幕末、世界最強国「大英帝国(イギリス)」に、現在の鹿児島県こと「薩摩藩」が立ち向かった「薩英戦争」。
この薩英戦争、どちらが勝利したか、ご存知でしょうか?
当然、世界最強「イギリス」・・と言いたいところですが、「薩摩が勝利した」という意見もあるのです。当時世界最強だった「イギリス」に、「鹿児島県」が勝利していた?
この薩英戦争の時、英雄「西郷隆盛」はどこで何をしていたのか?
これらが簡単にわかるように、わかりやすく短く解説いたします。
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この記事を短く言うと
・「薩英戦争」とは、前年に起こった英国人殺傷事件「生麦事件」を発端として起こった「イギリス」対「薩摩藩」の戦争
・薩英戦争は「イギリス軍の勝利」だが、最終的に「賠償金」を払っていない「薩摩の勝ち」とみる意見もある
・薩英戦争のとき、西郷隆盛は「流罪」で「沖永良部島」にいたため、戦争に参加していない
「薩英戦争」とは何か?それまでの経緯をわかりやすく解説
大名行列を馬に乗ったまま横切ったイギリス人が、薩摩志士「奈良原喜左衛門」と「海江田信義」に切り殺された「生麦事件」。
イギリスは解決策として賠償金と処罰を求めてきます。
幕府は賠償金を支払いますが、薩摩藩はそれらを拒否。
業を煮やしたイギリスは、実力行使に出ます。
それが「薩英戦争」
これが「生麦事件」から「薩英戦争」までの簡単な経緯です。
「薩英戦争」の結果と勝敗!「薩摩」と「イギリス」どっちが勝った?
イギリスと薩摩の戦力差は、圧倒的なものでした。
最新式のアームストロング砲を含む89門の大砲を携えたイギリスは、鹿児島の街を破壊し賠償金を手に入れています。
このことから、薩英戦争はイギリスの勝利と言えるでしょう。
しかし、派手な砲撃の一方、薩摩側が受けた人的被害は思いのほか少ないものでした。
- 砲台の死傷者10名
- 市街地での死傷者9名
と言われています。
これに対し、英国艦隊は、
- 艦長と副長ならびに7名の水兵が戦死
- 6名が負傷
または
- 戦艦損傷3隻
- 死者20名
- 負傷53名
とも伝えられています。
結局、薩摩はイギリスに対して、6万300両という莫大な賠償金を支払うことになります。
ところが、賠償金は幕府が立て替えており、いまだに返済していません。
実質、一円も支払っていないのです。
こういったことから、一説には「薩摩藩の勝利」という意見もささやかれています。
「薩英戦争」のとき、「西郷隆盛」は何をしていた?
薩摩に巻き起こった薩英戦争。
この時、西郷隆盛はいったい何をしていたのでしょうか。
実は、島津久光への命令違反で「徳之島」へ、次に「沖永良部島」へ流罪になっていました。
生麦事件、薩英戦争と薩摩をめぐる緊迫した状況の中、2年で罪を許されて薩摩に戻ります。
薩英戦争に敗北した薩摩は「西郷隆盛」のカリスマ性を必要としていたのでしょう。
この後、西郷隆盛は大久保利通とともに薩摩藩の中心的人物として、倒幕に向けて活躍をしていきます。
「薩英戦争」について「ひとこと」いいたい
薩英戦争は「薩摩藩」の勝利だったのか?
敵艦の艦長と副艦長(つまりは敵の総大将)を倒し、しかも賠償金は支払っていない・・・。
「薩摩藩の勝ちだ」と言われても、否定できません。とはいえ鹿児島の町は焼き払われ、英国は賠償金を受け取っています。英国もまた「英国の勝ちだ」と主張していても、全然おかしくないのです。
拙者個人の意見を述べさせていただければ、この戦いを「薩摩の勝利」と言ってしまうと、これまでの歴史上全ての戦いについて、「勝敗」を検証しなおさなくてはならなくなりそうなので、「英国勝利」と言いたいと思います。
ただ、「薩摩勝利」ではないにしても、「賠償金を支払っていない」点から考えて「英国をだまし、幕府をだまし、策略をもって損害を最小限におさえた」とは言えると思います。
薩摩の作戦勝ち・・・かもしれません。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・薩英戦争とは、生麦事件を発端とした、薩摩とイギリスの戦争。
・薩英戦争はイギリスが勝利をしたが、被害や賠償金を払っていない点からみると薩摩勝利ともいえる。
・薩英戦争が起こったとき、西郷隆盛は島流しにあっており、薩英戦争が終わったあとで薩摩に呼び戻される。
大国イギリスと1つの藩である薩摩藩が戦った薩英戦争。
力の差を考えても、薩摩はかなり頑張った、と言えるのではないでしょうか。
以上となります。
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コメント
コメント一覧 (2件)
開戦事由が生麦事件の犯人の引き渡しで、講和条約以降イギリスが一切生麦事件に関して主張することがないので薩摩の勝利です
この度は当サイトをご利用いただき、ありがとうございました。
また、コメントを頂きましたことにも、お礼を申し上げます。
おっしゃることごもっともかと存じます。
私も、声を大にして、薩摩藩の勝利と叫びたいと思います。
とても貴重なお言葉を、本当にありがとうございました!