MENU

渋沢栄一の学歴と出身大学をご紹介!実は超エリートコースで学んだ秀才だった 

皆さんは「渋沢栄一の学歴・出身大学」を、ご存知でしょうか?

結論から言ってしまうと、渋沢栄一に学歴と呼べるものは何もなく、大学も卒業していません。

しかし渋沢は自分の学問だけではなく、日本の教育制度改革には熱心で、企業だけではなく、大学の設立・支援を行っていました。

渋沢栄一は、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京証券取引所、一橋大学・東京経済大学・日本女子大学・高千穂大学などの企業・大学の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれています。 1840年2月13日埼玉県深谷市生まれ。5歳から父に読書を教えられています。

大学経営についても明治8年(1875年)、渋沢は森有礼と共に商法講習所(東京商科大学と改名、現在は一橋大学)を設立し支援。 明治33年(1900年)、大倉商業学校(現・東京経済大学)の創立に協力。日本女子大学・二松學舍大学・高千穂大学の経営にも関与。早稲田大学・同志社大学・国士舘大学へ募金支援もしています。

この記事では「渋沢栄一の学歴・出身大学」への疑問をスッキリと解消できるように、カンタンにわかりやすく解説いたします。


スポンサーリンク


歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

1,渋沢栄一の「学歴」とは、どのようなものなのか?

渋沢栄一には、学歴と呼べるようなものはなにもない。

江戸時代の当時には、小学校から大学までの教育制度が存在していなかったため、渋沢栄一も学校には通っていない。

しかし栄一は、父・渋沢市郎右衛門やいとこ・尾高惇忠から学問を教え込まれており、とても熱心に学んでいた。

 

2,渋沢栄一の出身大学は、どこなのか?

渋沢栄一は大学を卒業していない。

ただし、渋沢栄一は江戸へ留学しており、当時としてはめずらしくフランスへ渡って視察旅行もしている。

 

3,渋沢栄一が関わった大学とは、どこなのか?

渋沢栄一は、

  1. 一橋大学
  2. 東京経済大学
  3. 日本女子大学
  4. 高千穂大学

などの創立や経営に関わっている。

それだけではなく、渋沢は数多くの大学に協力し、日本の教育制度の充実に力を尽くしてた。

渋沢栄一の「学歴」を一覧で紹介

渋沢栄一には、学歴と呼べるものは、ほとんど何もありません。

《渋沢栄一》
「引用元ウィキペディアより」

栄一が生まれたのは、江戸時代末期の【1840年】です。
(ちなみに「幕末」とは、ペリーによる黒船来航が起こった【1853年】から、明治維新が起こった【1868年】までをいう)

このころの日本では、まだ教育制度がほとんど何もありませんでした。

現在のような小学校から大学までの教育制度がなかったため、渋沢栄一も「学歴」と呼べるような経歴を何も持ってはいません。

当時は藩校と呼ばれる学校や、寺子屋という塾が存在はしていましたが、栄一はそんなところで学んだことなどなかったはずです。

ただし、渋沢栄一は幼い頃から学問に対して熱心でした。

彼には父やいとこに学んだ経歴があるので、それについてまとめてみました。

 

まずはその経歴を、ザッと一覧でご紹介したいと思います。

  1. 5歳で父・渋沢市郎右衛門元助から漢文の素読・大学・中庸・論語などを学ぶ
  2. 7歳で学者だったいとこの尾高惇忠から論語・四書五経・国史略・日本外史などを学ぶ
  3. 12歳でいとこの渋沢新三郎や農民出身の剣術家・大川平兵衛から神道無念流剣術を学ぶ
  4. 21歳で江戸に出て、儒学者・海保漁村に学び、千葉栄次郎から北辰一刀流剣術を学ぶ
  5. 27歳で徳川昭武とともにフランスへ向かい、ヨーロッパを視察

渋沢栄一の家系図・子孫」について、くわしくは以下のリンク記事で解説しております。

スポンサーリンク

5歳・父から学問を学ぶ

1840年】、大陸で「アヘン戦争」が勃発したこの年に、渋沢栄一は武蔵国榛沢郡血洗島(埼玉県深谷市血洗島)にて誕生

5歳になると、父親・渋沢市郎右衛門元助から漢文の素読をはじめとして「大学・中庸・論語」など、当時の一般教養を学びます。

父・渋沢市郎右衛門元助は、学問にとても熱心な人でした。

そのため、息子の栄一にも熱心に学問を叩き込んだようです。


スポンサーリンク

7歳・いとこ「尾高惇忠」から学ぶ

栄一が7歳になると、いとこの尾高惇忠(おだか あつただ)から学ぶようになります。
(尾高惇忠は通称・新五郎と呼ばれていた)

《尾高惇忠》
「引用元ウィキペディアより」

尾高惇忠は、近所でも有名な若手の学者でした。

彼は自宅で私塾を開いて弟子達に教えており、その中で渋沢栄一も学ぶこととなります。

栄一淳忠から「論語・四書五経・国史略・日本外史」など、当時は教科書としてつかわれていた書を学ぶことになります。

12歳のころから、栄一は近所の道場で大川平兵衛という剣術家から神道無念流の剣術を学んでいます。


スポンサーリンク

21歳・江戸で「海保漁村」と「千葉栄次郎」に弟子入り

1861年】、21歳になった渋沢栄一は、江戸へ出て、当時有名だった儒学者・海保漁村(かいほ ぎょそん)の塾で学ぶようになります。

海保漁村とは、当時最高クラスの儒学者で、日本中にその名がとどろいていた人物です。

この時代におこなわれていた江戸への留学は、現在でいうところの海外留学のようなものでした。

更に栄一は、江戸で剣術修行もしています。

千葉栄次郎が営む名門道場・お玉ヶ池の千葉道場で北辰一刀流剣術を学んでいるのです。
千葉栄次郎の叔父・千葉定吉は、坂本龍馬の師であり、龍馬の婚約者だった千葉さな子の父親)

坂本龍馬
『引用元ウィキペディアより』

余談ですが、渋沢栄一のいとこで、栄一の命を救った恩人・尾高長七郎は、当時関東でも屈指の剣豪として有名な人物でした。

 

尾高惇忠の弟で渋沢栄一の命の恩人でもある尾高長七郎について、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。


スポンサーリンク

27歳・フランスへ渡りヨーロッパ視察

1867年】、一橋慶喜徳川慶喜)に部下として仕えていた渋沢栄一は、27歳でフランスへと渡ります。

徳川慶喜
『引用元ウィキペディアより』

フランス・パリで行われた万国博覧会に出席する慶喜の弟・徳川昭武の随行員として同行したのです。

このとき栄一は、ヨーロッパの各国を視察して、世界を知るようになります。

江戸時代のヨーロッパへの留学や視察は、現代でいえば海外留学どころではなく、ものすごく貴重な体験だったと考えられます。

例えていうなら、江戸時代のヨーロッパ旅行は、現代の宇宙旅行にも匹敵するような、この上ない経験であったはずです。

渋沢栄一は、この貴重な経験から数多くのことを学び、のちの活躍に役立つのです。

以上が渋沢栄一の学歴と前半生の経歴となります。

現代人から見ると地味に見えるかもしれませんが、当時としては超エリートコースと言えるはずです。

近所でも有名な学者だった尾高惇忠から直接指導され、次には江戸留学し、挙句の果てにはフランスへ。

渋沢栄一は、当時としてはトップクラスのエリートだったのです。


「渋沢栄一の生涯年表」については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。

徳川慶喜一橋慶喜)」について、くわしくは以下のリンク記事で解説しております。


スポンサーリンク

渋沢栄一の「出身大学」はどこ?

渋沢栄一は、現代でいうところの「大学」というものを卒業していません。

栄一が生まれた江戸時代には、現在のような「小中高大の一貫教育」が存在していませんでした。

そのため渋沢栄一にも、大学に進学するという発想などなかったはずです。

ただし、栄一はとても学問に熱心な父親・渋沢市郎右衛門元助や、学者として有名な尾高惇忠から学問を教え込まれました。

さらには江戸で有名な儒学者・海保漁村から学び、その後はフランスへと渡っています。

江戸やフランスでの経験は、渋沢栄一にとっては大学進学や海外留学よりも価値ある経験だったことでしょう。

この経験が、のちに渋沢栄一の活躍を支える貴重なものとなっていくのです。


スポンサーリンク

渋沢栄一が関わった「大学」や「教育事業」を一覧でまとめて解説

渋沢栄一は、生涯に500の会社600~700の団体に関わったといわれています。

とくに教育については熱心で、数々の学校・大学の支援などを行っています。

ここでは、渋沢栄一がかかわった教育機関について、一覧でまとめたいと思います。

 

引用元・渋沢栄一が携わった事業一覧(公益財団法人・渋沢栄一記念財団より)


スポンサーリンク

渋沢栄一が設立や運営に関わった主な大学一覧

  1. 一橋大学(森有礼とともに設立を支援)
  2. 東京経済大学(大倉喜八郎とともに創立委員として協力)
  3. 日本女子大学(渋沢栄一が校長に就任)
  4. 高千穂大学(渋沢が評議員として活動)
  5. 二松學舍大学(渋沢が舎長・理事に就任)
  6. 国士舘大学(募金活動および支援)
  7. 同志社大学(募金活動および支援)
  8. 早稲田大学(募金活動および支援)

以下に、渋沢が関わった大学・教育機関を一覧でご紹介いたします。


スポンサーリンク

実業教育

  1. 東京商法講習所(一橋大学)
  2. 東京大学
  3. 共立統計学校
  4. 東京商業学校
  5. 工手学校(工学院)
  6. 高等商業学校
  7. 私立東京商業学校
  8. 大倉商業学校・大倉高等商業学校
  9. 全国地方商業学校長会議
  10. 新潟商業学校
  11. 財団法人岩倉鉄道学校
  12. 浅草商業補習学校
  13. 東京高等商業学校 付.社団法人如水会
  14. 京華商業学校
  15. 東京高等工業学校 付.手島工業教育資金団
  16. 神戸高等商業学校
  17. 蚕業講習所
  18. 全国実業学校長会議
  19. 名古屋商業学校 付.商友会
  20. 山口高等商業学校
  21. 東京市教育会附属実用夜学校
  22. 静岡市立静岡商業学校
  23. 横浜商業学校
  24. 慶応義塾商業学校
  25. 高千穂高等商業学校
  26. 大阪高等商業学校
  27. 東京市立商業学校
  28. 仙台商業学校
  29. 中央商業学校
  30. 早稲田工手学校
  31. 早稲田実業学校
  32. 長崎高等商業学校
  33. 下関商業学校
  34. 明治専門学校
  35. 東京高等蚕糸学校
  36. 兵庫県立神戸商業学校
  37. 松山商業学校
  38. 三重県立四日市商業学校
  39. 東京高等工芸学校
  40. 財団法人東京育英実業学校
  41. 東京商科大学 付.社団法人如水会
  42. 東京工業専修学校
  43. 帝国実業講習会
  44. 深谷商業学校
  45. 旅順工科大学

引用元「渋沢栄一が携わった事業一覧(公益財団法人・渋沢栄一記念財団より)」より


スポンサーリンク

女子教育

  1. 明治女学校
  2. 財団法人東京女学館 付.女子教育奨励会
  3. 共立女子職業学校
  4. 日本女子大学校
  5. 日本女子商業学校
  6. 日本女子美術学校
  7. 跡見高等女学校
  8. 京華高等女学校
  9. 女子英学塾(津田英学塾)
  10. 夕陽丘高等女学校
  11. 清水谷高等女学校
  12. 梅花高等女学校
  13. 梅田高等女学校
  14. 山陽高等女学校
  15. 山脇高等女学校
  16. 大日本婦人教育会
  17. 立教高等女学校
  18. 東京女子大学校
  19. 女子美術学校
  20. 武蔵野女子大学設立計画
  21. 神戸女学院
  22. 財団法人日本女子高等商業学校
  23. 普連土女学校
  24. 第一女子商業学院
  25. 川村女学院
  26. 昭和女子大学設立計画(京都)
  27. 向山寮

引用元「渋沢栄一が携わった事業一覧(公益財団法人・渋沢栄一記念財団より)」より


スポンサーリンク

一般教育関係

  1. 明治小学校
  2. 砂村小学校
  3. 同志社大学
  4. 深川区学務委員
  5. 滝野川村小学校
  6. 海軍予備黌(私立海城学校)
  7. 韓清語学校
  8. 慶応義塾
  9. 八基尋常高等小学校
  10. 埼玉学友会
  11. 大日本海外教育会・京城学堂
  12. 社団法人日本体育会
  13. 早稲田大学
  14. 明治法律学校(明治大学)
  15. 財団法人埼玉学生誘掖会
  16. 六間堀小学校
  17. 深川区教育会
  18. 台湾協会学校(東洋協会専門学校)
  19. 東京府教育会
  20. 京華中学校
  21. 財団法人高千穂学校
  22. 東京市教育会
  23. 本郷区教育会
  24. 韓国各地居留民教育施設
  25. 新田郡教育会
  26. 帝国教育会
  27. 専修学校
  28. 青山学院
  29. 暁星中学校
  30. 皇典講究所・国学院大学
  31. 静岡教育会
  32. 法政大学
  33. 青南尋常小学校
  34. 銀行倶楽部主催教育関係者招待会
  35. 八基村教育会
  36. 報知新聞社主催帝国教育会全国小学校教員会議議員招待会
  37. 財団法人二松義会
  38. 新潟師範学校
  39. 入間学友会
  40. 慈恵会付属医学専門学校
  41. 大里郡教育会
  42. 財団法人埼玉武曠寮
  43. 岡山中学校
  44. 日本橋聯合校友会
  45. 佐波教育会
  46. 麻布教育会
  47. 粕壁中学校
  48. 江原奨学資金
  49. 実業之日本社主催全国小学校成績品展覧会賞牌授与式
  50. 早稲田中学校
  51. 教育調査会
  52. 学習院輔仁会大会
  53. 埼玉学生誘掖会舎友会
  54. 水産講習所
  55. 第一高等学校
  56. 本所教育会
  57. 深川尋常小学校
  58. 阪門会
  59. 商船学校
  60. 帝国小学校
  61. 東京帝国大学ヘボン氏寄付講座
  62. 渡米小学校長団送別会
  63. 財団法人静岡育英会
  64. 社団法人東北学院
  65. 立教大学
  66. 財団法人二松学舎
  67. 国民新聞社主催国民教育奨励会第二回宣伝講演会
  68. 東京市小学校教員会
  69. 東洋大学
  70. 亜細亜学生会
  71. 財団法人国士館
  72. 英国皇太子殿下歓迎都下各大学専門学校学生生徒聯合会
  73. 財団法人興譲館
  74. 浦和高等学校
  75. 財団法人択善学舎
  76. 文政審議会
  77. 駿州学友会
  78. 故神田先生記念事業会
  79. 財団法人大川育英会
  80. 八基公民学校
  81. 財団法人日本国民高等学校協会
  82. 北豊島郡教育会
  83. 成城小学校
  84. 東京帝国大学新聞研究室
  85. 武蔵高等学校
  86. 学士会館
  87. 国民教化運動
  88. 財団法人駒込中学校
  89. 財団法人バチェラー学園後援会

引用元「渋沢栄一が携わった事業一覧(公益財団法人・渋沢栄一記念財団より)」より


スポンサーリンク

『渋沢栄一』について「ひとこと」いいたい

渋沢栄一は、読書家として有名な人物だったといわれています。

栄一の師であり、いとこでもあった尾高惇忠は、渋沢栄一に対して読書をするようにすすめたといいます。

ところが尾高惇忠は、渋沢栄一にたいして、「好きな本を読め」というだけで、なにか特別な本を読むように指示したことはなかったといいます。

三国志」や「南総里見八犬伝」など、当時から人気だった娯楽小説を、渋沢は熱心に読み進めたといいます。

このときの経験が活きて、渋沢栄一はのちに自ら読書を繰り返して自習するようになり、飛躍することができたと考えられます。

師に学ぶのではなく、本から学ぶ・・・。

そうすることで、いつでもどこでも好きなときに好きなところで学べるため、成長速度も他の人とは段違いだったのかもしれません。

インターネットで知りたいことは瞬時にわかる現代でも、情報の確かさや信頼度では、ネット情報よりも書籍のほうが優れているでしょう。

現代ならばネットも良いですが、渋沢栄一がしたように好きな本を読むことで、知識レベルを磨くことができるのではないでしょうか。


スポンサーリンク

まとめ

本日の記事をまとめますと

1,渋沢栄一の「学歴」とは、どのようなものなのか?

渋沢栄一には、学歴と呼べるようなものはなにもない。

江戸時代の当時には、小学校から大学までの教育制度が存在していなかったため、渋沢栄一も学校には通っていない。

しかし栄一は、父・渋沢市郎右衛門やいとこ・尾高惇忠から学問を教え込まれており、とても熱心に学んでいた。

 

2,渋沢栄一の出身大学は、どこなのか?

渋沢栄一は大学を卒業していない。

ただし、渋沢栄一は江戸へ留学しており、当時としてはめずらしくフランスへ渡って視察旅行もしている。

 

3,渋沢栄一が関わった大学とは、どこなのか?

渋沢栄一は、一橋大学・東京経済大学・日本女子大学・高千穂大学などの創立や経営に関わっている。

それだけではなく、渋沢は数多くの大学に協力し、日本の教育制度の充実に力を尽くしてた。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


スポンサーリンク

『渋沢栄一』関連記事

よろしければ、以下のリンク記事も、ぜひお役立てくださいませ。


スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

コメントする

目次