
その江戸幕府という臨時政府が、西郷隆盛ひきいる薩摩・長州連合軍によって倒されたのです。
これにより誕生したのが、明治新政府です。
それまで日本を支配して政治を行っていた【江戸幕府】という組織が消滅し、新しい【明治新政府】という組織が日本を支配して政治を行うようになったわけです。
この、日本を支配する組織が交代したことを、のちの人々が明治維新と呼んだわけです。
明治維新の前と後で、何が変わったのかというと「日本を支配していた政府が変わった」といえます。
当時の人々は、これを御一新(ごいっしん)と呼んでいました。
つまり、政治のやり方を一新してより良いものに変えた、というわけです。
憲政史家の倉山満先生は、この「御一新」について、こんなことをおっしゃっておられました。
革命でもなくレボリューションでもない『御一新』
つまり「御一新」という日本流の革命のやり方が、のちに明治維新と呼ばれるようになったのです。
「維新」とは、「御一新」という言葉が変化したものなのです。
この記事は、幕府や朝廷というものが何なのかを知っていれば、さらに理解が深まると思います。幕府や朝廷については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております
明治維新が起きたのは、いつ?
一般的には、明治維新がおこったとされるのは【1868年10月23日(旧暦・明治元年9月8日)】であるとされています。
【1868年10月23日(旧暦・明治元年9月8日)】に、日本はそれまでの慶應という元号から、明治という元号へと変わっているのです。
しかし、実は明治維新が起きた日というのは、諸説あります。
「明治維新が始まったとき」がいつなのか、諸説あるわけですが、その説を一覧にすると、以下のとおりです
また「明治維新が終わったとき」がいつなのか、終期の説を一覧にすると、以下のとおりです。
つまり、諸説あるものの明治維新は【1867年】から始まり、最長で【1889年】に完了した、といわれているわけです。
明治維新によって明治新政府が誕生するまで日本を支配していた江戸幕府は、【1867年】の大政奉還で事実上滅亡しています。
その後、江戸幕府は江戸城無血開城によって、完全に消滅します。
この大政奉還と江戸城無血開城という二つの出来事によって、それまで200年続いた江戸幕府という日本の支配体制は完全に崩壊したのです。
大政奉還や江戸城無血開城について、くわしく知っていると、この記事の理解がさらに進むとおもいます。大政奉還・江戸城無血開城については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。
なぜ明治維新は起きたのか?
なぜ明治維新が起こったかというと、弱体化してしまった江戸幕府という支配体制では、日本が外国に侵略されてしまうからです。
だから、外国の侵略から日本を守ろうとした日本人たちは、江戸幕府という弱い組織を破壊して、新しい政府をつくろうとしたのです。
【1853年】、アメリカのペリー提督が、黒船という巨大な軍艦をひきいて日本に来航しました。
このときペリーは、日本に対して圧力をかけました。
「日本はアメリカと条約を結べ。さもないと日本に戦争を仕掛けるぞ」
当時の日本は、アメリカと戦争しても絶対に勝てないほどに弱体化していました。
その圧力に屈服して、日本は【1853年】に日米和親条約、【1858年】に日米修好通商条約という条約を結びます。
この条約は、日本にとってとても不利な、不平等な条約でした。
当時の日本人は、「日本は世界最強の国である」と勘違いしていたため、アメリカに屈服して不平等な条約を締結した幕府に激怒します。
アメリカなど倒してしまえばよいのに、なぜ不平等な条約を結ばなくてはならないのか?
というわけです。
そのため、この日米修好通商条約を締結した井伊直弼を暗殺するという暴挙にでてしまうわけです。(桜田門外の変)
ところが、薩英戦争や下関戦争によって、日本は欧米諸国と戦争をし、外国の強さを思い知らされます。
「日本は世界最強の国などではなかった。
だとすれば、弱体化した幕府という臨時政府を滅ぼして、新しい強い日本政府を作らなくてはならない」
そう考えた者たちが、鳥羽・伏見の戦いから始まる戊辰戦争を起こして江戸幕府を倒したのです。
この三名が中心となって、坂本龍馬らの協力を得て、【1868年】ついに江戸幕府は崩壊したのでした。
井伊直弼については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。
『明治維新』のあとに起こったこととは?
明治維新のあと、日本は日米修好通商条約などの不平等な条約を改正することに全力を注ぎ始めます。
そのために必要だったことは、「日本を西欧列強にも負けないほど、強い国にすること」です。
不平等条約を改正するために、明治政府は富国強兵、つまり経済力を強くして税金による収入を増やし、軍隊を強くする努力をすすめたのです。
【1871年】、明治維新から3年後にあたるこの年、日本は条約改正を目指して岩倉使節団と呼ばれる海外訪問団を送り出しました。
ところが、このときの日本はまだまだ弱かったため、岩倉使節団が目指した条約改正は、各国で次々と失敗しました。
そして、【1904~1905年】に日露戦争で強国・ロシアに勝利した日本は、ついに西欧列強からその強さを認められます。
【1911年】、日本は日米通商航海条約を締結することによって、ようやく不平等条約から開放されたのです。
明治維新から43年で、日本は強国の仲間入りを果たしたということです。
岩倉使節団についてくわしく知っていると、この記事の内容が、さらに深く理解できると思います。岩倉使節団についてくわしくは、以下のリンク記事で解説しております。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,明治維新とは何か?
明治維新とは、【1868年】に起こった革命のこと。明治維新により、江戸幕府という政治組織が消滅し、明治新政府という新しい政治組織が日本を支配するようになった。
2,明治維新とは、いつ起きたのか?
明治維新がいつ起こったのかについては、諸説あるものの【1868年10月23日】と考えられる。この日、日本は元号を【慶應】から【明治】へと改めている。
3,明治維新は、なぜ起こったのか?
日本は当時、【1853年】のペリーがひきいた黒船来航以来、西欧列強諸国からの圧力に苦しめられ、侵略されかねない危機におちいっていた。
弱体化した江戸幕府を滅ぼして、新しい強い政治組織をつくりあげるために、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允らは明治維新を起こした。
つまり【日本を外国による侵略から守るために、明治維新は起きた】ということ。
以上となります。
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