MENU

織田信長の宿敵・ライバルは誰か?10年戦い続けた本願寺顕如と一向宗

この記事では「織田信長の生涯において最大のライバルとは誰か」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

これを読めば「信長のライバル」を、カンタンに理解できます。

「織田信長の最大のライバル」は「本願寺顕如」です。


スポンサーリンク


歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

1,「織田信長」の生涯で最大の「ライバル」とは?

「一向宗」をひきいた「本願寺顕如」こそが、信長の生涯で最大のライバルではないだろうか

 

2,「本願寺顕如」と「織田信長」は、どのような関係だったのか?

「織田信長」は、「本願寺顕如」がひきいた「一向宗」と、「石山戦争」と呼ばれる戦いで、「10年」の長きに渡って争った。

 

3,「武田信玄」や「上杉謙信」、「今川義元」は、ライバルと呼べるか?

「織田信長」は、「信玄」「謙信」「義元」を極端に恐れていた節がある。対等なライバルとはとても言えない

「織田信長」生涯最大の「ライバル」は誰?

戦国の覇者「織田信長」の最大のライバルは「武田信玄」でも「上杉謙信」でもなく、宗教勢力「一向宗」と、そのトップ「本願寺顕如(ほんがんじ けんにょ)」でしょう。

信長は【1570~1580年】の間、「10年」という長きにわたり、「本願寺顕如」がひきいた「一向宗」という宗教勢力と戦っていたのです。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

信長は、生涯に数々の敵と戦いを繰り広げてきました。

  • 弟「織田信勝」
  • 「今川義元」
  • 「斎藤義龍・龍興」
  • 「浅井長政」
  • 「朝倉義景」
  • 「三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)」
  • 「足利義昭」
  • 「武田信玄」
  • 「上杉謙信」
  • 「毛利輝元」

信長は、これらの強敵と戦いぬいてきましたが、最も長く戦ったのは、「本願寺顕如」と「一向宗」だったのです。



スポンサーリンク


ライバル「一向宗・本願寺顕如」との「10年」におよぶ「石山戦争」とは?

1570年】、信長は「本願寺顕如」と「一向宗」に対して、その拠点である「石山本願寺」からの退去を命令しました。

信長は「石山本願寺」という、地の利の良い場所を、西国平定の拠点にしようとしたのです。(地の利が良い「石山本願寺」の跡地には、豊臣秀吉が「大坂城」をつくっている)

この勝手な退去命令に激怒した「本願寺顕如」は、「一向宗(浄土真宗の一派)」をひきいて「織田信長」を「仏敵」、つまり「仏の敵である悪魔」と呼んで開戦したのです。

1570年】、「石山戦争」と呼ばれる「本願寺顕如」と「織田信長」の戦争が勃発します。

1580年】、10年続いた「石山戦争」は、「本願寺顕如」が「石山本願寺」から退去することを条件に、「織田信長」と「講和」して終結します。

しかし「石山本願寺」からの退去は、織田信長の要求がすべて通った形になっています。

そのことからもわかるように、「講和」といいながらも、事実上の「本願寺顕如・全面降伏」です。



スポンサーリンク


「信長」は、「10年」もの時間をかけて、宿敵「本願寺顕如」を倒しているのです。

信長はこの戦いを担当していた「佐久間信盛」を戦後に「追放処分」としています。

追放の理由は、「佐久間が本願寺攻略に、あまりにも時間をかけすぎた」から。

織田家最古参の武将「佐久間信盛」を追放処分とするほどに、「本願寺顕如」は信長を苦しめたのでしょう。

 

「佐久間信盛が追放された理由」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。



スポンサーリンク


「織田信勝」・「斎藤義龍」・「今川義元」はライバルと呼べるのか?

信長を苦しめた「ライバル」といえば「本願寺顕如」だけではありません。

「信長のライバル候補」には、数々の武将たちの名前があがると思います。

  • 弟「織田信勝」
  • 「斎藤義龍」
  • 「今川義元」

しかし、彼らを「織田信長のライバル」と呼ぶのは、若干の違和感があります。

その理由は、以下のとおりです。

信長の弟「信勝」はあっけなく信長に敗北しています。なによりもその後あっけなく暗殺されています。

信長の義父「斎藤道三」の息子「斎藤義龍」は、若くして病死しているため、それほど信長と積極的に戦っていません。

「海道一の弓取り」と呼ばれた名将「今川義元」は、長く織田を苦しめた宿敵と言って良いでしょう。

しかし「今川義元」からすれば、信長は「ライバル」などではなく、ただの「隣国の活きの良い若造」でしかありません。

「今川義元」と「織田信長」がライバル関係とは、当時「織田信長」自身も思っていなかったでしょう。それだけの差があったのです。

信長は「今川義元」を、ライバル視するのではなく、一種の「憧れ」、「畏敬の念」のようなものを抱いていたのだと思います。

その証拠に信長は「桶狭間の戦い」で「今川義元」から奪った名刀「宗三左文字」を「義元左文字」と呼んで生涯大切にしました。

信長は「本能寺の変」で亡くなるまで、「義元左文字」を手元において愛用していたのです。

 

「義元左文字」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。



スポンサーリンク


「武田信玄・勝頼」と「上杉謙信」を、「織田信長」は恐れていた

「武田信玄」とその息子「勝頼」、そして「上杉謙信」は、「織田信長」のライバルと呼べるのでしょうか?

織田信長はこの三名を、極端に恐れていました。

信長は「武田信玄」との直接対決を露骨に避けていましたし、「上杉謙信」との「手取川の戦い」に、信長は参戦していません。

「信長」は、この2人を怖がっていたことが、「直接対決がない」という事実からも、よくわかります。

1575年】の「長篠の戦い」で、信長はやっと「武田勝頼」と直接対決しました。

しかし信長は、「陣城」と呼ばれる即席の防御陣地、つまり「砦」をつくって全く出てきませんでした。

1582年】の「甲州征伐」においても、「信長」は「武田勝頼」を最期まで恐れていました。

「武田勝頼」を滅ぼしたのは、信長の息子「織田信忠」です。

なんと信長は、「武田家」がほとんど滅びてから、やっと出陣しているのです。

信長は「勝頼」を、「比類なき大将」と呼んで恐れていました。

  • 「武田信玄」
  • 「武田勝頼」
  • 「上杉謙信」

彼らを「織田信長のライバル」と呼ぶには、信長は彼らを恐れすぎていたと思います。

信長は「信玄」や「謙信」のことを「ライバル」などとは、決して言えなかったのではないでしょうか。

 

「武田信玄」と「上杉謙信」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。



スポンサーリンク


まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「織田信長」の生涯で最大の「ライバル」は、「一向宗」をひきいた「本願寺顕如」ではないだろうか

 

2,「織田信長」は、「本願寺顕如」がひきいた「一向宗」と、「石山戦争」と呼ばれる戦いで、「10年」の長きに渡って争った。

 

3,「織田信長」は、「武田信玄」や「上杉謙信」または「今川義元を極端に恐れていた節がある。対等なライバルとはとても言えない

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。



スポンサーリンク


『織田信長』関連記事

よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。


「織田信長の遺体の行方を調査!実は謎でも行方不明でもなかった」の記事はコチラ

「【織田信長】最後の言葉と辞世の歌は?亡くなる時の詳細な様子を紹介」の記事はコチラ

「織田信長の嫁の名前一覧表!正妻は「帰蝶」ではなく生駒吉乃?」の記事はコチラ

「【織田信長】家紋の意味や花の由来!読み方を画像付きで簡単解説!」の記事はコチラ

「織田信長の名言集と意味解説!ホトトギスや人生50年に潜む秘密とは」の記事はコチラ

「織田信長の居城と場所を紹介!安土・岐阜の名前の由来や城下町の政策」の記事はコチラ

「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の関係や人柄・性格をエピソードで簡単解説」の記事はコチラ

「織田信長と池田恒興(つねおき)の関係と最期を解説!子・輝政の逸話」の記事はコチラ

「織田信長の生い立ちから最期まで!3分でわかりやすく簡単に解説!」の記事はコチラ

「[織田信長]本能寺の変で死んでない?真実と黒幕を分かりやすく簡単に解説」の記事はコチラ

「織田信長の家系図と子孫を解説!「きちょう」こと濃姫との子供とは?」の記事はコチラ

「織田信長がしたことを年表にまとめて簡単解説!『天下の取り方』教えます」の記事はコチラ

「織田信長はどんな人物だったの?意外にも優しいエピソードが多かった」の記事はコチラ

「明智光秀と織田信長・豊臣秀吉の関係を解説!実は互いを憎んでいた?」の記事はコチラ

「織田信長家臣・弥助(やすけ)の生涯!彼が持つ信長デスマスクは本物?」の記事はコチラ


【本能寺の変】の謎や真相をすべて解説!黒幕や動機について完全網羅』の記事はコチラ

明智光秀の全てを徹底解説!年表からエピソードや性格まで完全網羅』の記事はコチラ

斎藤道三の全てを徹底解説!年表やエピソードから子孫まで完全網羅』の記事はコチラ


スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次