【桶狭間の戦いとは】簡単にわかりやすく解説!隠されていた真実に驚愕

1560年(永禄3年)桶狭間の戦いについて、わかりやすく解説いたします。

「織田信長」と「今川義元」が戦った「桶狭間の戦い」。

7倍の兵力をもつ今川軍を、織田信長が撃破した「日本三大奇襲戦」の一つ。

しかし、最新の研究で「実は奇襲戦ではなかった」ことが判明した!


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この記事を短く言うと

1,「桶狭間の戦い」とは1560年、「織田信長」の軍「3000人」と、「今川義元」の軍「25000人」の間で行なわれた戦い

 

2,「桶狭間の戦い」が行なわれた場所は、現在の「愛知県豊明市」。古戦場は公園となっており、「今川義元」のお墓がある。

 

3,「桶狭間の戦い」は、最新の研究によると「奇襲」ではなく、「正面からぶつかった戦い」だったといわれている


「桶狭間の戦い」とは何か?簡単にわかりやすく解説

「桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)」

当時の年号は「永禄(えいろく)」。

西暦1560年6月12日(永禄3年5月19日)、「駿河・遠江・三河」の三カ国を支配する強大な大名「今川義元(いまがわ よしもと)」がひきいる大軍団が、「尾張の国」を攻撃。

「尾張」の支配者だった「織田信長」が、これを迎え撃ち、大逆転勝利で「今川義元」を撃破した戦い。

それが「桶狭間の戦い」です。

《桶狭間の戦い》
「引用元ウィキペディアより」

この戦いで注目すべきは、「織田信長」と「今川義元」の兵力差です。

諸説ありますが、「織田信長」の軍は「3000」人。

それに対して「今川義元」の軍は「25000」人

7倍以上です。

普通に考えれば、織田信長に勝ち目はありませんでした。

しかし信長は頭を使い、大雨が降るなか、今川義元の本陣を突然おそい、その首を見事に取って大勝利。

これが、後世「日本三大奇襲戦」の一つとされ、織田信長の「天下統一」への大きな第一歩となったのです。

ちなみに「日本三大奇襲戦」とは、「桶狭間の戦い」のほかに、「毛利元就」の「厳島の戦い」、「北条氏康」の「河越夜戦」です。


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「桶狭間の戦い」が行なわれた場所の現在地を「地図」で解説

「織田信長」が「今川義元」を討ちとった場所は、現在どうなっているのでしょうか?

現在の「愛知県豊明市」にその古戦場があり、「桶狭間古戦場伝説地」や「桶狭間古戦場公園」という公園になっています。

「桶狭間古戦場伝説地」には、今川義元の墓」があります。

この場所に「今川義元の首が埋まっているわけではありません。

今川義元の首は、「桶狭間の戦い」の直後に、今川家家臣「岡部元信」という武将が、信長から取り返し、駿河へと持ち帰っています。


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「桶狭間の戦い」の真実!勝因は「奇襲」ではなく「孫子」

これまでの定説では、「桶狭間の戦いは、大雨のなかを織田信長が、今川義元の本隊に奇襲をかけて勝利した、奇襲戦だった」といわれていました。

しかし最近の研究によると、「桶狭間の戦い」は「奇襲戦」つまり「サプライズアタック」ではなく、正面から堂々とぶつかった戦いだったとされています。

織田信長の公式記録「信長公記」によれば、「織田信長」は正面から今川軍と激突したというのです。

「信長公記」によると織田信長は、大雨のなかで、「桶狭間」という谷間の細い道に陣取っていた今川軍に突っ込みました。

すると、隊列すらも整えていなかった今川軍は、その攻撃に反応できず、大混乱。

混乱する今川軍・・・・スキをみせた今川軍に信長がたたみかけ、総大将「今川義元」が討ち取られてしまったのです。

先ほど「桶狭間の戦いは、日本三大奇襲戦のひとつだ」と申し上げましたが、実は「奇襲」ではなかったということになります。

つまりは、こういうことです。

「緻密な作戦をたてて、何年も準備を続けて、見事に作戦成功して今川義元を倒した」

というわけではなく

「信長が開戦と同時に、瞬時に素晴らしい作戦をたてて、今川義元を計画的に倒した」

というわけでもない・・。

「今川軍が目の前でスキだらけになっていたので、ヤケクソ気味に敵に突っ込んだら、そこに今川義元がいたから、とりあえず襲いかかった」

ということ。

「信長公記」によると、「桶狭間の戦い」での勝利は、あくまでも軍前。

それほど計画的な勝利ではなかったのです。

 

余談かもしれませんが、「桶狭間の戦い」は、信長による緻密な作戦によって、勝利したものであるという説があります。

織田信長を「本能寺の変」で殺害した武将「明智光秀」、その子孫である作家「明智憲三郎」さんという人が、「織田信長~四三三年目の真実~」という本の中で、こんなことを言っていました。

「桶狭間の戦いは、織田信長が、桶狭間という谷間に細長く陣取っていた今川義元の軍に、真正面から突っ込んだ戦いだった。

兵法書『孫子・呉子』には、『谷間に細長く陣取った敵には、正面から突っ込め』という戦法が記されている。

信長は、この兵法書の基本に、忠実に従ったのだ」

「桶狭間の戦い」の真相は奇襲ではなく、正面から突っ込んだ正々堂々とした戦いだったというです。

信長の勝因は、「大雨」などの偶然と、「孫子・呉子の兵法書に記された戦いかた」によるものなのかもしれません。


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『桶狭間の戦い』について「ひとこと」言いたい!

桶狭間の戦い
この戦いは「少ない兵力」をもつ織田信長が、「大軍団」を率いた「今川義元」を奇跡的に破った戦いでした。

信長は、この戦い以後、「逆転狙い」の戦いは一切しませんでした。

用心深く、敵よりも多い軍団を用意してからでないと戦わないという姿勢を貫き通します。

筆者の予想ですが、おそらく織田信長は、この「桶狭間の戦い」で「ビビった」のではないでしょうか。

「奇跡的な大逆転狙いの戦いを続けていては、勝ち続けることは出来ない」

それ以後、信長は

  • 「強そうな敵」には下手に出てご機嫌をとる。
  • 自分より弱い敵は、大軍団で叩き潰す。
  • 危ない時はまっさきに逃げる。
  • ヤバイ敵にはすぐ謝る。

などなど、勝利して生き残るために、ありとあらゆる手を駆使するのです。

信長は戦争のやり方にも工夫を重ねます。

「敵の城を砦をつくって包囲し、兵糧攻めにする」

「強力な兵器である鉄砲を大量に導入する」

などなど、誰でも出来る「勝利の方程式」をつくって、次々と領土を拡大していきます。

信長は、意外と臆病な人だったのではないでしょうか。

だからこそ、あらゆる手段を考え出して、敵に勝利する工夫を次々と考え出したのでしょう。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「桶狭間の戦い」とは1560年、織田信長の軍「3000名」と、今川義元の軍「25000名」が戦った戦争。織田信長が勝利した
  2. 桶狭間の戦いが行なわれた場所は、現在の「愛知県豊明市」。古戦場は現在「公園」となっており、今川義元のお墓がある
  3. 最新の研究によると、「桶狭間の戦い」は「奇襲」ではなく、正面からぶつかった戦いだったとされている

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

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ありがとうございました


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