【織田信長】天下布武の印に秘めた意味とは?【布武=平和】だった!

この記事では「天下布武(てんかふぶ)という言葉の意味」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「天下布武とは何か」を、カンタンに理解できます。

 

「天下布武」とは「京都・大坂・奈良・兵庫を平和にする」という意味なのです。


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この記事を短く言うと

 

1,「天下布武」の印とは何か?
織田信長が美濃国を制圧した【1567年】頃から使用を始めた印鑑のこと

 

2,「天下」とは、「日本全国」という意味ではないのか?
当時の「天下」とは「日本全国」という意味ではなく、「山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国」の五カ国を指していた。現在の「大阪府の大部分・奈良県全て・京都府南部・兵庫県南東部」のこと

 

3,「布武」とはどういう意味なのか?
「布武」とは「武を布く」つまり「武力で制圧する」という意味ではなく、「武」とは「戦争を止める」という意味なので、「平和にする」という意味になる

織田信長が使った「天下布武」の印とは、どんなもの?

織田信長が使った「天下布武」とは、「天下を平和にする」という意味があり、「室町幕府を再興する」という意味が込められていました。

1567年】、織田信長は「美濃国」の宿敵「斎藤龍興」を追放し、美濃国「岐阜城」を支配します。

 

この頃から、信長は「天下布武」という印をつかうようになります。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

「天下布武」とは、「天下に武を布く」、つまり「天下を武力で制圧する」という意味だと考えられていました。

 

しかし、これには「足利氏の室町幕府を再興する」という意味も込められていたようです。

《天下布武》
「引用元ウィキペディアより」

詳しくはのちほど解説しますが、この「天下布武」の印を使い始めた翌年の【1568年】、織田信長は「足利義昭」を連れて上洛(京都への進軍)を成功させています。

 

そして信長は、「足利義昭」を第15代征夷大将軍に就任させて、室町幕府の再興に成功したのです。

 

「征夷大将軍とは何か」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『征夷大将軍とは何か?簡単にわかりやすく子供でもわかるよう解説!』の記事はコチラ
『征夷大将軍と関白の違いを簡単に解説!秀吉が関白を選んだ理由とは?』の記事はコチラ

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「天下」とは、「日本全国」のことではなく、「近畿地方」だけのこと!

「天下布武」の「天下」とは、「日本全国」という意味ではなく、「近畿地方」の一部分だけだったようです。

 

信長はこの「天下布武」という印を各方面で使用していました。

 

もしも「天下を武力で制圧するぞ」という意味だとしたら、これは全国の戦国武将たちに対する重大な「挑発行為」、「敵対行為」にあたります。

 

「お前らもいずれは武力で滅ぼしてやる」と宣言しているわけですから、こんなものを見せられた戦国武将は、だれでも激怒します。

 

ところが、この印を使っているあいだ信長は「上杉謙信」や「武田信玄」に対して、恐ろしいほど媚びへつらって、敵に回さないように最新の注意を払っています。

 

当時「天下」とは、「山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国」の五カ国を指していました。

 

現在の地名で言いかえると「大阪府の大部分、奈良県の全域、京都府の南部、兵庫県の南東部」のことです。

 

つまり「天下布武」とは、「日本全国を武力で制圧する」、「力づくで全国制覇してやる」という意味ではなく、「大阪・京都・奈良・兵庫を平定する」という意味だったと考えられます。

 

当時の信長は、「足利義昭」から「室町幕府を再興してほしい」と要請されていました。

 

おそらくこの要請に応えるという意味を込めて「天下布武」といい出したのでしょう。

 

「天下布武」とは、すなわち「室町幕府を再興して、室町幕府の支配地域である五畿内を平和にする」という意味だったのだと考えられます。

 

「武田信玄と織田信長の戦い」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『【武田信玄】織田信長との『戦い』がない理由!戦ったらどっちが勝つ?』の記事はコチラ

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「布武」とは、「平和」という意味だった!

「布武」とは、「武を布く」つまり「武力で制圧する」という意味だと考えられていますが、実際には「平和にする」という意味だと考えられます。

 

そもそも「武」という言葉には、「戦争を止める」という意味があります。

 

「武」の文字の形は、よくいわれている通り「戈(ほこ・槍)を止める」と書くので、「戦いを止める」という意味なのです。

 

つまり「武」を「平和」と言いかえるなら、「布武」とは「平和を布く」つまり「その地域をことごとく平和にする」という意味になるのです。

 

信長は「天下布武」という言葉に「機内5カ国を平和にする」という意味を込めていたのでした。


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余談ですが、「武」は「戈を止める」という意味だと申しましたが、古代中国では「戈をすすめる」、つまり「武」は「積極的に戦う」という意味が込められていました。

 

「武」の「止」という字は、「歩」という文字を意味していました。

 

つまり「戈を持って歩く」ということ。

 

「武」とは、「積極的に戦う」という意味だったわけですが、のちにこの「武」とは「戦いを止める」という意味に変わっていったと考えられます。


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信長が目指したものは、「全国制覇」ではなく、「平和」だった

織田信長は他国を力づくで侵略・征服した「魔王」だったと考えられているかもしれませんが、実際の信長は「平和」を願い、ただただ真面目に戦う「誠実な人」でした。

 

現在では、信長は「天下統一」を目指していたとは考えられていません。

 

ただただ、目の前の敵を倒し、平和を実現しようとしていたら、いつの間にか「天下統一」の目前にまでいっていた、というだけの話なのです。

「天下静謐(てんかせいひつ)」

信長は「天下布武」よりも「天下静謐」という言葉を、よく使用していました。

 

「静謐」とは、「平和」という意味です。

 

信長はあくまでも「平和」を実現するために戦いを続けていたのでした。


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実際、信長は真面目です。

 

  • 義父「斎藤道三」が残した遺言にバカ正直なまでに従って、その仇を討ち、美濃国を支配
  • 「足利義昭」の要請に従って「室町幕府」を再興させ
  • 「足利義昭」がバカな政治を始めるとこれに注意を加え
  • 「足利義昭」が「武田信玄」たちと協力して「信長包囲網」を形成するとこれと戦い
  • 「比叡山延暦寺」が水運業や金貸し業で私腹を肥やして政治に介入し、仏道修行をおろそかにすると、これを焼き討ちにし

 

ただただ信長は「天下の秩序」と「自らの領民」を守るために戦い続けているのです。(ほとんどが「足利義昭」による「嫌がらせ」でしたが・・・)

 

信長は、「天下」を自らの欲のために支配しようとした侵略者ではなく、真面目に自らの領地と領民を守るために戦った武将なのではないでしょうか。

 

幼い頃は「うつけ」とよばれていたわけですが、実際にはエリート教育をほどこされた「文武両道」の猛者だったと考えられています。

 

信長は、「魔王」ではなく、「真面目な人」だったのだと、筆者は考えています。

 

「斎藤道三が信長に残した遺言状」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『【斎藤道三】死因と最後の様子が壮絶!織田信長に託した遺言状とはの記事はコチラ

 

「足利義昭」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『足利義昭の全てを徹底解説!織田信長・明智光秀との関係や子孫も網羅』の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「天下布武」とは、織田信長が【1567年】頃から使用を始めた印鑑のこと

 

2,当時の「天下」とは「日本全国」という意味ではなく、現在の「大阪府の大部分・奈良県全て・京都府南部・兵庫県南東部」のみのこと

 

3,「布武」とは「武を布く」つまり「武力で制圧する」という意味ではなく、「平和にする」という意味

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

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ありがとうございました。


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