富国強兵とは?政策の意味を世界一わかりやすく簡単に解説!

教科書に登場する言葉「富国強兵」とは、いったいどういう意味なのでしょうか?

富国強兵とは、「産業を育てて国を豊かにし、産業で稼いだお金をつかって強力な軍隊をつくりあげること」を言うわけですが、どうして「富国強兵」が必要だったのでしょうか?

この記事では「富国強兵」とは何か、よくわからないという方のために、とてもわかりやすく簡単に解説いたします。


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この記事を短く言うa

  1. 富国強兵とは、産業を発達させ、軍隊を強くすること
  2. 具体的には、「学制」「地租改正」「徴兵令」で富国強兵を実現させた
  3. 富国強兵に成功した日本は、「日清戦争」「日露戦争」に勝利し、「日米修好通商条約」などの「不平等条約」を撤廃した

富国強兵とは何か?わかりやすく解説

「富国強兵」とは、明治政府が掲げたスローガンであり、明治政府の抱えている課題を表した言葉です。

「富国強兵」の「富国」とは、機械による工業・鉄道の整備による国家の資本主義化のことをいいます。

また、「強兵」とは、富国に基づいた近代的な軍事力の創設や増強のことを指します。


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富国強兵のため、具体的に行われた3つの政策

前の項目では、富国強兵の意味について簡単な説明をしましたが、ここでは富国強兵の具体的な「3つの政策」について解説していきたいと思います。

3つの政策とは

「学制」

「地租改正」

「徴兵令」

の3つのことです。

まず始めに、明治5年(1872年)に「学制」という制度が教育改革のため施行されました。

全国を学区に分け、それぞれに大学校・中学校・小学校を作ることを計画し、身分や男女の区別なく国民全員が学ぶことを目指した制度になります。

 

その翌年の明治6年(1873年)には、税制改革として地租改正(ちそかいせい)、軍事改革では徴兵令が行われています。

地租とは、土地自体に一定額の税金を割り当て、お金で納める新しい税制のことを指します。

江戸時代までの土地で生産した米を納める税制から、こちらに切り替えたことを地租改正といいます。

税を納める割合を土地の値段に対する一定とすることにより、明治以前の農作物の出来の良し悪しによって、政府に入る税金の額が変動することなく、安定した収入を確保することができるようになりました。


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徴兵制度とは明治国家が国民に兵役に服する義務を課す制度であり、現在の自衛隊のような志願兵制度の反対の意味を指す言葉になります。

明治新政府の軍は、薩摩(鹿児島県)・長州(山口県)・土佐(高知県)など諸藩の軍の合わさったもので、政府が独自に徴兵して組織した軍はありませんでした。

江戸時代までのひとりひとりの武芸の技に頼る戦い方では、明治時代の外国との戦争で勝利するのが困難で、国民全員で国防を担うことの必要性がありました。

そのため、徴兵令が施行されることになったのです。

明治時代になり、国民の対し多くの変化を求めた政府ですが、最終的な目的は「列強諸国から、国土と国民の生命・財産を守ること」だったといえます。


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改革の結果、日露戦争に勝利!条約改正に成功

まず始めに、日清戦争および日露戦争の簡単な説明をします。

日露戦争とは、1904~1905年(明治37年〜38年)に起こった、朝鮮半島と満州 (中国東北地方) の支配権を日本とロシア間の戦争のことをいいます。

また、日清戦争は日本と清国(中国)が 1894~1895年(明治27年〜28年)に戦った戦争のことです。

日清両国が、朝鮮の支配権を争ったことが原因となりました。

いずれの戦争も日本側の勝利に終わり、日本の国力が一定水準に達すると、列強(アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランス)に日本の国力を示す結果となりました。

中国や朝鮮への経済的・軍事的進出をするといった、列強と同様の植民帝国建設を目指すようになりました。

また、安政5年(1858年)に列強と締結した「安政の不平等条約」を1911年(明治44年)に撤廃することに成功。

「安政の不平等条約」とはとの間に結んだ不平等条約のことで、「治外法権」と「領事裁判権」という内容が決められていました。

「治外法権(ちがいほうけん)」とは、日本にいる列強国人は、日本の法律ではなく、列強国の法律で裁くことです。

また、「領事裁判権」は日本にいる列強国人が、日本で犯罪を犯した場合は、列強国の領事(外交官の一種)が裁くことを指します。

どちらの内容も日本側にとって不平等なものなのですが、安政の頃に、江戸幕府の大老井伊直弼が列強に屈したため結んでしまった条約でした。

この不平等条約撤廃も、大国との戦争の勝利も、富国強兵によって日本が近代化、国力増強を図った結果といえます。


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『富国強兵』について、レビュー(評論)!

列強が群れを成す「ヨーロッパ」では、この時「鉄血宰相・ビスマルク」が「ドイツ」を建国し、ずば抜けた外交力を駆使してイギリス・フランス・ロシアを翻弄していました。

これにより日本は時間を稼ぐことに成功。この時間を有効に利用して「富国強兵」に成功しました。

しかし、日本国内では大きな問題を抱えていたのです。それは「自由民権運動」・・。

国民が「民力休養」を目的に「減税」を求めてきたのです。

当時の日本は確かに富国強兵に成功しました。

しかし、それでも大国「ロシア」や「清」に対抗できる状況ではありません。

そのため減税などできない相談だったのです。

明治初期の政府首脳陣について調査すればするほど、金銭的問題による「苦悩」はとてつもないものがあったことがわかります。

吉田松陰の弟子「品川弥二郎」は、第二回衆議院選挙で「選挙干渉」をするほどに追いつめられています。それほど、当時の日本では「減税」などできない相談だったのです。つまり「金がなかった」のでした。

それでも後に「五大国」の一角に食い込むほどの急成長と、「日清戦争」「日露戦争」で勝利するほどの力を持つに至った・・・日本の富国強兵は成功した・・と言えるのではないでしょうか。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「富国強兵」とは、明治政府が掲げたスローガンであり、国家の資本主義化と近代的な軍事力の創設や増強のことを指す。
  2. 富国強兵の具体的な政策は、学制・地租改正・徴兵令の3つである。
  3. 日清戦争・日露戦争の勝利が安政の不平等条約の撤廃につながった。

以上となります。

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