幕末の革命家・高杉晋作には、現在も続く子孫がいます。
この記事では「高杉晋作 子孫」をテーマに、息子の高杉東一から現在の当主・高杉力、さらにはベトナムでピザレストランを経営する末裔まで、家系図付きでわかりやすく解説します。
高杉晋作の子孫を家系図で一覧紹介
高杉晋作は慶応3年(1867年)、肺結核のため満27歳(享年29)で世を去りました。しかし、妻・雅子(まさ)との間に授かった一人息子・高杉東一を起点に、高杉家の血筋は現在まで脈々と受け継がれています。
まずは全体像を一覧でご覧ください。

以下の表で、高杉晋作から現在の当主まで、各世代の子孫を整理しました。
| 世代 | 名前 | 関係 | 主な経歴 | 生没年 |
|---|---|---|---|---|
| 本人 | 高杉晋作 | ― | 長州藩士・奇兵隊創設者 | 1839〜1867年 |
| 息子 | 高杉東一 | 長男 | 外交官・『英和新国民大辞典』纂訳 | 1864〜1913年 |
| 孫 | 高杉春太郎 | 東一の長男 | 陸軍主計少尉・商社勤務 | ?〜1957年 |
| 曾孫 | 高杉勝 | 春太郎の息子 | 大成建設勤務 | ?〜2010年 |
| 玄孫 | 高杉力(つとむ) | 勝の息子 | 現・高杉家当主 | 1965年頃〜 |
| 末裔 | 益子早苗(旧姓・高杉) | 高杉家の子孫 | Pizza 4P’s共同創業者 | ― |
| 末裔? | 金田一蓮十郎 | 母方の祖父が子孫と伝聞 | 漫画家 | 1980年〜 |
ここからは、各世代の子孫について詳しく解説していきます。
高杉晋作の息子・高杉東一|外交官として活躍した生涯
東一の生い立ちと教育
高杉晋作と妻・雅子の間に生まれた唯一の子供が高杉東一(たかすぎ とういち)です。元治元年(1864年)10月の生まれで、幼名は「梅之進」でした。
東一がわずか3歳のとき、父・晋作は肺結核で亡くなりました。その後は祖父・高杉小忠太(こちゅうた)や母・雅子に育てられ、明治に入ると祖父が長州藩史編纂の任に召喚されたことに伴い、東京へ移住します。
なお、高杉晋作は晩年に「谷潜蔵(たにせんぞう)」と改名して別家を立てていたため、東一は一時期「谷」姓を名乗りましたが、後に「高杉」に復姓しています。
外交官としての功績と『英和新国民大辞典』
東一は商法講習所(現在の一橋大学の前身)で学んだ後、外交官の道に進みました。明治15年(1882年)には伊藤博文に従って洋行し、その後ハワイやオーストリアなどに駐在しています。
また、明治21年(1888年)には『英和新国民大辞典』を纂訳(編集・翻訳)し、辻本尚書堂から出版しました。当時の日本における英語辞書編纂の重要な業績のひとつです。
「親の七光りはいらない」爵位辞退のエピソード
明治政府は、高杉晋作の功績を称えて高杉家に爵位を授けようとしました。しかし東一は、
「親の七光りということなら欲しくない」
と断ったと伝えられています。父・晋作譲りの気骨を感じさせるエピソードです。
東一の子供たち(二男二女)
東一は妻・茂(しげ)との間に二男二女をもうけました。しかし、そのうち3人は早くに亡くなっています。
| 名前 | 続柄 | 没年 |
|---|---|---|
| 高杉暢子(のぶこ) | 長女 | 1913年(大正2年) |
| 高杉治子(はるこ) | 次女 | 1897年(明治30年) |
| 高杉春太郎 | 長男 | 1957年(昭和32年) |
| 高杉晋二郎 | 次男 | 1911年(明治44年) |
唯一長命だった長男の高杉春太郎が、高杉家を継ぎました。東一自身は大正2年(1913年)に亡くなっています。
筆者・レキシル氏これは私の個人的な意見なのですが、高杉東一さんが爵位を断った件はさすがとしか言いようがありません。久坂玄瑞や高杉晋作と並んで、松下村塾三秀と呼ばれた傑物・吉田稔麿は、高杉晋作のことを走り出したら止まらない猛牛と評価したと言います。息子の東一さんにも、その血が色濃く受け継がれていたのでしょう。面白きことも無き世を面白く生きたお方な気がします
高杉晋作の孫〜曾孫|春太郎・高杉勝の時代
孫・高杉春太郎の経歴
高杉晋作の孫にあたる高杉春太郎は、戦時中は陸軍主計少尉として海外で活動しました。「主計」とは軍の経理を担当する職種です。戦後は商社マンに転身し、昭和32年(1957年)に亡くなっています。
曾孫・高杉勝と東行庵の遺品訴訟
春太郎の息子、つまり高杉晋作の曾孫にあたるのが高杉勝(まさる)です。大手建設会社大成建設に勤務していました。
高杉勝は、晋作の遺品をめぐって東行庵(とうぎょうあん)との間で訴訟を抱えていたことで知られています。東行庵は、高杉晋作の墓がある下関市のお寺で、晋作の遺品を数十年にわたって保管していました。その所有権をめぐる裁判が長期にわたって行われたのです。
高杉勝は平成22年(2010年)11月に77歳で亡くなりましたが、裁判は息子の高杉力が引き継ぎ、最終的に平成25年(2013年)の最高裁判決で高杉家側の勝訴が確定しました。
現在の高杉家当主・高杉力(玄孫)
現在、高杉家の当主を務めるのは、高杉晋作の玄孫(やしゃご=孫の孫)にあたる高杉力(つとむ)さんです。2013年4月の日本経済新聞の報道では、当時48歳と紹介されています。
遺品の萩市・下関市への寄贈
裁判勝訴後の2013年、高杉力さんは晋作の遺品を山口県の萩市と下関市に寄贈しました。寄贈された遺品には、晋作の日記や愛用の三味線、家紋入りの産着などが含まれています。
これらの遺品の一部は、現在下関市立東行記念館に保管・展示されています。山口県を訪れる機会があれば、高杉晋作ゆかりの品々を実際に見ることができます。
高杉晋作の家系は、令和の現在もしっかりと続いています。
高杉晋作の末裔・益子早苗とPizza 4P’s【ベトナムで活躍】
高杉晋作の子孫の中で、近年とくに注目を集めているのが益子早苗(ますこ さなえ)さん(旧姓・高杉早苗)です。
旧姓・高杉早苗さんの経歴
益子早苗さんは、もともとサイバーエージェントに勤務していましたが、現在は夫の益子陽介さんとともに、ベトナム・ホーチミン市を拠点にピザレストラン「Pizza 4P’s」(ピザ フォーピース)を経営しています。
Pizza 4P’sはホーチミンのほかハノイやダナンにも展開し、ベトナム国内外で30店舗以上を展開するまでに成長しました。2023年11月には東京・麻布台ヒルズにも出店し、日本でも話題を呼んでいます。
家紋「丸に四つ割菱」からPizza 4P’sのロゴへ
興味深いのは、Pizza 4P’sのロゴが高杉家の家紋「丸に四つ割菱」からアレンジされたデザインだという点です。この家紋は、戦国時代の名将・武田信玄の武田家にも使われた歴史ある紋章で、清和源氏の流れをくむものです。


「Wikipediaコモンズ」より引用
高杉晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」を地で行くような、挑戦的な生き方をされているのが印象的です。
漫画家・金田一蓮十郎は高杉晋作の子孫?
高杉晋作の子孫として名前が挙がることがあるのが、漫画家の金田一蓮十郎(かねだいち れんじゅうろう)さんです。
金田一蓮十郎さんは1980年9月21日生まれ、大阪府出身の女性漫画家です。「金田一蓮十郎」はペンネームで、本名は非公開となっています。代表作は「月刊少年ガンガン」で1996〜2009年に連載されアニメ化もされた『ジャングルはいつもハレのちグゥ』で知られています。
本人のTwitterでの発言
2010年7月、金田一蓮十郎さんは自身のTwitter(現X)で次のように投稿しています。
「なんだか母方のお爺ちゃんが高杉晋作の子孫…って話みたいですよ。山口出身の方で恐ろしく頭の切れる人だったとか。」
金田一蓮十郎(@ren10ro)2010年7月23日のツイートより
確定情報ではない点に注意
ただし、金田一蓮十郎さん本人も「話みたいですよ」という伝聞の形で述べており、高杉晋作との具体的な血縁関係を示す資料は公開されていません。本名が非公開のため、家系図上での位置づけも確認できないのが現状です。
あくまで「本人の祖父が高杉晋作の子孫を自称していた」という伝聞情報であり、確定した事実ではない点にご注意ください。
高杉晋作の妻・雅子と愛妾・おうの
高杉晋作の子孫を語るうえで欠かせないのが、晋作を支えた2人の女性の存在です。
正室・井上雅子の生涯
高杉晋作の妻雅子(まさ)は、弘化2年(1845年)に長州藩士・井上平右衛門の次女として生まれました。「萩城下一の美人」と評判の女性だったと伝えられています。
万延元年(1860年)、16歳のときに22歳の晋作と結婚しました。しかし、晋作は結婚後も各地を飛び回り、自宅にいた期間はわずか2年にも満たなかったといいます。
元治元年(1864年)に長男・東一を出産。慶応3年(1867年)に晋作が亡くなった後は、女手ひとつで東一を育て上げ、大正11年(1922年)に亡くなりました。
愛妾・おうの(梅処尼)と東行庵
高杉晋作には妻・雅子のほかに、おうのという愛妾がいました。天保14年(1843年)生まれで、下関の芸妓(げいぎ)でした。
おうのはおっとりとした性格で、晩年の晋作を献身的に看病したと伝えられています。晋作との間に子供はいません。
晋作の死後、おうのは剃髪して「梅処尼」(ばいしょに)と号し、下関郊外の東行庵で晋作の墓守りを続けました。明治42年(1909年)に66歳で亡くなるまで、生涯にわたって晋作の菩提を弔い続けたのです。
東行庵は現在も高杉晋作の墓がある場所として知られ、前述の遺品訴訟の舞台にもなりました。
高杉晋作を演じた俳優と映像作品|大河ドラマで子孫の物語も
高杉晋作は、その破天荒かつ劇的な生涯から、数多くの大河ドラマや映画で描かれてきました。とくに高杉晋作の最期や奇兵隊創設のエピソードは、映像作品の名シーンとして知られています。
| 作品名 | 放送年 | 高杉晋作役 | ジャンル |
|---|---|---|---|
| 花燃ゆ | 2015年 | 高良健吾 | NHK大河ドラマ |
| 龍馬伝 | 2010年 | 伊勢谷友介 | NHK大河ドラマ |
| 長州ファイブ | 2006年 | 寺島進 | 映画 |
| 奇兵隊 | 1989年 | 松平健 | ドラマ |
| 花神 | 1977年 | 中村雅俊 | NHK大河ドラマ |
とくに大河ドラマ「花燃ゆ」(2015年)は、吉田松陰の妹・文を主人公に、高杉晋作や久坂玄瑞ら松下村塾の志士たちの生きざまが描かれています。第36話「高杉晋作の遺言」は、晋作の最期を見届ける感動的なエピソードです。
また「龍馬伝」(2010年)では、高杉晋作と坂本龍馬の関係が伊勢谷友介の熱演で描かれ、大きな反響を呼びました。
高杉晋作の波乱の生涯や、子孫たちにつながるドラマを映像で体感したい方は、ぜひチェックしてみてください。「花燃ゆ」「龍馬伝」ともに現在配信中です。



「龍馬伝」で高杉晋作を演じられた伊勢谷友介さんが、5年後の「花燃ゆ」では吉田松陰先生を演じておられました。「龍馬伝」で、高杉晋作は坂本龍馬に対して、上海で手に入れたリボルバー銃をプレゼントするシーンが描かれていました。敵軍と開戦の最中に、三味線を弾きながら銃弾が飛び交う中を歩く様子は、異様なかっこよさでした。そんな高杉晋作を演じた伊勢谷友介さんが、今度は「花燃ゆ」で、吉田松陰先生を演じられたわけです。これもまたとても素晴らしい作品でした。高橋英樹さん演じる井伊直弼から「この世を乱しているのはお前たちではないか」と詰問され、「この国はもう、一握りの人だけでは支えられなくなっています」と、本当に誠を尽くして国を動かそうとしたシーンが、印象的でした。そして高良健吾さん演じる高杉晋作も、東出昌大さん演じる久坂玄瑞から、「お前の人生がつまらんのは、お前がつまらんからじゃ!」と激怒されるシーンが、強烈に印象に残っています。それに対してひとことも反論しない高杉晋作に、吉田松陰先生は「君は何を志しますか?」と問いかけます。そのとき高杉は、何を考えていたのでしょうか。
まとめ:高杉晋作の子孫は現在も各地で活躍中
この記事の要点を整理します。
- 高杉晋作と妻・雅子の間には、一人息子の高杉東一がいた。東一は外交官として活躍し、爵位を「親の七光りはいらない」と断った気骨の人物だった。
- 東一の長男・春太郎(孫)、春太郎の息子・高杉勝(曾孫)と家系は続き、勝は東行庵との遺品訴訟を抱えたが、最終的に高杉家が勝訴した。
- 現在の高杉家当主は、玄孫の高杉力さん。晋作の遺品を萩市・下関市に寄贈し、現在は下関市立東行記念館で一部が展示されている。
- 高杉晋作の末裔・益子早苗さん(旧姓・高杉)は、ベトナムで「Pizza 4P’s」を経営。東京・麻布台ヒルズにも出店し、家紋をロゴにアレンジするなど先祖とのつながりを大切にしている。
- 漫画家・金田一蓮十郎さんは「母方の祖父が高杉晋作の子孫らしい」と発言しているが、確定情報ではない。
高杉晋作が「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠んだその精神は、外交官となった息子、世界でレストランを展開する末裔と、形を変えながらも確かに受け継がれています。
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