岩倉具視とは何した人なのか?超簡単に超わかりやすく解説してみた!

幕末明治の政治家「岩倉具視」とは、いったい何をした人なのかご存知でしょうか?

「何をしたのか?」と尋ねられても、ぱっと出てきませんよね。

岩倉具視は、幕末には「江戸幕府打倒」を、幕府を倒したあとの明治時代には「新政府の基礎作り」を行った「有名な政治家」なのです。

この記事では「岩倉具視」について、わかりやすく詳しく解説いたします。


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この記事を短く言うと

  1. 岩倉具視とは、幕末から明治にかけて、朝廷をみちびいたお公家さん。王政復古の大号令などを成功させ、明治期には「岩倉使節団」をひきいた政治家
  2. 明治の政治家「岩倉具視」は、昭和に再評価され、「500円のお札」になれたらしい
  3. 岩倉具視の死因は「喉頭がん」。日本人で初めて「がん告知」を受けた患者となった

岩倉具視とは、何をした人なのか?

《岩倉具視》
「引用元ウィキペディアより」

幕末期の公家で、明治初期に政治家として頭角を現した人物です。

「維新の十傑」の1人にも数えられています。

岩倉具視は、薩長と協力して、朝廷内での内部工作を行った人物。

宮中に勤め、公武合体に賛成の立場をとり、孝明天皇の妹・和宮と将軍・家茂の婚姻を進めようとしました。

しかし、反対する派閥より攻撃され、岩倉は宮中を去ってしまいます。

その後、西郷隆盛大久保利通木戸孝允らのバックにつき、「倒幕」を画策するようになります。

将軍・徳川慶喜大政奉還をさせることに成功し、さらに、慶喜から「内大臣の地位」及び「徳川家の領地を返上させる」計画に参加します。

このことにより、王政復古の大号令が出され、慶喜を除外した新政府が樹立されます。

旧幕府との戊辰戦争は新政府の勝利に終わり、その後の新政権で、岩倉は外務卿や右大臣として活躍しました。

新政府で最高位についた岩倉具視は、1871年に岩倉使節団を率い、特命全権大使として欧米を視察しています。


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どうして岩倉具視だけが『お札』になったのか?

幕末明治の偉人は数多くいる中で、なぜ岩倉だけが「お札」のモデルに採用されたのかを考察してみたいと思います。

岩倉がお札に印刷されたのは昭和26年(1951年)年の戦後の混乱期のことであります。

この頃の政治には「日本の独立を促す」という考えが目立つようになってきました。

独立に向け、国民を奮い立たせるためには、時として思い切った政治改革を行う人物が求められることがあります。

幕末から明治に移り変わる激動の時代、新しき日本の指導者として活躍した岩倉が、昭和の時代に再評価されたのでしょう。

世間の非難に挫けず、己の信念を貫いた政治家として、岩倉がお札のモデルになったのではないかと思われます。

また、岩倉具視のお顔をお札に印刷することで、「偽造」を避ける効果もあったようです。

岩倉具視は「偽造」しにくいお顔だったのですね。

岩倉具視の最期は?

この時代の死病というと、労咳(ろうがい、肺結核のこと)や脚病(かくびょう、脚気のこと)が有名ですが、岩倉は記録に残る日本人初の「癌告知」を受けた人物でした。

明治16年(1883年)初め頃、岩倉には咽頭癌(こうとうがん)の症状が出始めていたそうです。

都内で治療を受け、明治天皇から数度の見舞いも虚しく、7月20日に59歳で息を引き取りました。

そして日本初の国葬が7月25日に執り行われたのです。


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『岩倉具視』について、レビュー(評論)!

岩倉具視・・・幕末の「江戸幕府打倒」は「西郷隆盛」が行いました。

その後の「明治新政府」の基礎作りは「大久保利通」と「岩倉具視」が行いました。

征韓論争」で敗北し、下野した「西郷隆盛」は

「大久保と岩倉公がいれば、何の心配もない」

と、安心しきって薩摩へ帰っています。

大久保利通の末裔である元内閣総理大臣「麻生太郎」さんも

「倒幕は西郷隆盛が行い、明治政府の基礎をつくったのは岩倉具視と大久保利通」

つまり「岩倉具視」は、とっても優秀な政治家であったということです。

ただ、大政治家「大久保利通」の影に隠れて、岩倉具視は若干存在感が乏しい気がします。

まぁ、大久保利通では、あまりにも相手が悪いのですけどね。

 

正直言えば、拙者、岩倉公にはそれほど良い印象を抱いていません。

以下の写真をご覧ください。

《岩倉使節団》
「引用元ウィキペディアより」

岩倉使節団の写真です。

左から、木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通です。

真ん中が「岩倉具視」です。

ふんぞり返っています。彼がどういう人物であったのかが、なんとなくわかる気がするのです。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 岩倉具視は、倒幕を画策し、大政奉還や王政復古の大号令を実現させ、維新後は外務卿、右大臣、特命全権大使として活躍した。
  2. 岩倉は、世間の非難に挫けず、己の信念を貫いた政治家として、お札のモデルに採用されたと思われる。
  3. 岩倉は日本人初の癌告知を受けた人物だった。

以上となります。

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