【桂久武とは】家系図と子孫を調査!西南戦争参戦の理由がカッコいい

西郷隆盛とともに西南戦争で亡くなった「桂久武」の「家系図と子孫」や「西南戦争に参加の理由」をわかりやすく解説いたします。

子孫は、桂久武の甥が現在まで続いていた。

久武はもともと「西南戦争」に参加するはずではなかったが、友人「西郷」のため一緒に戦うことを決意していた


スポンサーリンク

歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

・桂久武とは、西郷隆盛に協力し、武力倒幕に功績があった人物。西南戦争で西郷とともに戦死した

・桂久武には、「桂久蒿」と「桂小吉」という息子がいた。甥が子孫をつなげており、末裔には「島津晴久」さんがおられる

・出陣する西郷を見送るだけのはずが、そのまま「西南戦争」に参戦した


《桂久武とは?どんな功績を残したのか?》

幕末、西郷隆盛とともに明治維新に奔走し、1877年の西南戦争で西郷とともに亡くなった武士『桂久武』

《桂久武》
「引用元ウィキペディアより」

いったいどんな功績を残した人物なのでしょうか?

『桂久武』の功績

桂久武の功績を短く解説いたします。

・長州藩士・桂小五郎とのパイプを利用して、薩長同盟締結に奔走した。

・西郷隆盛とともに西南戦争を戦い、亡くなった。

ドラマや小説などで、西郷隆盛の師であったという説となる「赤山靱負(あかやま ゆきえ)」は、桂久武の実兄にあたります。

西郷と桂久武は、西郷隆盛が大島・沖永良部島で生活していた頃に知り合ったと考えられます。


スポンサーリンク

《家系図と子孫》

桂久武の子孫は、現在も生きているのでしょうか?

久武には「久蒿」という名前の息子がいました。

もう一人「小吉」という息子がおり、この「小吉」が、桂久武が行っていた開墾事業を継承し、明治39年に父「桂久武」の事業を記録した碑を建設しています。

「家系図の引用等はご遠慮くださいませ」

「家系図の引用等はご遠慮くださいませ」

日置島津家・・・猛将・島津義弘の弟・智将「島津歳久」を祖とする薩摩藩島津家の分家ですが、桂久武は、もともとこの「日置島津家」から桂家へ養子にいった人物。

この「日置島津家」を、久武の兄「島津久徴(しまず ひさなが)」が継承。現在も続いておりますので、兄の子が現在まで続いているわけです。

現在、日置島津家は、島津久徴の玄孫「島津晴久」氏が継承しておられます。

詳しい現状がわかっていませんので、お亡くなりになられた可能性もあるにはありますが、おそらくご子息に家督継承をしておられるはず。

つまり桂久武の兄の玄孫が、今も続いているということです。


スポンサーリンク

《西南戦争に参戦した理由とは?元々参戦するつもりはなかった》

どうして桂久武は、西南戦争に参戦することとなったのか?

もともと桂は、西南戦争に参戦するつもりなどなかったと言われています。

鉱山開発や新田開発・・・もともと南九州で知事を務めていた桂久武は、官を辞して鹿児島へ戻り、農業や鉱山などの産業振興に力を注いでいました。

しかし、1877年、西南戦争が起こると、出陣する西郷を見送り、その時になって出陣を決意したのだとか。

勝ち目の薄い戦場へ出陣する西郷隆盛を、見送るだけの自分に嫌気がさしたのか、友を一人で死なせるに忍びなく、「せめて自分にしてやれることは、一緒に死んでやること」くらいだと考えたのか。

1877年9月24日、城山総攻撃の際に、「桂久武」は頭部に流れ弾をうけて戦死。

西郷隆盛も、直後に別府晋介の介錯により、自決しています。

 

西南戦争」と「西郷隆盛の最期」について、詳しく解説させていただきます。よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

「西南戦争の原因を簡単にわかりやすく解説!西郷隆盛の最期と覚悟に絶句」の記事はコチラ
「西郷隆盛の最後の様子は壮絶!『最期の地』と『死に際の言葉』に絶句」の記事はコチラ

スポンサーリンク

《『桂久武』について、レビュー(評論)!》

桂久武・・・・西郷隆盛とともに戦い、亡くなった武士。

西郷隆盛を一人死なせる気にはならなかった・・・・この覚悟は本物だったと思います。

もしも桂久武が、一時の気の迷いで西郷に味方したとしたら、死ぬ前に逃亡していたはず。

実際、西南戦争で政府軍に投降した人間は、結構たくさんいます。西郷隆盛の息子「西郷菊次郎」や西郷の家人「熊吉」・・・。西郷を介錯した「別府晋介」の兄「別府九郎」など。

しかし、桂は最後の最後の最後まで戦い続け、流れ弾に当たって戦死します。

その直後、西郷はこれまでと覚悟を決め、自決。

桂久武・・・・出陣した西郷隆盛の背中を最後まで追い続け、最期は一足先に亡くなった志士。

現在は西郷隆盛と同じ鹿児島市「南洲墓地」に眠っています。


《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・桂久武とは、薩長同盟締結に尽力し、西郷隆盛とともに西南戦争で亡くなった武士

・桂久武には「久蒿」という息子がいた。兄の玄孫が、日置島津家を継承している

・桂久武は、出陣する西郷を見送る際に、出陣を決め、西郷隆盛と同日に亡くなった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓↓

「西郷隆盛の本物写真が発見された?本当の顔を確認する方法とは!」の記事はコチラ
「大久保利通の子孫は【麻生太郎】!2人の系図をわかりやすく解説!」の記事はコチラ
「西郷隆盛の生涯年表を世界一簡単にまとめてみた!」の記事はコチラ

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

2018年12月
« 10月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  
ページ上部へ戻る