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織田信長の功績を簡単にわかりやすく解説!信長がしたことまとめ

この記事では「織田信長がやったこと・功績」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「織田信長という人は、一体何をした人なのか」を、カンタンに理解できます。

 

「織田信長」は「既得権益を破壊した人」であり、「100年続く内戦を終わらせ、平和の基礎をつくった人物」なのです。


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

1,「織田信長」の功績とは?
信長は、「応仁の乱」から100年続いた内戦を終わらせる基礎をつくった

 

2,実際に「信長がやったこと」とは?
桶狭間の戦い」や「比叡山焼き討ち」、「長篠の戦い」や「石山戦争」など

 

3,信長がやったことには、どのような意味があったのか?
信長は、各地の実力者が持っていた「既得権益」を破壊した

「織田信長の功績」をカンタンにご紹介!

織田信長の「功績」を「ひとこと」で言ってしまうと、「平和の基礎をつくりあげた」と言えるでしょう。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

当時の日本は、【1467年】の「応仁の乱」から、100年もつづく「戦乱の世の中」でした。

 

「戦国時代」、すなわち日本国内では、今でいう「内戦」が勃発していたのです。

 

信長は、その「内戦」を、圧倒的な軍事力で鎮圧します。つまり「力づくで内戦を終わらせようとした」のです。

 

これにより、「100年」も続いた内戦は、終息へと向かいます。

 

残念ながら信長は、この「戦国時代」という「内戦の時代」を終わらせる前に「本能寺の変」で亡くなりました。

 

しかし、「信長」が「天下統一」目前までいったその功績は、「豊臣秀吉」に引き継がれてました。

 

1590年】、「豊臣秀吉」は天下統一を達成。

 

秀吉の死後は「徳川家康」が、信長・秀吉がつくりあげた平和を基礎にして、【264年】にも及ぶ「平和」な時代をつくりあげたのでした。

 

信長の働きがなかったら、この「徳川家康」が実現した「長く平和な時代」は、訪れなかったのです。

 

 

「本能寺の変」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「応仁の乱」については、以下のリンク記事をどうぞ。



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「信長がやったこと」を、一覧でご紹介!

「応仁の乱」から始まる「内戦」を終わらせ、「平和」の土台をつくりあげた「織田信長」ですが、そもそも具体的に何をしたのでしょうか?

 

「教科書」にも掲載されている、信長がなしとげた「歴史的事件」を、一覧でご紹介いたしますと、以下のとおりです。

 

  • 1560年「桶狭間の戦い」で「今川義元」を討伐
  • 1567年「稲葉山城を攻略・美濃国を制圧」
  • 1568年「足利義昭を連れて京都へ・畿内各地を制圧」
  • 1570年「金ヶ崎の退き口」で「浅井長政」と「朝倉義景」に大敗
  • 同年「姉川の戦い」で「浅井・朝倉連合軍」を撃破
  • 1571年「比叡山焼き討ち」で寺社勢力の既得権益を打破
  • 1573年「足利義昭」を京都から追放し、「室町幕府」を滅亡させる
  • 1575年「長篠の戦い」で「武田勝頼」を撃破
  • 1580年「石山戦争」を終結させ「石山本願寺」を屈服させる
  • 1582年「甲州征伐」で「武田勝頼」を討伐
  • 同年「本能寺の変」で「明智光秀」に討たれて戦死

 

特に有名な「歴史的事件」だけを取り上げました。

 

「桶狭間の戦い」、「長篠の戦い」については、以下のリンク記事をどうぞ。



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「信長がやったこと」には、どういう意味があったのか?

先程ご紹介した「信長がやったこと」には、そもそもどういう意味があったのでしょうか?

 

信長は「既得権益を破壊した」と言えます。

 

当時、「比叡山延暦寺」や「石山本願寺」などの宗教勢力は、「金貸し」やら「水運業者」やら、数々の金儲けの事業を行っていました。

 

しかも、現代とは異なり、これら「宗教勢力」が行う金儲けは、彼ら以外に誰も参入することが許されない、まさに「独り占め」の状態だったのです。

 

「宗教」というと、「祈りで人々を救う、とても徳の高い人々の集まり」だと思われるかもしれませんが、この時代の「宗教勢力」は、「金と武力」で自分たちの都合の良いように生きる、「バチあたりな勢力」だったのです。



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信長は、「既存(きぞん)の勢力」が持っていた「既得権益」すなわち「金儲けの特権」を、力づくでぶち壊したのでした。

 

「既得権益」を持っているのは、「宗教勢力」だけではありません。

 

各地にいた「戦国大名」たちは、長い間、その支配地域の利権を独占していました。

 

信長は、「戦国大名」たちを武力で滅ぼし、その既得権益を破壊。

 

こうして信長は、既得権益を守り、自分たちだけが利益を独占する仕組みを、広く多くの人たちに開いた、と言えるのではないでしょうか。

 

「既得権益」を破壊したことで、人々はさらに豊かに暮らすことができるようになりました。

 

これもまた「平和」への基礎となったはずです。



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もしも信長がいなかったら、歴史はどのように変わっていたのか?

もしも信長がいなかったら、「戦国時代」という「内戦の時代」は、さらに長く続き、「日本」はもっと貧しくなっていたかもしれません。

 

信長は「応仁の乱」から始まった「100年の内戦」を終わらせる基礎をつくりました。

 

信長がいなかった場合、内戦はさらに続いていたことになります。

 

もしかすると、さらに100年つづいていたかもしれません。

 

となると、「徳川幕府」で実現した「264年」の平和は、100年縮まります。

 

ということは、日本の「国内総生産」すなわち「国力」は、幕末には、実際より低くなっていたはず。



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幕末、「黒船来航」から始まった西欧列強からの圧力に、もしかすると、日本は屈服して、「植民地」となっていたかもしれません。

 

「西欧列強」の植民地となった「清」は、「香港」を奪われて、100年ものあいだ支配されていました。

 

日本も「太平洋戦争(第二次世界大戦)」に敗北して、「沖縄」をアメリカに長く奪われていました。

 

「信長」がいなかったら、もしかすると、今の日本も各地を奪われて、香港のように「他国の領土」となっていたかもしれません。

 

「明治維新」や「太平洋戦争」について、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「織田信長は、「応仁の乱」から続いた内戦を終わらせる礎をつくった

 

2,信長は、桶狭間の戦い」や「比叡山焼き討ち」、「長篠の戦い」や「石山戦争」などを成し遂げた

 

3,信長がやったことには、「既得権益」を破壊した、という意味があった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。



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