この記事では「本能寺の変のときに、織田信長が持っていた愛刀」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば「織田信長の愛刀」が、カンタンに理解できます。
「織田信長」が「本能寺の変」のときに持っていた刀は「実休光忠(じっきゅうみつただ)」と「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」なのです。
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この記事を短く言うと
1,「本能寺の変」が起きたとき、織田信長は、「実休光忠(じっきゅうみつただ)」と「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」という刀を持っていた。「実休光忠」には激戦を物語る傷が18ヶ所も残っていたという
2,信長が自害に使った刀は、「実休光忠」だろう。短刀の「薬研藤四郎」で自害した可能性もあるが、筆者個人的には「死なない」という逸話のある「薬研藤四郎」で死んでほしくはない
3,信長の愛刀は数々あるが、それらは「東京国立博物館」や「徳川美術館」などで保管されている
「本能寺の変」のときに「織田信長」が持っていた愛刀は何?
「本能寺の変」のときに、「織田信長」がもっていた愛刀は「実休光忠」と「薬研藤四郎」の二つであると考えられます。
この二つは、「本能寺の変で、織田信長とともに焼け落ちた」と伝えられています。
ただ、二つとも「本能寺の変」で失われたわけではなく、言い伝えによると、その後ふたたび鍛え直されています。
「実休光忠」は、豊臣秀吉によって発見され焼き直しされています。
どうやら「本能寺の変」で、信長がかなり激しくつかったようです。
刀身に「18ヶ所」もの傷が残っていたのだとか。
その後は秀吉の愛刀として用いられたと言われています。
【1615年】、「大坂夏の陣」で豊臣家が滅亡するとともに、徳川家康の手に渡り、その後は消息不明となっています。
「薬研藤四郎」は、短刀です。
「足利義満」が身に帯びていたものと言われています。
「応仁の乱」で有名になった武将「畠山政長」が切腹したときに使ったのが、この「薬研藤四郎」。
切腹につかったものの、全然お腹に刺さらないので、政長がヤケクソになって投げつけたところ、薬をすり潰すために使われた鉄または石製の「薬研(やげん)」に突き刺さったのだとか。
それ以来、この短刀は「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」と呼ばれるようになったのです。
この逸話から、「薬研藤四郎」は「主君を傷つけず、守ってくれる刀」と呼ばれるようになったそうです。
ところがこの「薬研藤四郎」は、「本能寺の変」で焼け落ちたと言われています。
しかし別の説も存在しており、豊臣秀吉によって息子「秀頼」へと贈られたあと、「徳川家康」へ贈られたのだとか。
その後は八代将軍「徳川吉宗」の手に渡り、その後は消息不明となっています。
「本能寺の変」で織田信長が持っていた刀は、「実休光忠」と「薬研藤四郎」で、間違いないと考えられます。
信長が自害に使った刀とは?
織田信長が「本能寺の変」で自害したとすれば、そのときに使った刀は「実休光忠」か、又は脇差の「薬研藤四郎」でしょう。
しかし、織田信長が「本能寺の変」で「自害」して亡くなったかどうか、ハッキリとはわかっていません。
映画やドラマでは、信長が刀で切腹したり、首を斬ったりして亡くなっています。
当然ですが、それを実際に目撃した人はいません。
もしかすると信長は、「焼死」した可能性すらあるのです。
「実休光忠」または「薬研藤四郎」が、信長の自害に使われたかどうかは、わかりません。
家来の刀で自害した可能性も考えられます。
しかし、「実休光忠」と「薬研藤四郎」が、「自害に使われた刀である可能性が最も高い」ということは、間違いないと思います。
もっとも、「主君を傷つけない刀」であるはずの「薬研藤四郎」で「織田信長」が亡くなったのなら、ちょっと興ざめしてしまいますね。
筆者個人的には「実休光忠」で亡くなったと思いたいです。
「織田信長の愛刀一覧」と、その中で「現存している刀一覧」
「信長の愛刀一覧」と、そのうち「現存している刀一覧」
織田信長の「愛刀」を、一覧でご紹介いたします。以下のとおりです。
ちなみに「光忠」と名のつく刀は、複数存在しております。
- 「岡田切り(おかだぎり)」
- 「鬼丸国綱(おにまるくにつな)」
- 「織田左文字(おださもんじ)」
- 「鉋切永光(かんなぎりながみつ)」
- 「籠手切正宗(こてぎりまさむね)」
- 「実休光忠(じっきゅうみつただ)」
- 「大般若長光(だいはんにゅながみつ)」
- 「津田遠江長光(つだとおとうみながみつ)」
- 「鶴丸国永(つるまるくになが)」
- 「長篠一文字(ながしのいちもんじ)」
- 「備前長船光忠(びぜんおさふねみつただ)」
- 「不動国行(ふどうくにゆき)」
- 「不動行光(ふどうゆきみつ)」
- 「圧切長谷部(へしきりはせべ)」
- 「光忠の太刀(みつただのたち)」徳川美術館・所蔵
- 「光忠の太刀(みつただのたち)」紀州東照宮・所蔵
- 「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」
- 「義元左文字(よしもとさもんじ)」
上の「織田信長の愛刀」のうち、現存しているものは以下の通りです。
- 「岡田切り(おかだぎり)」
- 「鬼丸国綱(おにまるくにつな)」
- 「織田左文字(おださもんじ)」
- 「鉋切永光(かんなぎりながみつ)」
- 「籠手切正宗(こてぎりまさむね)」
「実休光忠(じっきゅうみつただ)」- 「大般若長光(だいはんにゅながみつ)」
- 「津田遠江長光(つだとおとうみながみつ)」
- 「鶴丸国永(つるまるくになが)」
- 「長篠一文字(ながしのいちもんじ)」
- 「備前長船光忠(びぜんおさふねみつただ)」
「不動国行(ふどうくにゆき)」- 「不動行光(ふどうゆきみつ)」
- 「圧切長谷部(へしきりはせべ)」
- 「光忠の太刀(みつただのたち)」徳川美術館・所蔵
- 「光忠の太刀(みつただのたち)」紀州東照宮・所蔵
「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」- 「義元左文字(よしもとさもんじ)」
- 「実休光忠」
- 「不動国行」
- 「薬研藤四郎」
の3つが、行方不明になっています。
「現存している信長の刀」の所在地と地図
【東京国立博物館】
- 「岡田切り」
- 「籠手切正宗」
- 「大般若長光」
【愛知・徳川美術館】
- 「津田遠江長光」
- 「光忠の太刀」
【徳川ミュージアム】
- 「鉋切永光」
【福岡市博物館】
- 「圧切長谷部」
」
【建勲神社(京都国立博物館に寄託)】
- 「義元左文字」
【彦根城博物館】
- 「織田左文字」
【紀州東照宮】
- 「光忠の太刀」
【宮内庁】
- 「鬼丸国綱」
- 「鶴丸国永」
- 「備前長船光忠」
【個人所蔵】
- 「長篠一文字」
- 「不動行光」
【行方不明】
- 「実休光忠」
- 「不動国行」
- 「薬研藤四郎」
「本能寺の変」のあと、信長の愛刀はどうなった?
「本能寺の変」のあと、信長の愛刀はあらゆる人の手を渡り歩いて、中には消失したものや、現存するものもあります。
ここでは「織田信長」の愛刀の中で、二つの刀について、その行方を追ってみたいと思います。
二つの刀とは、
- 「不動国行」
- 「義元左文字」
のことです
不動国行
「不動国行」とは、刀身に「不動明王」が刻まれた名刀です。
室町幕府13代将軍「足利義輝」は、「永禄の変」で「三好三人衆」や「松永久通」に襲われたとき、この「不動国行」を手にして戦ったといわれています。
不動国行は「松永久通」の父「松永久秀」から、「織田信長」へと献上され、その後は信長の愛刀となります。
そして「本能寺の変」で信長が亡くなると「明智光秀」の手に渡ります。
光秀が「山崎の戦い」で敗死すると、部下の「明智秀満」から「堀秀政」へと託されるのです。
羽柴秀吉が織田信長の葬儀を行った際に、信長の愛刀「不動国行」をその手に持って葬列に加わったと言われています。
「不動国行」はその後、秀吉から「徳川家康」の手へと贈られます
そして二代将軍「秀忠」から、形見分けという形で、三代将軍「家光」へと引き継がれるのです。
「不動国行」は、代々「徳川将軍家」に伝えられたものの、八代将軍「徳川吉宗」の代で焼失。
その後、再刃されて、昭和の時代に「重要美術品」として認定されています。
ところが、「徳川慶喜」のあとに徳川宗家を相続した「徳川家達(いえさと)」の時代に、「不動国行」は消息不明となっています。
余談ですが、大河ドラマ「葵~徳川三代~」の第48話「さらば秀忠」の回で、この「不動国行」、「江雪正宗」、「三好左文字(義元左文字)」が、「秀忠」から「家光」へ形見分けされるシーンが演じられていました。
「義元左文字」
【この刀を持つものは天下に覇を唱える】といわれている「義元左文字」
天下を狙った武将たちの手を渡り歩いた「義元左文字」こと「宗三左文字」は、「不動国行」や「江雪政宗」とともに、二代将軍「徳川秀忠」から三代将軍「家光」へと形見分けされています。
義元左文字は、その後も徳川将軍家に代々引き継がれ、明治維新のときに「建勲神社」へと納められています。
明治天皇が織田信長の功績を賞して「建勲」という神号をおくり、「神社」を創建したのです。
そこへ、徳川家から「義元左文字」が寄進されたのでした。
現在も「義元左文字」は京都市北区船岡山の「建勲神社」が所有しています。
「建勲神社」は、「義元左文字」を「京都国立博物館」へ寄託しています。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,「本能寺の変」のとき、織田信長は、「実休光忠(じっきゅうみつただ)」と「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」を持っていた
2,信長が自害に使った刀は、「実休光忠」だろう
3,信長の愛刀は「東京国立博物館」や「徳川美術館」などで保管されている
以上となります。
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