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【品川弥二郎とは】子孫の現在と家系図を紹介!何した人かわかりやすく簡単に解説

松下村塾の塾生にして、明治時代に選挙干渉をした内務大臣「品川弥二郎(しながわやじろう)」について、わかりやすく解説いたします。

「品川弥二郎は、明治維新に力をつくし、内務大臣などをつとめたが、選挙干渉をして失脚」

品川弥二郎の末裔・子孫は、21世紀の現在も続いております。


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この記事を短く言うと

・「品川弥二郎」とは、松下村塾の門下生にして、吉田松陰先生の弟子。「薩長同盟」締結に尽力。その後、内務大臣などを務めた

・弥二郎には息子「弥一」、孫「清太郎」がおり、現在も子孫が続いている

・品川弥二郎は選挙干渉をして、死者まで出したものの、選挙干渉の甲斐なく、野党(民党)が勝利した


品川弥二郎の功績とは?

松下村塾の門下生にして、吉田松陰の愛弟子の一人「品川弥二郎」

≪品川弥二郎≫
「引用元ウィキペディアより」

後に明治新政府で「内務大臣」を務めた「品川弥二郎」の功績とは?



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『品川弥二郎』の功績

品川弥二郎の功績を短く解説いたします。

・幕末の日本で、尊王攘夷運動に尽力した(高杉晋作たちとともにイギリス公使館焼き討ちに参加)

・「禁門の変」で、一部隊を率いて奮戦

薩長同盟締結に尽力

戊辰戦争に参戦し、東北地方を転戦

・新政府において、内務大臣などの要職を歴任

数々の功績を残した松下村塾の一員「品川弥二郎」

しかし、そんな品川弥二郎には、「選挙干渉」という一つの汚点が残されています。



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子孫と家系図

品川弥二郎の子孫は、現在も続いているのでしょうか?

調べてみたところ、品川弥二郎の「玄孫(孫の孫)」が、現在も続いていることがわかりました。

品川弥二郎の息子「弥一」には、男児がおらず、「清太郎」という養子をもらっています。

その清太郎の孫が「貴昭」氏と「知子」氏・・・・。二人とも昭和50年代に誕生しておられますので、現在もご壮健であることが伺えます。

「家系図の引用等はご遠慮くださいませ」

品川弥二郎の子孫は、現在も続いている・・・ということです。



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選挙干渉した・・・にもかかわらず、大敗!なぜ?

品川弥二郎には、1892年「第二回衆議院選挙」で「選挙干渉」をした・・・という汚点があります。

「第二回衆議院選挙」と言えば、海軍大臣「樺山資紀」の「蛮勇演説」が有名です。樺山海相は、批判が集中していた「薩長閥」を擁護する演説を行います。後に「蛮勇演説」と呼ばれるこの樺山海相の演説に批判が集まり、松方正義首相は、衆議院解散に追い込まれ、「第二回衆議院選挙」が行われることとなったのです。

「民力休養・政費節減」・・・当時の野党(民党)のスローガンです。すなわち「減税しろ」ということ。しかし、当時の日本はまだまだ富国強兵の最中。大国ロシアの圧力を受けて、急いで国力を整えなくてはならないとき。そんな時に減税など、できない相談でした。

しかし・・・選挙をやったら「減税」を掲げる「民党」が勝利する可能性大。与党(吏党)が勝利する可能性は低い・・・。

そこで内務大臣「品川弥二郎」は「選挙干渉」をおこなうのです。

品川弥二郎と松方正義は、各地の知事と相談し、与党に有利な票の集計を行うように画策。警察権力を使って、選挙干渉を強行。

しかし、当時の選挙権は「15円以上納税・25歳以上の男性」にしか与えられていませんでした。これが何を意味するのかというと、選挙権を持てるほどの資産を持つ男性は、士族・・・つまり武士出身者が多かったということです。

元武士の方々に対して、警察がサーベルをもって選挙干渉なんかしたらどうなるか?

日本刀で反撃されるに決まっています。武士は元々「戦時」に務めを果たす「何世代にもわたって戦闘訓練を続けてきた究極の軍人」なのですから。

案の定、選挙干渉が起こった「高知」「佐賀」「福岡」「千葉」「熊本」で、死傷者が続出。死者25名・負傷者数百名という大惨事となります。有権者は、おとなしく警察の言うことを聞かなかったのです。

これで与党が勝利したか?というと、選挙干渉したにも関わらず、与党は野党(民党)に敗北・・・野党は議席を減らしはしたものの「40%」ほどの議席を確保。

品川弥二郎は、選挙干渉で死者を出してしまったことの責任を取り、陸奥宗光農商大臣とともに辞表を提出・・・。この選挙で松方内閣は次々と閣僚が辞職していき、最後は総辞職。

品川はその後、西郷従道たちと協力して政治団体「国民協会」をつくり、政治活動を続けます。

1900年、肺炎を起こして、品川弥二郎は他界。享年58歳。

 

それにしても・・・ロシアという圧力を目の前にして減税ですか?

通常近代化を目指す国家は、富国強兵を成し遂げて他国からの侵略を防ぐために、「民主主義」より先に「国家主義」を優先しなくてはならないはず。

明治政府が、奇跡のような近代化を成し遂げたのは確かなのですが、選挙を行って「民権運動」を盛り上げるのは、この時ちょっと早かったのではないかな?と思ってしまいます。

品川弥二郎の選挙干渉は、死者負傷者を出している時点で確かに間違っています。しかし品川弥二郎の「選挙を乗り越えないと日本が滅びる」という憂慮も理解できます。

ちなみに・・・「この頃の日本は『独裁』であったため、人権などなかった」・・・という説は当たりません。なんてったって「選挙干渉」しても「野党」が勝っているのですから・・・選挙干渉など通用しないほど、日本は民主主義国家だったということです。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・品川弥二郎は、後の内務大臣。松下村塾で吉田松陰に師事した人物

・品川弥二郎の子孫は、現在も続いている

・第二回衆議院選挙で、品川弥二郎は選挙干渉を行ったものの、大敗した

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


吉田松陰」「高杉晋作」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (6件)

  • こんにちは。
    品川弥二郎の系図に孫で文子さんってありますが、ひょっとしたらこれは私の祖母に当たる「婦美子」じゃないのかなぁ、と思います。

    • こんにちは
      ツォータン様!!とても貴重な情報を頂きましてありがとうございます!!
      まさか「品川弥二郎」大臣の末裔から、直接情報がいただけるとは思ってもみませんでした!!
      当サイトは非常にお粗末なものではございますが、本物の偉人の末裔と繋がることができ、大変光栄に存じます!
      素晴らしい情報をいただきまして、誠にありがとうございます!
      今後とも何卒、当サイトをよろしくお願いいたします!!
      ありがとうございました!!!

  • もちろん系図どおり別の「文子」さんという方がいらっしゃったのかも知れませんが・・・。
    ただ私の祖母の「婦美子」が品川弥次郎の孫娘であることは親戚一同の証言もあって間違いないと思います。
    祖母の母は「近藤」という家から嫁いでこられたそうで、祖母はこの近藤氏の元から東京の大学へ通っていたそうです。
    近藤氏の家は岩崎弥太郎の家の近くでもあり(湯島天神のすぐそば)、
    「岩崎の娘はお茶の水女子大に行けたけどお前はアカンかった」
    と言われ別の大学へ通っていたそうです。
    ただし祖母は大学時代にこっそりと森永ミルクキャラメルのキャンペーンガールをしていて、キャンペーン中に叔父の近藤氏に見つかりその格好のまま首根っこを捕まれて家に連れ戻され、こっぴどく叱られた上に大学をやめさせられた、という爆笑エピソードが残っています。
    (そのせいかどこの大学だったのか聞きそびれて誰も知りません・笑)

    祖母が亡くなって4年たちました。もう少しいろいろ話を聞いておけば良かったなぁ、と少し後悔しています。

    • 大変貴重なエピソードまで・・・。もはや感謝の言葉もございません。
      まさか「岩崎弥太郎」の名前まで出てくるとは思ってもみませんでした!!
      私のような歴史好きからすると、ツォータン様がくださったようなエピソードは、とてつもなく貴重で、めちゃくちゃうれしい宝のようなものなのです!!!
      キャンペーンガールをなさっておられたということは、とても美しいお方だったのですね。
      何卒、これからも、当サイトをよろしくお願いいたします!!!
      本来ならばお礼の言葉もないところですが、ありがとうございます!!
      本当にありがとうございます!!

  • 最後にこの人物を選んで分かった。

    求めておられるのは、前の方が書かれているようなコメントなのだ。私のような投稿は、確認して書き換えたりしなければならず、主宰者にとっては面倒なのだ。
    文中に「与党」とあるが、「吏党」だと思うなど、他にもいろいろあるが、やめておこう。

    いろいろ勉強になったこともありました。有難うございました。

    • こんにちは。
      いつも貴重なコメントをいただきありがとうございます。
      事情により対応ができず、申し訳ありません。
      先日も申し上げましたが、異議や誤字の指摘等大歓迎です。
      本音を申し上げております。
      ご意見を取り上げることができず、ご不満ごもっともですが、誹謗中傷など当サイトをご利用いただく方々を不快な気持ちにさせるコメントも全くありませんし、運営としてはお送りいただいたコメントに心から感謝しております。
      ただ、事情がありまして、当サイトへのコメントに対するお返事は基本的にはいたしておりません。
      ご異議等の反映は、時間はかかるかもしれませんが前向きに考えさせていただきますので、どうかお許しください。
      いつもお言葉をありがとうございます。
      心より御礼を申し上げます。

      ちなみに私自身は京都の人間でありませんが、京都人の血をひいております。いつも本音を隠しているわけではありません。

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