織田信長の歴代「居城」の名前と場所は?
城下町で実施した特殊な政策!
安土・岐阜などの名前の由来も簡単に解説!
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この記事を短く言うと
・織田信長は、生涯で「7つ」の居城を持った
・信長が支配した城下では「楽市楽座」や「一銭切り」などの政策が取られたらしい
・信長の居城「岐阜」は、「岐山」「曲阜」に由来し、「安土」は「平安楽土」に由来という説がある
織田信長の歴代「居城」の名前と場所
織田信長は、生涯において7つの「居城」・・・つまり自分の住む城を持っています。
「勝幡城(しょばたじょう)」(1534~1542)
【愛知県愛西市勝幡町】
信長が産まれた城とされる「勝幡城」
信長は1542年にこの城を出て、那古野城へ引っ越しています
「那古野城」(1542~1555)
【愛知県名古屋市中区・・現在の名古屋城二之丸】
那古野城・・・後にこの那古野城は、1610年に「名古屋城」として新しく築城され、家康の九男「徳川義直」にの居城となりました。
1555年、奪取した堅城「清州城」へと引っ越しています。
「清州城」(1555~1563)
【愛知県清須市一場・・・清須古城跡公園】
元々は尾張国の守護代にして、信長の主君に当たる「斯波家」の居城。
信長が奪取し、斯波氏を追放してから、居城として活用しました。
「小牧山城」(1563~1567)
【愛知県小牧市堀の内1-1】
尾張国・小牧に築かれた小牧山城
徳川家康と同盟し、東側の脅威をなくした信長・・・。
「美濃攻略」という目的のために築城された、美濃・尾張国境に近い、最前線基地
「岐阜城」(1567~1576)
【岐阜県岐阜市天主閣18】
元々は「稲葉山城」又は「井ノ口城」と呼ばれた、信長の妻「帰蝶」の父「斎藤道三」の居城
斎藤道三の孫「斎藤龍興」を追い出し、居城とし「岐阜城」と改名。
「二条御新造」(1575~1579)
【京都市・両替町通御池通】
京都を制圧した信長が、京都における拠点として築き上げた邸宅。
足利義昭のために築城した「二条城」とは別物。後に誠仁親王に献上されました。
「安土城」(1576~1582)
【滋賀県近江八幡市安土町下豊浦】
信長が琵琶湖畔「安土山」に築いた城。
元々は、琵琶湖東岸ルートで進軍してくるだろう「上杉謙信」を防ぐために築かれた「対上杉謙信」の防御拠点。
信長はこの城を最期の拠点とするつもりはなく、「大坂」に拠点を移すつもりだったと言われています。
城下町での政策とは?
信長は、城下町でどのような政策を実行したのでしょうか?
「楽市楽座」
最も有名なものと言えば「楽市楽座」令
当時の城下町では「座」と呼ばれる「ギルド」つまり「組合」が商売を独占していました。
この「座」が城主に一定の金銭を納めることで、城主も独占を認めていたのです。
しかし、信長はこの「座」を撤廃し、商人による商売を自由にして「競争原理」を働かせました。
この「楽市楽座」は、信長は初めてではなく、「六角定頼」という近江国の大名が初めて実施した政策です。
関所撤廃
当時、交通の要所には無数の「関所」がありました。
大坂~京都間には、数百もの関所があり、商人はこの関所に「通行料」を収めなければ、物資の流通をさせられなかったのだとか。
信長は関所を撤廃し、商人の商売をスムーズにし、その収益から莫大な富を手にしたのでした。
一銭切り
「一銭でも盗んだものは死罪」
又は「盗みを働いたものは、一銭も残さず没収する」という意味での「一銭きり」だったとも言われています。
この法律のおかげで、信長が支配する地域では、劇的に治安が改善したと言われています。
「安土」「岐阜」の名前の由来とは?
信長は、故事に由来する名前を城につけるのが好きだった・・・と言われているようです。
岐阜城
岐阜という名称は、「岐山」という中国の地名に因んだと言われています。
「岐山」とは、古代中国の「文王」という君主が、「岐山」という地で挙兵し、天下統一を果たしたという場所」
この「岐」という字と、儒教の孔子が産まれた街「曲阜」の「阜」という文字を組み合わせ「岐阜」と名付けたのです。
つまり信長は、「岐阜」から天下統一を果たして見せる!という意思表示をしたのです。
安土城
安土城・・・一説には「平安楽土」という四字熟語から「安」と「土」という文字を取って「安土」と名付けたとされています。
しかし実際には、信長がこの地に城を築き上げる前から「安土」という地名は存在していたという説もあります。
どちらの説が真実なのかはわかりません。
もしかしたら「安土」という地名は、元々あったのかもしれません。
ただ、信長が「安土」という地名が「平安楽土」という言葉に通ずるものがあるとして、そのままその名前を使ったという可能性もあります。
元々は、「対上杉謙信」用の基地だったという安土城・・・。
よく目にする、天主閣に金の社を施した城のデザインは、後世の人間による創作・・・。
もしかしたら、もっと武骨な「軍事要塞」だったかもしれません。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・信長は「勝幡城」から「安土城」まで7つの居城をもった
・「楽市楽座」「関所撤廃」などの政策を実施した
・岐阜城は「岐山」「曲阜」に由来し、安土城は「平安楽土」に由来する・・・という説がある
以上となります。
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