織田信長の「最後の言葉」と「辞世の歌」とは?
信長の最後は、どんなものだったのか?
最後に「敦盛」を舞っていた?
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この記事を短く言うと
・織田信長が残した最後の言葉は「是非に及ばず(ぜひにおよばず)」または「私は自ら死を招いた」
・辞世は「敦盛」の一説「人間(じんかん)五十年・・・・」と言われている
・最後の様子は、明智軍と戦い抜いた後、本能寺の奥にこもり、切腹。遺体は見つからなかった
織田信長「最後の言葉」
1582年6月2日早朝、京都「本能寺」
天下統一を目前にした「織田信長」が、家臣「明智光秀」に殺害されました。
「本能寺の変」です。
享年49歳。
最後の言葉には、2つの説があります。
「是非に及ばず」
京都の本能寺にいた信長は、襲撃を受けて、相手が何者なのかわからず、家来に問いただしました。
「僧兵」「町衆の反乱」だと思っていた信長でしたが、襲撃犯は最も信頼していた家来「明智光秀」
驚いた信長は、こう言ったと伝えられています。
「是非に及ばず」
(仕方のないことだ)
その後信長は明智軍「1万3千」を相手に戦い、出火した本能寺で自害。
遺体は見つからず、明智光秀は12日後に「山崎の戦い」で「羽柴秀吉」に討たれたのでした。
「私は自ら死を招いた」
明智光秀の子孫「明智憲三郎」氏が、著書「本能寺の変 431年目の真実」のなかで、「本能寺の変」について一つの説を唱えておられました。
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その明智憲三郎さんの説によると、「本能寺の変」は、「明智光秀」と「徳川家康」の共謀によるものなのだとか。
ちなみに、この「本能寺の変~431年目の真実~」という本は、「信長を殺した男」という漫画になって連載されています。
とてもおもしろい作品でした。
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信長は、家康を危険視し、光秀に暗殺を命じていました。
しかし光秀は、家康と協力して、信長を殺害。
本能寺に宿泊していた信長は、家康を暗殺するはずが、同盟者を切り捨てる冷酷さは、かえって光秀を恐れさせ、「信長暗殺」へと踏み出してしまったのです。
それを悟った信長は
「私は自ら死を招いたな」
とつぶやき、自刃した・・・・とスペイン商人「アビラ・ヒロン」の著書「日本王国記」には、それが記されています。
ちなみにこの言葉を伝えたのは、信長とともに本能寺で戦ったものの、脱出に成功した黒人のサムライ「弥助」
2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」では、この「明智憲三郎」さんの説を採用し「明智・家康が共謀して信長を殺害した」というストーリーになっています。
「本能寺の変の真実」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
「辞世の歌」
信長の死に際しての「辞世の歌」が伝わっています。
「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり
一度生を得て 滅せぬものの あるべきか」
信長が愛した「幸若舞」の「敦盛」の一説です。
これが「信長の辞世の歌」とされています。
ドラマなどでは「能」の「敦盛」を信長は、よく舞っていますが、実際に信長が好んだのは「幸若舞」
「幸若舞」は「能」よりも少し明るい感じの舞曲です。
「人の世の五十年は、天上界の最も下「下天」の一夜にしかならないほど短く、夢や幻のようなものである。
一度産まれたからには、滅びぬものなど有りはしないのだ」
最後の様子は?
信長の最後については、諸説あります。
幼い頃から修行していた弓を使って応戦する信長。
しかし弓の弦が切れてしまい、次は槍で奮戦。
激しい戦いで傷ついた信長は、女性たちに
「急ぎ避難せよ。
光秀は女性には手を出さない」
と言い残し、本能寺の奥へと籠城。
最後は、好んでいた「敦盛」を舞った後、切腹。
部下たちに命じて、遺体を焼き、首は家来だった黒人武将「弥助」が、息子「信忠」のもとへ届けたとも言われています。
別の説では、「敦盛」という舞を舞って亡くなった後、炎の中で焼失。
その遺体を探した光秀だったが、焼き尽くされたため遺体を見つけられず、「信長は生きている」という情報操作を駆使した「羽柴秀吉(豊臣秀吉)」に敗北。
もしも信長が死んだことを、遺体をさらすことで証明できていたら、もしかしたら光秀は「反信長勢力」を味方にして、しばらくは戦うことが出来たかもしれません。
「黒人武将・弥助の生涯」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・信長の最後の言葉は「是非に及ばず」「私は自ら死を招いた」
・辞世は幸若舞の敦盛の一説「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け 滅せぬもののあるべきか」
・弓矢や槍を駆使して明智軍と戦った信長は、本能寺の奥に籠城し、「幸若舞・敦盛」又は「能・敦盛」を舞って自刃した
以上となります。
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