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長州藩士の有名人物一覧!吉田松陰・高杉晋作など過激派の巣

幕末「長州藩」、歴史に名を残した「有名な偉人」たちを、まとめてご紹介いたします。

長州藩に「吉田松陰」や「高杉晋作」などの「過激な活動家」が多いのは、なぜなのか?

「過激思想の原因は、天才『吉田松陰』先生が育て上げた『松下村塾』の人材が、藩の実権を握っていたから」


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この記事を短く言うと

・長州藩には「吉田松陰」「木戸孝允」「高杉晋作」「久坂玄瑞」「伊藤博文」「山縣有朋」などの有名な偉人がたくさんいる

・長州藩士には「過激」な人材が多いが、その理由は、彼らの師である「吉田松陰」の思想が過激だったから

・長州藩の中で最も有名な人物と言えば「吉田松陰」だろう


長州藩の有名人一覧

幕末の「長州藩」といえば、後に『薩摩藩』と「薩長同盟」をむすび、260年続いた「徳川幕府」を倒した藩です。

その幕末・長州藩には、現在まで名を残す「偉人」が数多くいます。

「長州藩の有名人」について、まとめて簡単に解説いたします。



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・「赤禰武人(あかねたけと)」

奇兵隊」総管。松下村塾の塾生

1866年処刑

 

・「荒川邦蔵(あらかわくにぞう)」

福井県知事。幕末に生まれ、明治時代に活躍した政治家

1903年死去

 

・「有地品之允(ありちしなのじょう)」

海軍軍人。貴族院議員。戊辰戦争で活躍。

1919年死去

 

・「伊藤博文(いとうひろぶみ)」

初代内閣総理大臣。幕末にイギリスへ秘密裏に留学した5名。通称「長州ファイブ」の一人

1909年暗殺

 

・「井上馨(いのうえかおる)

農商務大臣・内務大臣を歴任。長州ファイブの一人。松下村塾の塾生ではない。

1915年病死

 

・「井上勝(いのうえまさる)」

長州ファイブの一人。「日本鉄道の父」

1910年病死

 

・「入江九一(いりえくいち)」

松下村塾四天王の一人

1864年「禁門の変」で戦死

 

・「遠藤謹助(えんどうきんすけ)」

長州ファイブの一人。大阪造幣局長。大阪造幣局「桜の通り抜け」を始めた人物。

1893年死去



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・「大村益次郎(おおむらますじろう)

東京・靖国神社に銅像が建つ天才軍学者

1869年暗殺

 

・「桂太郎(かつらたろう)」

第11・13・15代内閣総理大臣。首相在任期間最長だった通称「ニコポン宰相」

1913年病死

 

・「楫取素彦(かとりもとひこ)」(別名・小田村伊之助)

群馬県令。吉田松陰の妹「寿」結婚。「寿」の死後、その妹「美和」と再婚。

1912年死去

 

・「木戸孝允(きどたかよし)」(別名・桂小五郎)

西郷隆盛大久保利通と並ぶ「維新三傑」の一人にして長州藩のリーダー

1877年病死

 

・「久坂玄瑞(くさかげんずい)」

吉田松陰の門弟であり、義弟。「松下村塾四天王」の一人。吉田松陰の妹「美和」の夫。

1864年「禁門の変」で自刃。

 

・「周布政之助(すふまさのすけ)」

長州藩士。禁門の変や長州征伐の責任をとって切腹した

1864年切腹

 

・「高杉晋作(たかすぎしんさく)」

松下村塾四天王の一人。「功山寺挙兵」で長州を倒幕に導き、「四境戦争(第二次長州征伐)」で幕府を撃破する。

1867年病死

 

・「玉木文之進(たまきぶんのしん)」

吉田松陰の養父。兵学者。「萩の乱」の責任をとって切腹

1876年切腹

 

・「品川弥二郎(しながわやじろう)
松下村塾の塾生。のちの枢密院顧問。衆議院選挙で選挙干渉。
1900年死去



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・「世良修蔵(せらしゅうぞう)」

新政府軍参謀。戊辰戦争に参戦。

1868年暗殺

 

・「広沢真臣(ひろさわさねおみ)」

維新十傑の一人。明治新政府の参議。

1871年暗殺

 

・「前原一誠(まえはらいっせい)

維新十傑の一人。松下村塾の塾生。徴兵令に反対して「萩の乱」を起こし処刑。

1876年処刑

 

・「椋梨藤太(むくなしとうた)」

長州藩政務担当。高杉晋作の「功山寺挙兵」に敗北した

1865年処刑

 

・「毛利敬親/慶親(もうりたかちか/よしちか)

長州藩13代藩主。通称「そうせい侯」。吉田松陰らの有能な人材を守った、人使いの名人

1871年死去

 

・「山尾庸三(やまおようぞう)」

長州ファイブの一人。法制局の初代長官

1917年死去

 

・「山縣有朋(やまがたありとも)」

第3・9代内閣総理大臣。日本陸軍をつくった「国軍の父」「元老中の元老」

1922年病死

 

・「山田顕義(やまだあきよし)

吉田松陰最期の弟子にして天才軍学者兼法律家。日本大学・國學院大學の基礎を作る

1892年病死

 

・「吉田稔麿(よしだとしまろ)

松下村塾四天王の一人。秀才だったが「池田屋事件」で戦死

1864年戦死



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長州藩士は、結構早くに亡くなる方が多いです。

明治維新が起こった「1868年」を前に、「吉田松陰」やその弟子たち「久坂玄瑞」「高杉晋作」「吉田稔麿」「入江九一」などの「松下村塾四天王」は全員が亡くなっています。

「伊藤博文」「山縣有朋」たちも生き残ってはいたものの、久坂や高杉に比べると、能力が低いです。

対して薩長同盟を結んだ盟友「薩摩藩」は、「西郷隆盛」「大久保利通」「黒田清隆」たち、優れた人材が残っていました。

なぜ長州藩は、そんなに早く亡くなる人が多いのか?

理由は簡単。「長州藩士は過激派が多いから」です。つまり「命知らず」が多いのです。


吉田松陰」「久坂玄瑞」「高杉晋作」らの【最期】について、よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

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長州藩に『過激派』が多いのは、なぜ?

どうして長州藩には「過激派」が多いのでしょうか?

理由は簡単で、「吉田松陰の弟子たちが、藩の中心にいたから」です。

吉田松陰・・・・松下村塾で「久坂玄瑞」「高杉晋作」「吉田稔麿」「入江九一」たちを育てた「天才的教育者」。

松陰の思想は、「日本を守るため」なら、どんなことでもやろうとする、非常に過激なものでした。

「行動することが何よりも大切だ」という考え方を持っていたため、たとえそれが「犯罪行為」であろうとも、「日本のため」なら迷うことなく行っています。

「密航」「暗殺」を計画したほどです。

その弟子たちも過激でした。「久坂」たちは「イギリス公使館」を焼き討ち。

「高杉晋作」は長州藩のトップの考えについていけず、「功山寺挙兵」というクーデターを強行。

松陰の弟子たちの中でも、特に優秀だった「四天王」と呼ばれた「久坂・高杉・吉田・入江」は、あまりにも過激だったためか、全員が若くして亡くなっているのです。


松下村塾」について解説させていただきます。よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

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長州藩で最も有名な人物は「吉田松陰」

有名な偉人が多い「長州藩」ですが、最も有名な人物といえば、やはり「吉田松陰」先生でしょう。

正確に言えば「吉田松陰」先生には、なにか具体的な功績はありません。

つまり、後世に残る「大きなお手柄」は何もないのです。

しかし、「伊藤博文」「山縣有朋」のような、後の「内閣総理大臣」を育て上げ、教科書で当たり前のように名前がでてくる「高杉晋作」のような偉人を教育したのです。

維新三傑の一人「木戸孝允」も、松下村塾の塾生ではなかったものの、吉田松陰の弟子でした。

個人的には「偉人を育てた」ということよりも、死をも恐れなかったその圧倒的な「行動力」こそが、素晴らしいと言いたいですが、やはりほかの「長州藩の偉人」に比べても、「吉田松陰」先生はスケールが違う気がします。


吉田松陰の過激な人生」について解説いたします。よろしければ以下のリンク記事お役立てくださいませ。

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『長州藩士』について、レビュー(評論)!

長州藩士たちは幕末の当時、日本の中でもっとも過激な「尊皇攘夷」思想を持っていました。

尊皇攘夷・・・・・つまり「天皇を守って、外国人を追い出そう」という思想のことです。

長州藩士は、その圧倒的な行動力で、他よりも過激に「尊皇攘夷」のために無茶をやらかしています。

そのせいで「下関戦争」「禁門の変」「長州征伐」などなど。これでもか!というほどに負けまくっています。

無茶な長州藩でしたが、坂本龍馬の仲介で「薩長同盟」を結んだことで、薩摩とイギリスの協力を得てから、勝ち始めます。

敗北を繰り返して、滅亡寸前まで追い込まれた長州藩。幕府を倒せたことは、奇跡と言ってもいいくらいの大逆転。

長州藩・・・・奇跡に彩られたその活躍・・・お見事です。


薩長同盟」について解説させていただきます。よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

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まとめ

本日の記事をまとめますと

・長州藩には「吉田松陰」「木戸孝允」「高杉晋作」「久坂玄瑞」「伊藤博文」「山縣有朋」などの有名な人材が多数いる

・長州藩が過激だったのは「吉田松陰」の教えが浸透していたため

・長州藩士の中でも「吉田松陰」が最も有名だろう

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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