織田信長が室町幕府を滅ぼした真相とは?信長は滅ぼす気がなかった!

この記事では「織田信長は、なぜ室町幕府を滅ぼしたのか」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「信長がなぜ室町幕府を滅ぼしたのか」その理由が、カンタンに理解できます。

 

「織田信長」は、「もともと室町幕府を滅ぼすつもりなどなかった」のです。


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この記事を短く言うと

 

1,「室町幕府」が滅亡した経緯とは?
織田信長」によって再興された室町幕府だったが、将軍「足利義昭」は無能な政治を行って信長と敵対。義昭は信長と戦い、敗北して追放され、室町幕府は滅亡した

 

2,「室町幕府」が滅亡した真相とは?
もともと信長は「室町幕府」を滅ぼすつもりなどなかった。追放した義昭を京都へ連れ戻そうとしたが、義昭がそれを拒絶したため、結果「室町幕府」は滅亡した

 

3,織田信長は、そもそも天下統一を目指していなかったのか?
信長は、「天下統一」よりも「天下静謐(てんかせいひつ)」、すなわち「平和」を目指していた。「義昭が仕掛けてくる戦い」に必死に対処していたら、「天下統一」間近だっただけ

室町幕府が滅亡した経緯を、カンタンに解説

1573年】、「室町幕府」は、第15代征夷大将軍「足利義昭」が、織田信長によって京都から追放されたことで滅亡しています。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

 

なぜ「室町幕府」は滅亡したのかというと、「足利義昭」が、協力者だった「織田信長」と敵対したことが原因です。

 

もともと「足利義昭」は、【1568年】に、織田信長の協力によって、「征夷大将軍」に就任させてもらっていたのです。

 

義昭の兄「13代将軍・足利義輝」が暗殺されて、「義昭」も殺されそうになったのですが、なんとか逃亡。

 

「征夷大将軍」の座を、ライバル「足利義栄」に奪われてしまいました。


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そこで、強大な軍事力をもっていた「織田信長」に協力してもらい、「足利義栄」や、兄「義輝」を殺した「三好三人衆」を追放。

 

足利義昭は、兄「義輝」のあとを継いで「征夷大将軍」に就任し、「室町幕府」を再興。

《足利義昭》
「引用元ウィキペディアより」

ところが、「義昭」は政治に関して、あまりにも無能な人でした。

 

手柄をたてた家来にご褒美をあげなかったり、公平な裁きを下さなかったり、ただただ自分の利益を満たそうとするばかり。

 

信長は、そんな義昭を注意し続けます。

 

しかし義昭は信長からの注意を無視。

 

それどころか、周囲の武将たちに、「信長を討て」と命令書を発する有様でした。

 

こうして「信長」と「義昭」は敵対していきます。

 

1573年】、義昭が「征夷大将軍」に就任してから5年後、義昭の命令で「信長」と戦うために京都を目指していた猛将「武田信玄」が病死。

 

義昭がもっとも頼りにしていた「武田信玄」が死んだことで、義昭は信長に敗北します。

 

「信長」は、「義昭」を「槇島城の戦い」で撃破。

 

義昭を殺すことはせず、京都からの追放処分とします。

 

こうして【1336年】に開かれた「室町幕府」は滅亡してしまうのです。

 

 

「室町幕府を開いた人」については、以下のリンク記事をどうぞ。

『室町幕府を開いた人は誰?そして滅ぼした人は誰なのかカンタン解説』の記事はコチラ

 

「足利義輝」については、以下のリンク記事をどうぞ。
『足利義輝のすべてを徹底解説!剣豪将軍の最期や愛刀・名刀を完全網羅』の記事はコチラ

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室町幕府滅亡の真相とは?織田信長は、幕府を滅ぼすつもりはなかった

室町幕府が滅亡した理由は、
「織田信長」によって、操り人形のように扱われた「足利義昭」が、用済みとなって追放されたのだ
と、これまで考えられていました。

 

しかし実際には、違うようなのです。

 

「足利義昭」があまりにも真面目に政治を行わずに、挙句の果てには「真面目に政治をやってくれ」と注意した信長に対して、理不尽にも戦いを挑んできたから、仕方なく追放した
というだけの話なのです。

 

真面目に仕事をしない上司に、部下が注意したら、逆ギレした上司が襲いかかってきたので反撃しただけ
ということです。


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その証拠に、信長は京都から追放した「足利義昭」に対して

「京都へ戻って欲しい」

とお願いしています。

 

その「信長からの願い」を、義昭は拒絶。

 

中国地方の大名「毛利輝元」の領地である「鞆の浦」へと移動し、信長への反抗姿勢を強めたのです。

 

「足利義昭」については、以下のリンク記事をどうぞ。

『足利義昭の全てを徹底解説!織田信長・明智光秀との関係や子孫も網羅』の記事はコチラ

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そもそも織田信長は、天下統一を目指していなかった

「室町幕府」を滅ぼした信長は、その後「天下統一」を目指し、「室町幕府」に変わる、新しい秩序と世の中をつくろうとした、と言われています。

 

しかし、そもそも信長は「天下統一」を目指していませんでした。

 

「足利義昭」が仕掛けてくる戦いに対処し続けていたら、いつの間にか「天下統一」目前までいっていただけ、
と近年では考えられているようです。

 

足利義昭は、「織田信長」に頼りっきりだったため、自分自身の「軍事力」をほとんど持っていませんでした。

 

そのため、義昭は「織田信長」と戦うために、自分で戦うのではなく、全国の「戦国武将」たちに、「信長を倒せ」という命令書を乱発していたのです。

 

「征夷大将軍」

 

この「征夷大将軍」とは、「武士たちのトップ」に君臨する称号です。

 

何の力もない「足利義昭」ですが、「信長と戦え」と、全国の武将たちに命令する権限だけは持っていました。

 

この命令を受けた「武田信玄」や「上杉謙信」「毛利輝元」たちは、織田信長と激しく敵対します。

 

信長は、これらの強敵を、次々と撃破。

 

そうして気がつくと信長は、東は関東の覇者「北条氏政」を臣従させ、西は中国地方の支配者「毛利輝元」を追いつめていました。

 

信長が使っていた印「天下布武」。

《天下布武》
「引用元ウィキペディアより」

実はこの「天下布武」とは、「天下を武力で制圧する」とか「天下から武力衝突(戦争)を無くす」という意味ではありません。

 

「天下」とは、現在の近畿地方だけを指す言葉なので、「天下布武」とはすなわち「近畿地方を平和にする」という意味なのです。


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信長は「天下布武」という印を使用したと言われていますが、それ以上に使い続けていた言葉が二つあります。

 

「天下静謐」と「麟」という二つです。

 

「天下静謐」とは、「近畿地方を平和にする」という意味。

 

「麟」とは、「平和な世の中に出現する」という神獣「麒麟(キリン)」の一文字。

《織田信長の「麟」の花押》
「引用元ウィキペディアより」

信長は、力づくで天下を制覇しようとしていた「戦好き」、または「魔王」などと呼ばれていますが、実際にはものすごく「真面目」です。

 

ただただ平和を実現しようと力を尽くし続けているのです。

 

「室町幕府」を滅びしたのも、滅ぼそうとしたのではなく、「平和」を実現しようとする自分を、「足利義昭」が邪魔してきた、というだけ。

 

信長は「天下統一」という壮大な野望を抱いていたのではなく、「平和」を望んだだけの、意外と素朴な人だったのではないでしょうか。


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もしも「信長」が、「室町幕府」を滅ぼしていなかったら

もしも信長と義昭が協力して「平和」を実現していたら、「室町幕府」は滅びることなく再興されていたかもしれません。

 

信長はあくまでも「足利義昭」と「室町幕府」という秩序を維持しながら、平和を実現していたのではないでしょうか。

 

そもそも「足利義昭」が、名君だったなら、信長からすれば、「追放」する必要がありません。

 

たとえ信長に「天下統一」という野望があったとしても、「義昭」という「最高の権威」を最大限利用すればよいだけのこと。

 

たとえば、「足利義昭」の名前で、全国の大名たちに「信長の命令に従え」と命令するのです。

 

これに逆らう武将たちは、信長の圧倒的な武力で制圧すればいい。

 

もしも信長が負けたら、「征夷大将軍」の権限で「戦争をやめよ」と命令すればいいのです。

 

そして信長が勢力を回復したら、リベンジ開始。

 

また負けたら、同じことを繰り返せばいいわけです。


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信長にとって、「足利義昭」という存在は、どこまでも便利な存在だったはず。

 

「室町幕府」が滅亡していなかったら、そして信長に「天下統一」の野望があったのなら、日本は「足利義昭」と「織田信長」によって、迅速に統一されていたでしょう。

 

その後、日本の支配体制は、「鎌倉幕府と征夷大将軍」を裏で支配した「北条一族」のように、「織田信長が室町幕府を裏で支配する」という体制になっていたと思います。

 

「鎌倉幕府」を「執権・北条一族」が「征夷大将軍」を操り人形とすることで支配したように、「室町幕府」も「執権・織田一族」が支配したかもしれませんね。

 

「征夷大将軍」について、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。

『征夷大将軍とは何か?簡単にわかりやすく子供でもわかるよう解説!』の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,織田信長」によって再興された室町幕府だったが、「足利義昭」が信長と敵対。義昭は敗北して追放され、室町幕府は滅亡

 

2,もともと信長は「室町幕府」を滅ぼすつもりなどなかった。追放した義昭を京都へ連れ戻そうとしたが、義昭はそれを拒絶。結果「室町幕府」は滅亡した

 

3,信長は、「天下統一」よりも「天下静謐」を目指していた。「義昭が仕掛けてくる戦い」に必死に対処していたら、「天下統一」間近だっただけ

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

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ありがとうございました。


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