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織田信長の妻の名前と側室一覧!正妻は帰蝶ではなく生駒吉乃?

織田信長・・・数多くいた「側室」達

 

正室は「帰蝶」こと「濃姫」・・・・ではなく「生駒吉乃」??

 

正室・側室の名前一覧!


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

織田信長の正妻は、斎藤道三の娘「帰蝶」、「生駒吉乃」は側室

 

・生駒吉乃は、武将「生駒家宗」の娘で、長男・信忠を出産したため、「正室」として扱われた

 

・信長には、数多くの側室がいたが、名前が判明していない側室にも、多くの子供を産ませていた


信長の正妻は「帰蝶」?「吉乃」?

織田信長・・・・その正室、つまり「正妻」は、「帰蝶(きちょう)」という人だと言われています。

 

帰蝶・・・美濃国の国主「斎藤道三」の娘。

 

美濃から来たお姫様なので「濃姫」と呼ばれました

 

斎藤道三は、信長の父・織田信秀の宿敵。

 

その娘を妻として、織田家と斎藤家の関係を改善しようとしたのです。

 

この「濃姫」が信長の正室・・・つまり「正妻」。

 

しかし信長にはもう一人、ほとんど「正室」として扱われた妻がいました。

 

それが「生駒吉乃」・・別名「類」と伝わっています。

 

この「生駒吉乃」は、信長の長男「信忠」、次男「信雄」、長女「徳姫」の母

 

信長の後継者「信忠」を産んだことで、実質的に「正室」として扱われたのです。

 

対して「帰蝶」は、子宝に恵まれることがなかったので、正室とはいえ、存在感がなかったみたいですね。

 

ちなみに、生駒吉乃は39歳(又は29歳)で他界。

 

若くして亡くなったため、息子「信忠」は、「帰蝶」の養子になりました。


帰蝶」について、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。

 

「帰蝶(濃姫)」について、以下のリンク記事で、可能な限り詳しく、全てを解説しております。

 



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生駒吉乃とは、何者なのか?

「吉乃」とは、尾張国の豪族「生駒家宗(いえむね)」の娘です。

 

元々は「土田弥平次」という人物の妻でしたが、戦死してしまったため未亡人となります。

 

その後、信長の目に止まり「側室」に。

 

信長から愛され、信忠・信雄・徳姫という子宝に恵まれましたが、難産だったため亡くなりました。

 

お墓は「愛知県江南市」の「久昌寺」にあります。

信長の正室・側室一覧

信長の妻たち・・・「正室」と「側室」をまとめてみると、以下の通りです

 

正室

帰蝶(濃姫)」(長男・信忠を養子とした)

 

側室

1,「生駒吉乃」(長男・信忠、次男・信雄、長女・五徳姫{松平信康の妻}の母)

2,「坂氏」  (三男・信孝の母)

3,「養観院」 (四男・羽柴秀勝の母・・・後に秀勝は羽柴秀吉の養子となる)

4,「お鍋の方」(七男・信高、八男・信吉の母)

5,「土方氏」 (九男・信貞の母)

6,「原田氏」 (庶長子・信正の母)

7,「春誉妙澄大姉

8,「慈徳院

 

他にも、名前が不明な側室・妾が多数いました。

 

信長の五男「津田信房」、六男「織田信秀」、十男「織田信好」、十一男「織田信正」

 

これらの子供を出産した母親・・・つまり側室の名前が不明。

 

信長は、人妻・未亡人が好みだったという噂があります。

 

生駒吉乃さんも、お鍋の方も、信長に寵愛された2人の女性は「未亡人」でしたからね。


五徳姫の夫・松平信康」について、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・織田信長の正室は、斎藤道三の娘「帰蝶」こと「濃姫」

・生駒吉乃は、側室だったが、嫡男・信忠を出産したため、正室扱いとなった

・信長には数多くの側室がいた

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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