織田信長のお墓の場所を全部ご紹介!京都・高野山などに複数ある理由

この記事では「織田信長のお墓」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「各地に複数ある織田信長のお墓」を、カンタンに理解できます。

 

「織田信長の本当のお墓」は「京都市・阿弥陀寺」である可能性が高いと思います。


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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

1,「織田信長」のお墓は、どこにあるのか?

信長のお墓は、供養塔なども含めると、京都市の「阿弥陀寺」や「本能寺」または「建勲神社」などに「20か所以上」もあるとされている

 

2,なぜ20か所以上も「信長の墓」があるのか?

織田信長に恩のある人間たちが、その供養のために、各地に墓や供養塔をたてたと考えられる。

 

3,信長の遺体が眠っている「本物のお墓」はどこにあるのか?

おそらく「織田信長の遺体」は、京都市「阿弥陀寺」に眠っている可能性が高い。「阿弥陀寺」には、「清玉上人」という僧侶が、「本能寺の変」が起こったときに信長の遺体を埋葬したという逸話が残っている

「織田信長の墓」を一覧で解説!

「織田信長」のお墓は、「供養塔」なども含めると「20」以上もあると言われています。

 

全て挙げていてはきりがありませんので、ここでは「20」だけをピックアップして、一覧でご紹介致します。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

織田信長のお墓は、以下のとおりです。

  1. 阿弥陀寺(京都府京都市)
  2. 建勲神社(京都府京都市)
  3. 今宮神社(京都府京都市)
  4. 総見院 (京都府京都市)
  5. 大雲院(京都府京都市)
  6. 本能寺(京都府京都市)
  7. 妙心寺玉鳳院(京都府京都市)
  8. 建仁寺(京都府京都市)
  9. 聖隣寺(京都府亀岡市)
  10. 西光寺(滋賀県近江八幡市)
  11. 摠見寺(滋賀県近江八幡市・安土城跡)
  12. 長興寺(愛知県豊田市)
  13. 総見寺 (愛知県名古屋市)
  14. 総見院 (愛知県清須市)
  15. 南宗寺(大阪府堺市)
  16. 金剛峯寺(和歌山県伊都郡・高野山)
  17. 瑞龍寺(富山県高岡市)
  18. 西山本門寺(静岡県富士宮市)
  19. 泰巌寺(熊本県八代市)
  20. 三宝寺(山形県天童市)

織田信長は、【1582年】に「京都」の「本能寺」で亡くなっています。

 

そのため京都には、織田信長のお墓・墓所が数多く建てられています。

 

ちなみに、現在京都市にある「本能寺」は、「豊臣秀吉」によって移転させられたものです。

 

信長が実際に亡くなった「本能寺」の跡地には、現在「本能特別養護老人ホーム」という「老人福祉施設」が建てられています。

 

「本能寺の変」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『【本能寺の変】の謎や真相をすべて解説!黒幕や動機について完全網羅』の記事はコチラ
『【本能寺の変】織田信長の愛刀!本能寺で焼けた自害に使った刀とは?』の記事はコチラ

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信長のお墓が「20か所」もある理由

全国各地に「20か所」以上も、信長のお墓がある理由は、「信長に恩のある人たちが、その供養をするために、各地に信長のお墓がつくられたため」です。

 

例えば「富山県高岡市」の「瑞龍寺」にある信長のお墓は、「信長」の家来だった「前田利家」が、主君「織田信長」の供養のためにつくったものです。

 

「和歌山県」の「金剛峯寺」には、「信長」の墓だけではなく、戦国武将のお墓が数多くあります。

 

しかしこの「金剛峯寺」のお墓は、あくまでも供養のために建てられたお墓なので、実際に遺体や遺骨が埋葬されているわけではありません。

 

信長に討たれた「今川義元」や、信長を討った「明智光秀」にも、各地に複数のお墓が建てられています。

 

お墓がたくさんある理由は、「全国各地に住んでいた人々が、信長の供養をするために、お墓を建立したため」だと考えられます。

 

「今川義元」や「明智光秀」の「お墓」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『今川義元の墓所はどこにあるの?愛知・静岡・東京に墓が複数ある理由』の記事はコチラ
『明智光秀の墓所を地図付きでご案内!京都・高野山の墓はニセモノ?』の記事はコチラ

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本物の「お墓」はどこ?どのお墓に「信長の遺体」は眠っているのか

実際に「織田信長」の遺体が眠っているお墓は、「京都府京都市」の「阿弥陀寺」であると思われます。

 

1582年】、「本能寺の変」で織田信長が亡くなると、「阿弥陀寺」の僧侶「清玉上人」がその遺体を密かに引き取って埋葬した、という逸話があります。

 

この「阿弥陀寺」には、「本能寺の変」で亡くなった信長の息子「織田信忠」のお墓もあります。

 

また、信長の小姓だった「森蘭丸」、「森坊丸」、「森力丸」のお墓もあり、供養がされています。

 

その他のお墓に「織田信長」のご遺体が埋葬されている可能性は、低いと思います。

 

ちなみに、「本能寺の変」において、「織田信長」のご遺体は、発見されなかったといわれています。

 

「明智光秀」は、信長の遺体を見つけられなかったため、「羽柴秀吉」に敗れたとも考えられるのです。

 

「織田信長の遺体のゆくえ」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『織田信長【本能寺の変】の謎と最新説を考察!信長を殺した黒幕は誰?』の記事はコチラ
織田信長の遺体の行方を調査!実は謎でも行方不明でもなかった』の記事はコチラ

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「建勲神社」と、「高野山」の「明智光秀」のお墓の逸話

「建勲神社」と名刀「義元左文字」

京都にある「建勲(けんくん)神社」は、明治天皇によってたてられた「織田信長」を祀った神社です。

 

この神社には、1つの名刀が納められています。

 

「義元左文字」

 

通称「天下取りの刀」とも呼ばれるこの「義元左文字」は、「桶狭間の戦い」で戦死した「今川義元」の愛刀であり、信長が奪い取って愛用していた刀です。

 

「義元左文字」はその後、「豊臣秀吉」や「徳川家康」へと渡り、代々「徳川将軍家」が継承し続けたのです。

 

義元左文字は、別名「三好左文字」または「宗三(そうさん)左文字」とも呼ばれています。

 

2000年】の大河ドラマ「葵~徳川三代~」の【48話・さらば秀忠】という回で、この「義元左文字」こと「三好左文字」が、「徳川秀忠」から息子「家光」へ形見分けされるシーンが描かれています。

 

「義元左文字」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『今川義元の愛刀「義元左文字」と愛用の「鉄兜」は今どこにあるのか?』の記事はコチラ

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「高野山」にある「明智光秀」のお墓の逸話

高野山には、「織田信長」や「明智光秀」など、供養のために建てられた「戦国武将のお墓」が、数多くあります。

 

その中でも、「明智光秀」のお墓には、奇妙な逸話があるのです。

 

なんと明智光秀のお墓は、何度建て替えても、ひび割れてしまうのだとか。

 

これはもしかすると、「明智光秀」の怨念がさせることなのかもしれません。

 

丹波八上城にも「明智光秀」に関係する、似たような逸話があります。

 

この「丹波八上城」で、明智光秀の母親が、波多野秀治の軍団に「はりつけ」にされて処刑されたのだとか。

 

その怨念が残っているのか、「はりつけ」にされた場所に植えられた木が、何度植え替えても枯れてしまうのだそうです。

 

「明智光秀」の怨念は、いまだに鎮められていないのかもしれません。

 

「明智光秀」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『明智光秀の全てを徹底解説!年表からエピソードや性格まで完全網羅』の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「織田信長」のお墓は、供養塔なども含めると、京都市の「阿弥陀寺」や「本能寺」または「建勲神社」などに「20か所以上」もあるとされている

 

2,なぜ20か所以上も「信長の墓」があるのかというと、織田信長に恩のある人間たちが、その供養のために、各地に墓や供養塔をたてたと考えられる。

 

3,「織田信長の遺体」が埋葬されている「本物のお墓」は、京都市「阿弥陀寺」である可能性が高い。「阿弥陀寺」には、「清玉上人」という僧侶が「本能寺の変」が起こったときに信長の遺体を引き取り、密かに埋葬した、という逸話が残っている

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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