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【織田信長】家紋の意味や花の由来!読み方を画像付きで簡単解説!

織田信長の家紋「木瓜紋」

この家紋の意味と由来は?

読み方と画像を付け加えて簡単解説!

木瓜紋は、後に信長に滅ぼされる「朝倉」氏から贈られたもの?


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

・織田家の家紋「木瓜紋」は、きゅうりの断面図のような形で、織田家のものは「五瓜紋」と呼ばれている

・実際には「きゅうり」の断面ではなく、「鳥の巣」を上からみた形を模している

・織田家の「五瓜紋」は、後に織田信長に滅ぼされる「越前守護代・朝倉氏」から譲られたものという説がある


「織田家」家紋の画像

織田信長を輩出した「織田家」の家紋は「五瓜に唐花」と呼ばれるものでした。

引用元Wikipediaより

「きゅうり」の断面図のような家紋。

この「五瓜紋」という家紋を、織田家は使用していたのです。

五瓜紋は、その名の通り、円を5つに分断していますが、中には「六瓜」と言って、6つに分断されているものもあります



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「木瓜紋」の意味と由来とは?

木瓜紋は、「子孫繁栄」を願うものと言われています。

名前が「木瓜(きうり)紋」となっている上に、みた目が「きゅうり」の断面・・・。

ですが実はこれ、「鳥の巣」を上空からみた姿を表しています。

鳥は「卵」を孵化させて、子孫を数多く残しますので、それにあやかって「子孫繁栄」を願う紋章となったのです。

しかも鳥は、当時「神の使い」と考えられていました。

神社にある「鳥居」は、神の使いたる鳥が羽を休めるところと考えられてきました。

元々「神職」にあった「織田家」が、鳥の巣を描いた「木瓜紋」を家紋とするのは、当然かもしれません。

織田家へ家紋を譲ったのは、宿敵「朝倉」氏?

織田家の家紋・・・実は朝倉氏から譲られたものと言われています。

越前国織田荘の「織田剣神社」の神官だったという織田家。

元々は、平清盛の孫「平資盛」の妾が、資盛の死後に産んだ子が「織田家」の家祖なのだとか。

1405年前後に、織田家の主君「斯波氏」が、越前から尾張国へと移住。それについてきた織田家。

後に織田家は、「尾張守護代」となりますが、越前から尾張へ移動する際に、「越前守護代」の「朝倉氏」から「木瓜紋」を譲られたと言われています。

朝倉氏も「三つ盛木瓜」という、織田家とは違う木瓜紋を使っています。

引用元wikipediaより

朝倉氏の11代目の当主「朝倉義景」は、信長の義弟「浅井長政」と協力して、織田信長と敵対した人物。

本願寺・武田信玄などと協力して、「信長包囲網」を形成するも、各個撃破されてしまいます。

【天正元年(1573年)8月20日】に、「朝倉義景」は「信長」の猛攻を受けて自刃に追い込まれます。

100年の間、越前で栄華を極めた名門「朝倉氏」は、こうして滅亡しました。

織田家に「木瓜紋」を贈ったという説がある「朝倉氏」ですが、当初は「信長」に協力的だったという説もあります。

【1568年】、織田信長の上洛戦の際、朝倉氏は若狭国を攻撃しています。

これは、朝倉家の同盟者であった「浅井長政」を通じての「織田信長への援護」だった、という説もあるようです。

信長と敵対していた「若狭国」を攻撃することで、「若狭国」の武将たちが、信長の邪魔をすることができないようにした、というわけです。


織田信長・名言集」について、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・織田家の木瓜紋は、きゅうりの断面のような図だが、実際には鳥の巣を描いたもの

・鳥の巣を描いたのは「子孫繁栄」を願ってのもの

・木瓜紋は、越前守護代・朝倉氏から送られたものという説がある。

・朝倉氏は、1573年に「織田信長」の攻撃で滅亡している

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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