織田信長が佐久間信盛を追放した理由とは?原因はサボりだった!

この記事では「織田信長」が「重臣・佐久間信盛を追放した理由」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「追放の理由」を、カンタンに理解できます。

 

実は「佐久間信盛の追放」は「本能寺の変」の「原因」なのかもしれないのです。


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この記事を短く言うと

 

1,「佐久間信盛」とは何者なのか?

「佐久間信盛」は、「織田信長」に最も長く仕えた最古参の武将。「柴田勝家」や「明智光秀」よりも上の立場にいたが、【1580年】、織田信長に突然追放された

 

2,「佐久間信盛」が追放された理由とは?

「佐久間信盛」は、「明智光秀」や「羽柴秀吉」に比べると、最後の5年間に何の手柄もあげていなかったため、信長を怒らせた

 

3,「佐久間信盛」追放と、「本能寺の変」の関係とは?

「佐久間信盛」が追放されたことで、「明智光秀」は、自分も追放されるのではないか?と恐れ、「本能寺の変」を起こした、という説がある

「佐久間信盛」とは、何者なのか?

「佐久間信盛(さくま のぶもり)」とは、戦国の覇者「織田信長」の家臣団の中で、最高の位にいた武将です。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

 

「佐久間信盛」は、「柴田勝家」や「明智光秀」よりも高い位にいた武将なのです。

《佐久間信盛》
「引用元ウィキペディアより」

たとえば「柴田勝家」は、もともと信長の弟「織田信勝」につかえていました。

 

そして、「信勝」が兄「信長」に謀反を起こすと、それに従って「信長」と戦っています。

 

しかし「柴田勝家」は、のちに「織田信長」に寝返っています。

 

ところが「佐久間信盛」は、誰もが信長を「うつけ」と呼んでバカにしていたころから、信長を信じて守り続けた忠臣だったのです。

 

「佐久間信盛」は、別名「退き(しりぞき)佐久間」と呼ばれていました。

 

「撤退戦」での「最後尾」のことを「殿軍(しんがり)」と呼ぶのですが、この最も危険な「殿軍」での戦いを得意としていたことから、「佐久間信盛」は「退き佐久間」と呼ばれたのです。

 

「殿軍」の難しさは、【1570年】の「金ヶ崎の退き口」という「撤退戦」で、「羽柴秀吉」や「明智光秀」そして「徳川家康」が「殿軍」を担当して死にかけたことからも、よく分かると思います。


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織田信長から突然のリストラ!一体なにが原因だったのか?

そんな忠臣「佐久間信盛」は、【1580年】、「織田信長」から突然リストラされています。

 

その理由は、極めて簡単で、「佐久間信盛が、仕事をサボっていたから」です。

 

「佐久間信盛」は、織田家で最高の位にいたので、広大な領地を保有していました。

 

その全てを、一気に失い、最終的に息子「信栄」と、たった一人の家臣と、合計三人だけになったと言われています。

 

「佐久間信盛」が「リストラ」された原因は何だったのでしょうか?

 

佐久間信盛は「信長」から「19箇条の折檻状」なる手紙を送りつけられています。

 

この「折檻状(せっかんじょう)」、つまり「お叱りの言葉が記された手紙」には、「なぜ佐久間信盛がクビになったのか」が記されています。

 

そこには、「お前は全く仕事していない」ということが、長々と記されているのです。

 

実は「佐久間信盛」は、織田信長の最大のライバル「本願寺顕如」との戦いを担当していました。

 

そのため「佐久間信盛」は、「本願寺顕如」の本拠地「石山本願寺」を、なんと5年にも渡って包囲し続けていたのです。

 

ところが「佐久間」は、この5年間、ただただ「石山本願寺」を囲むだけで、まともな「攻撃」も、「内部分裂工作」や「裏切り工作」なども全くしていないのです。

 

信長はとてもマジメな性格で、睡眠時間もわずかにして、いつも働いていたと言われています。

 

ところが「佐久間信盛」は、5年もの間、何の軍功をあげていませんでした。

 

この「折檻状」のなかで、織田信長は、何人かの武将の働きを褒め称えています。

  • 「明智光秀」
  • 「羽柴秀吉」
  • 「池田恒興」
  • 「柴田勝家」

信長はこの4名の働きを褒め、「それに比べてお前はなにをしたのだ!」と「佐久間信盛」を痛烈に批判しています。

 

おそらく信長は、自分が誰よりも働いているにもかかわらず、織田家で最高の重役である「佐久間信盛」が何の軍功もあげずに偉そうにしているのが、許せなかったのでしょう。

 

信盛は、息子「佐久間信栄」とともに追放され、高野山で暮すこととなるのです。


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リストラの原因と「明智光秀」の関係

リストラの原因は「明智光秀」が、あることないことを「信長」に告げ口して、「佐久間」を罠にかけたため、という説があります。

 

それまで「近畿方面軍司令官」だった「佐久間信盛」ですが、「明智光秀」はその後任者として「近畿方面軍司令官」を任されているのです。

 

光秀はその後、近畿地方全域の守備を任さることとなります。

 

しかし【1582年】、信長は「明智光秀」のことも「佐久間信盛」のようにリストラするかのような素振りを見せ始めます。

 

「明智光秀」は、自分も「佐久間信盛」のように追放されて、家族や家臣が路頭に迷うことを恐れたのかもしれません。

 

そして「怒り」に震え、「織田信長」を「本能寺の変」で討ち果たした、という説があります。

 

もしかすると、「佐久間信盛」を追放しなかったら、「本能寺の変」は起こらなかったかもしれないのです。

 

「本能寺の変」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『【本能寺の変】の謎や真相をすべて解説!黒幕や動機について完全網羅』の記事はコチラ

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「佐久間信盛」の最期と、息子「信栄」のその後

「佐久間信盛」は、織田信長から追放された後「高野山」で息子「信栄」とともに生活したといわれています。

 

1582年2月】、「佐久間信盛」は「本能寺の変」で「織田信長」が亡くなる「4ヶ月前」に、【55歳】で亡くなっています。

 

穏やかな最期だったようです。

 

その後、息子「佐久間信栄」は「織田信長」に許されて、織田家へまたしても仕えることになります。

 

しかし「本能寺の変」で「織田信長」と息子の「織田信忠」が亡くなると、「佐久間信栄」は信長の次男「織田信雄」に仕えることになります。

 

その後は「豊臣秀吉」や「徳川秀忠」に仕えて、「江戸幕府」で旗本として生き、【1632年】に「江戸」で亡くなっています。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「佐久間信盛」は、「織田信長」に最も長く仕えた最古参の武将。「柴田勝家」や「明智光秀」よりも上の立場にいたが、【1580年】、織田信長に突然追放された

 

2,「佐久間信盛」は、「明智光秀」や「羽柴秀吉」に比べると、最後の5年間に何の手柄もあげていなかったため、信長を怒らせた

 

3,「佐久間信盛」が追放されたことで、「明智光秀」は、自分も追放されるのではないか?と恐れ、「本能寺の変」を起こした、という説がある

以上となります。

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ありがとうございました。


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