織田信長の側室一覧!12人以上の妻に20人以上の子供を産ませていた

この記事では「織田信長の側室」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「信長の側室」を、一覧表でカンタンに理解できます。

 

「信長」には「正室・側室あわせて12人もの妻がいた」のです。


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この記事を短く言うと

 

1,「織田信長」の側室は、何人いたのか?

信長には、判明しているだけで「生駒吉乃」や「お鍋の方」など「11名」の側室がいた

 

2,「信長の側室」は、11名だけだったのか?

信長には、この「11名の側室」以外にも「愛妾」がいたと考えられる。信長は「男性」にも手を出していた

 

3,「信長」と正室「帰蝶(濃姫)」は、仲が良かったのか?

2人は当初、それほど仲が良くなかったのではないか。【1567年】に信長が「美濃国」を奪取したあとは、関係が修復された可能性もある

「織田信長」の側室一覧

「織田信長」には、「側室」つまり「正妻以外の妻」が「11名」もいたといわれています。

 

信長の正室「帰蝶」こと「濃姫」を加えると、「12名」の妻がいたことになります。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

側室の名前一覧は、以下のとおりです。

 

  1. 「生駒吉乃(別名・類)」
  2. 「坂氏」
  3. 「養観院」
  4. 「お鍋の方」
  5. 「土方氏」
  6. 「原田氏」
  7. 「春誉妙澄大姉」
  8. 「慈徳院」
  9. 「三条西実枝の娘」
  10. 「六男・信秀の母」
  11. 「つまき殿」(明智光秀の妹または義妹)

 

この中で、とくに有名なのが「生駒吉乃(いこま きつの)」でしょう。

 

「吉乃」または「類(るい)」と呼ばれたこの女性は、信長からもっとも愛された女性です。

 

「信忠」、「信雄」、「徳姫」と、三人の子を産んでいます。

 

ただ、「吉乃」は3人目の子供を産んだあと、体調を崩して亡くなっています。

 

「吉乃」が産んだ長男「信忠」は、母が亡くなったあと、信長の正室「帰蝶」の養子となって、美濃・尾張の2カ国を信長から継承しています。


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側室は「11人」だけではなかった!信長は「男性」も好んでいた

信長の側室は、ご紹介した「11名」だけではなかった可能性が高いです。

 

信長には、他にも「愛妾」「愛人」と呼べる人が、たくさんいたはずです。

 

織田信長の側室として知られている女性たちは、そのほとんどが、「武士」や「公家」の親族。つまり身分が高い女性ばかりなのです。

 

当時は気に入った女性ならば、農民や浪人の娘など、「身分が低い女性」をそばに置いておくことも、結構あったようです。

 

「加藤清正」や「浅野幸長」も、遊女などの身分の低い女性と関係を持っていたようです。(それが原因で、病死したと考えられている)

 

そして信長といえば、男性にも手を出していたことで有名です。

 

寵愛した小姓「森蘭丸」、または猛将「前田利家」と関係があったことは、有名ですよね。

 

「森蘭丸」または「前田利家」のような美男子を、信長は愛し、戦場でそばに置いていたと言われています。

 

当時、同性で関係を持つことは、それほど珍しいことではなかったと言われています。

 

「森蘭丸」「前田利家」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『【本能寺の変】美少年「森蘭丸」の最期!蘭丸が黒幕だった説を考察!』の記事はコチラ
『織田信長と前田利家の関係が危ない?2人は愛人関係で親戚でもあった』の記事はコチラ

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信長と正室「帰蝶」こと「濃姫(鷺山殿)」のその後!2人は仲が良かったのか?

織田信長と正室「帰蝶」の仲は、それほど良くなかったのではないでしょうか。

 

帰蝶は、信長の宿敵「斎藤道三」の娘です。

 

そして当時としては常識ですが、帰蝶は「織田家」の情報を実家「斎藤家」へ知らせる「スパイ」の役を担っていたのです。

 

信長は帰蝶がスパイであることを、当然知っていました。

 

そのため信長は、妻「帰蝶」に対して「偽情報」を流して「斎藤道三」を混乱させた、という逸話が残っているのです。

 

1556年】、「斎藤道三」は息子の「斎藤義龍」に「長良川の戦い」で討たれて亡くなっています。

 

それ以降、「帰蝶」は異母兄「斎藤義龍」を、父の仇として憎み、信長による「父・道三の仇討ち」を後押ししたのだとか。

 

しかしいくら父の仇とはいえ、実家「斎藤家」の滅亡を、そう簡単に願うことができるものでしょうか?

 

「信長」と「帰蝶」の間には、子供がいません。

 

信長は、おそらく「道三」のスパイであった「帰蝶」を警戒し、そばに置かなかったのでしょう。

 

そして「道三」が亡くなったあとも、異母兄「斎藤義龍」とのつながりを恐れて、帰蝶を遠ざけたのではないでしょうか。

 

1567年】、織田信長は「斎藤家」を滅ぼして、稲葉山城(岐阜城)を奪い取ることに成功します。

 

おそらく信長は、そのとき初めて、妻「帰蝶」への警戒を解いたはず。

 

しかしその時、帰蝶はすでに【33歳】です。

 

信長の子供を産むには、少し歳を取りすぎていたのでしょう。

 

帰蝶と信長。2人の関係は、単純な夫婦のものとは異なり、それほど仲むつまじい関係ではなかったのではないでしょうか。

 

「帰蝶」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『帰蝶は信長の死後に再婚したのか?彼女の最後と死因を調査』の記事はコチラ
『濃姫(帰蝶)の全てを徹底解説!織田信長との関係や家系図を完全網羅』の記事はコチラ

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信長の側室「つまき殿」と「明智光秀」の関係!2人は結婚するはずだった?

信長の側室のなかで、最近有名になってきているのが「つまき殿」です。

 

この女性は「明智光秀の妹」と言われています。

 

光秀の妻「ひろ子」の「妹」、という説もあります。

 

光秀の妻「ひろ子」は「妻木」という苗字でしたので、「つまき殿」とは、光秀の妻の実家の名前を指していると考えられるのです。

 

実はこの「つまき殿」、信長の側室ですが、「明智光秀の妻になっていたかもしれない女性」なのです。

 

「光秀」と婚約していた「ひろ子」は、結婚直前に「天然痘」にかかって、顔に「あばた」と呼ばれるアザが出来てしまいました。

 

それを恥ずかしいと思った「ひろ子」の両親は、光秀に対して「ひろ子」とよく似た「ひろ子の妹」を差し出したのだとか。

 

しかし光秀は、頑としてこれを受けず、あくまでも「ひろ子」を妻として求めたと言われています。

 

この「光秀」に差し出された「ひろ子とよく似た妹」が、「織田信長の側室・つまき殿」かもしれないのです。

 

「つまき殿」は、信長と光秀の間を上手に取り持って、2人は良好な関係を続けていました。

 

ところが、この「つまき殿」が病死してしまうと、光秀と信長の関係は悪化。

 

ついに「本能寺の変」が起こってしまうのでした。

 

「明智光秀の妻」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『明智光秀と妻・煕子の生涯!「あばた顔」と「髪」の逸話がカッコいい』の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「織田信長」には、判明しているだけで「生駒吉乃」や「お鍋の方」など「11名」の側室がいた

 

2,信長には、「11名の側室」以外にも「愛妾」がいたと考えられる。信長は「男性」にも手を出していた

 

3,「信長」と正室「帰蝶(濃姫)は当初、それほど仲が良くなかったのではないか。【1567年】に信長が「美濃国」を奪取したあとは、関係が修復された可能性もある

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

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ありがとうございました。


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