【織田信長の年齢】歴史的事件の際の年齢を年表で解説!

この記事では「織田信長の年齢」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「織田信長の年齢と、同じ戦国時代を生きた有名武将たちの年代・信長との年齢差」を、カンタンに理解できます。

 

「織田信長」は「1534年生まれ」で「1582年に亡くなった」のです。


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この記事を短く言うと

 

1,「歴史的事件が起きたときの織田信長の年齢」は?
桶狭間の戦い」の時は27歳、「上洛戦」の時は35歳、「長篠の戦い」の時は42歳、「本能寺の変」の時は49歳

 

2,信長と他の有名武将たちの年齢差は?
信長は、「武田信玄」の13歳年下、「上杉謙信」の4歳年下、「豊臣秀吉」の3歳年上、「徳川家康」の9歳年上

 

3,信長は何歳で亡くなったのか?
織田信長は、数え年「49歳」、満年齢「47歳11ヶ月」で亡くなった

歴史的事件が起きた時の「織田信長の年齢」を、年表でわかりやすく解説

「織田信長」の年齢を、「歴史年表」の形式で、わかりやすく解説致します。

 

織田信長【1534~1582年

 

歴史教科書や大河ドラマで紹介される「歴史的な事件」が起きた時、織田信長が何歳だったのかが、この「年表」を見ることで、即座にわかるはずです。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

以下に、わかりやすい年表で、「信長の年齢」と「歴史的事件」が起こった西暦を解説します。

 

年齢は、「生まれた瞬間を1歳」と数える、当時主流だった「数え年」で数えています。


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1534年(信長の年齢1歳)

織田信長・誕生。幼名「吉法師」

 

1543年(10歳)

種子島に「鉄砲伝来」

 

1546年(13歳)

元服(成人)し、「織田三郎信長」と名乗る。

 

1547年(14歳)
「今川軍」を相手に初陣。

 

1548年(15歳)

斎藤道三の娘「帰蝶(濃姫)」と結婚。

 

1552年(19歳)

父「織田信秀」死去

 

1554年(21歳)

「安食の戦い」で「織田彦五郎信友」を撃破

 

1555年(22歳)

叔父「織田信光」とともに、「織田大和守家」の当主「織田彦五郎信友」を討ち取る。

 

1556年(23歳)

「稲生の戦い」で弟の信勝を撃破。

 

1558年(25歳)

弟「信勝(信行)」を暗殺。

 

1560年(27歳)

「桶狭間の戦い」で「今川義元」を討ち取る。

 

1561年(28歳)

「武田信玄」と「上杉謙信」による「第四次・川中島の戦い」

 

1562年(29歳)

「松平元康(家康)」と「清洲同盟」を締結。

 

1565年(32歳)

信長、犬山城主「織田信清」に勝ち、尾張統一

 

1566年(33歳)

美濃「斉藤龍興」との戦闘を再開するも龍興に敗北。

 

1567年(34歳)

美濃「斉藤龍興」を攻撃。これにより稲葉山城陥落。

美濃国を平定。

「稲葉山城」を「岐阜城」と改名。

 

1568年(35歳)

「足利義昭」とともに上洛(京都・畿内を制圧)。


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1569年(36歳)

伊勢を平定。

「武田信玄」と「徳川家康」の攻撃により、「今川家」滅亡。

 

1570年(37歳)

「金ヶ崎の退き口」

「姉川の戦い」

「石山戦争」開始

 

1571年(38歳)

「比叡山焼き討ち」

 

1572年(39歳)

「三方ヶ原の戦い」

 

1573年(40歳)

「武田信玄」死去

「槇島城の戦い」で「足利義昭」を撃破。追放。

「室町幕府」滅亡。

「朝倉義景」「浅井長政」を攻め滅ぼす。

 

1574年(41歳)

「長島一向一揆」殲滅。

 

1575年(42歳)

「長篠の戦い」

 

1576年(43歳)

「安土城」築城開始。

 

1577年(44歳)

「松永久秀」、信長を裏切り、信長に敗北。自害。

 

1578年(45歳)

「上杉謙信」急死。

 

1579年(46歳)

「明智光秀」、「丹波・丹後」を平定。

 

1580年(47歳)

「石山戦争」終結。

 

1581年(48歳)

「高野山」を大軍団で包囲。

 

1582年(49歳)

「甲州討伐」、「武田勝頼」死去、武田家滅亡。

6月2日未明、「本能寺の変」により織田信長、自害。【享年49歳】

6月13日 「山崎の戦い」で「羽柴秀吉」は、「明智光秀」を撃破。光秀が死去。

 

「織田信長のさらに詳しい年表」は、以下のリンク記事をどうぞ。

『織田信長がしたことを年表にまとめて簡単解説!『天下の取り方』教えます』の記事はコチラ

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織田信長の年代!信長と、他の有名武将の年齢差とは?

「織田信長」と、戦国時代の有名武将たちの「年齢差」を、わかりやすく解説致します。

 

ここでは、有名武将たちの「生まれた年」を一覧でまとめ、信長との年齢差を、ひと目でわかるように解説致します。

 

年長者の順番に並べております。


「斎藤道三」
1494年】生まれ、信長より40歳年長

「太原雪斎」
1496年】生まれ、信長より38歳年長

「毛利元就」
1497年】生まれ、信長より37歳年長

「松永久秀」
1508年】生まれ、信長より26歳年長

「織田信秀」
1511年】生まれ、信長より23歳年長

「今川義元」
1519年】生まれ、信長より15歳年長

「武田信玄」
1521年】生まれ、信長より13歳年長

「三好長慶」
1522年】生まれ、信長より12歳年長

「柴田勝家」
1522年】生まれ、信長より12歳年長

「斎藤義龍」
1527年】生まれ、信長より歳年長

「明智光秀」
1528年、または1516年】生まれ、信長より歳または18歳年長

「上杉謙信」
1530年】生まれ、信長より歳年長

「朝倉義景」
1533年】生まれ、信長より歳年長

 

「織田信長」
1534年6月23日】生まれ


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「足利義輝」
1536年】生まれ、信長より歳年少

「近衛前久」
1536年】生まれ、信長より歳年少

「足利義昭」
1537年】生まれ、信長より歳年少

「豊臣秀吉」
1537年】生まれ、信長より歳年少

「徳川家康」
1543年】生まれ、信長より歳年少

「浅井長政」
1545年】生まれ、信長より11歳年少

「斎藤龍興」
1548年】生まれ、信長より14歳年少

「石田三成」
1560年】生まれ、信長より26歳年少

「真田幸村」
1567年、または1570年】生まれ、信長より33歳または36歳年少

「豊臣秀頼」
1593年】生まれ、信長より59歳年少


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織田信長の享年!信長は何歳で死去したのか?

織田信長は、数え年で「49歳」で亡くなっています。

 

天正10年6月2日(1582年6月21日)】、織田信長は「明智光秀」に「本能寺の変」で討たれて亡くなっています。

 

信長の生年月日は【天文3年5月12日(1534年6月23日)】です。

 

織田信長は、新暦でみると、「誕生日」の2日前に亡くなっていることになります。

 

つまり、満年齢で計算すると、信長は「47歳11ヶ月」で亡くなっているということです。

 

当時は旧暦だったので、「生まれてからの正確な年齢」を数えるのが困難でした。

 

そのため「数え年」という、正月にもれなく誰もが歳を重ねる方式が取られていました。

 

その「数え年」によると、信長の享年は「49歳」。現在使われている「満年齢」だと「47歳11ヶ月」になるというわけです。

 

「本能寺の変」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『【本能寺の変】の謎や真相をすべて解説!黒幕や動機について完全網羅』の記事はコチラ

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織田信長は、何歳で元服したのか?

信長は「数え年13歳」で元服(げんぷく)、つまり成人しています。

 

当時は12歳前後で元服させられていました。信長は13歳で元服しているので、平均的であると考えられます。

 

また、元服の際には、「烏帽子を与えられる儀式」が行われ、その烏帽子を被せてくれる人のことを「烏帽子親」と呼ぶのです。

 

信長も、年長者または身分の高い人から、「烏帽子」を与えられ、「烏帽子親」になってもらったはずです。

 

烏帽子親からは、「烏帽子」だけではなく、「片諱(かたいみな)」ももらう通例があったようです。

 

たとえば「武田信玄」は、幼名「太郎勝千代」から、元服して「武田晴信」と名乗りました。

 

武田晴信の「信」の字は、武田家に代々伝わる通字であり、父「信虎」からもらった一字であることがわかります。

 

「晴」の一字は、室町幕府12代征夷大将軍「足利義晴」からもらった一字です。

 

「武田晴信(信玄)」の息子「義信」も、父から「信」の字をもらい、将軍「足利義輝」から「義」の一字をもらったようです。

 

ちなみに、偉い人の一文字をもらう「片諱」ですが、「下の文字」よりも「上の文字」のほうが、価値が高いようです。

 

「足利義晴」から、下の一文字「晴」をもらった「武田晴信(信玄)」よりも、「足利義輝」から上の一文字「義」の字をもらった「義信」のほうが、より果報者だったということです。

 

では、「織田信長」の「信長」という字は、誰からもらったものでしょうか?

 

「信」の一字は、織田家代々の通字なので、父「信秀」からもらったものだとわかります。

 

しかし「長」の一字については、誰からもらったものなのか、実はハッキリとはわかっていません。

 

余談ですが、三代将軍「徳川家光」は、祖父「家康」から「家」の字をもらったといわれています。

 

しかし下の「光」の字が、だれからもらったものなのかがわかっていません。

 

一節によると、家光の参謀「南光坊天海」と名乗って生き延びていた「明智光秀」の「光」の一字をもらった、という説があります。

 

「明智光秀」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『明智光秀の全てを徹底解説!年表からエピソードや性格まで完全網羅』の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「織田信長の年齢」は、「桶狭間の戦い」の時は27歳、「上洛戦」の時は35歳、「長篠の戦い」の時は42歳、「本能寺の変」の時は49歳

 

2,信長は、「武田信玄」の13歳年下、「上杉謙信」の4歳年下、「豊臣秀吉」の3歳年上、「徳川家康」の9歳年上

 

3,織田信長は、数え年「49歳」、満年齢「47歳11ヶ月」で亡くなった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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