維新十傑の一人に数えられる幕末の薩摩藩士「小松帯刀(こまつ たてわき)」
その「生涯」と「最期」「子孫と家系図」について、わかりやすく解説いたします。
西郷隆盛・大久保利通を使いこなしたリーダー「小松帯刀」
勉強のやり過ぎで若くして死亡。
子孫は政治・経済で大活躍していた。
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この記事を短く言うと
・小松帯刀は、薩摩藩の家老。坂本龍馬が新政府のトップにしようとしていた偉人
・若くして亡くなってしまったため、新政府でその才能を発揮できなかった
・小松帯刀の子孫は、経済界で活躍していた
≪小松帯刀(清廉)とは何者?坂本龍馬が尊敬した幻の国家元首≫
小松帯刀
「維新十傑」の一人にして、薩摩藩家老
その小松帯刀の生涯を解説いたします。
小松帯刀の功績
小松帯刀の功績を短く解説
・薩摩藩の改革を断行し、大久保利通や西郷隆盛を率いて倒幕を実現した
・新政府において、版籍奉還などの実現に尽力
若くして亡くなっているため、大久保利通や西郷隆盛に比べると、功績が少ない気がします。
しかし、近江屋で暗殺される直前の坂本龍馬がつくった「新政府人事構想」では、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允よりも上。小松帯刀は「筆頭」に位置していました。
簡単年表
1835年12月3日、薩摩藩鹿児島城下山下町で誕生。幼名は「尚五郎」。父は「肝付兼善」。母は「島津久貫の娘」
1855年、小姓・近習に抜擢。2ヶ月間「江戸」で務める
1856年、小松家へ養子入りして家督相続。「千賀」と結婚
1858年、薩摩藩主・島津斉彬が死去。「当番頭」兼「奏者番」に任命
1860年、弁天波止場受持という役職に就任
1861年、長崎へ短期留学。島津久光の側近に就任。その後「御改革御内用係」に就任
1862年、島津久光の「率兵上京」に同行し、その後若干28歳で「家老職」に就任。
1863年、薩英戦争で、水雷を利用し交戦
1864年、第一次長州征伐では、長州藩の降伏に尽力
1865年、坂本龍馬の「海援隊」創設に協力。
1866年、京都・小松帯刀の屋敷で「薩長同盟」を締結
1867年、坂本龍馬が暗殺される。
同年、薩土盟約に尽力。また討幕の密勅を朝廷から引き出すことに成功。
1869年(明治2年)、総裁局顧問などの重職を歴任。重病のため帰還
1870年、大阪で死去。享年36歳
篤姫との関係
大河ドラマ「篤姫」において、小松帯刀は篤姫と婚約していた・・・というストーリーが描かれていました。
しかし、実際に2人が婚約していた事実はありません。篤姫が徳川家定と結婚した「1856年」に、小松帯刀もまた「千賀」と結婚していますからね。
小松帯刀は愛妻家でも有名です。
お墓の場所
小松帯刀のお墓は、鹿児島県日置市にある「小松家歴代墓所」にあります。
住所は「鹿児島県日置市日吉町吉利4998」
ちなみに、小松帯刀のお墓のすぐそばには正室「千賀」と、側室「琴」、2人の墓が残っています。
千賀は「琴」が、小松帯刀の側に葬ってほしい、と希望していたことを知っていたらしく、その希望に沿って墓を建立してあげたみたいですね。
よく出来た奥様です・・・。
西郷隆盛と枕のエピソード
西郷隆盛は自分より年少の上司「小松帯刀」と初めて合う際に、その人間性を確かめようと「狸寝入り」を決め込んだと言われています。
小松帯刀はこれに対して、自らの部下に
「西郷は疲れているようだ。枕を持ってきてあげて」
と優しい配慮。これに感激した西郷は、身なりを整えて謝罪。忠誠を誓ったと言われています。
織田信長と、その姑にして宿敵「斎藤道三」にも似たようなエピソードがあります。
初めて対面した時、柱に頭をもたげてにらみつける信長。斎藤道三はこれを咎めず、自らの席にゆったりと座り、丁寧に挨拶。
斎藤道三の度量の大きさを見せつけられた信長も、礼を尽くしたと言われています。
相手の挑発に乗らない冷静さと器の大きさ・・・それを物語るエピソードですね。
小松帯刀は人間的な魅力豊かな人だったらしく、イギリスの外交官「アーネスト・サトウ」は、小松帯刀について
「小松は私が知る限り、最も魅力的な日本人。
家老という重職にありながら、政治の才能に優れ、態度も優れていた。
友情に厚く、誰よりも飛び抜けていた」
と証言しています。
≪小松帯刀の生涯と早すぎた最期≫
小松帯刀の生涯と最期を解説いたします。
生い立ち
1835年12月3日、薩摩藩士「肝付兼善」の三男(四男という説も)として誕生。
母は兄を溺愛・・・そのため母からそれほど愛されずに育った小松帯刀。
13歳の頃から「学問」に熱中。
虚弱体質であるにもかかわらず、朝から晩まで勉強に熱中し、17歳で体調不良。
が、それでも勉強に勤しんだとのこと。一時期「琵琶」に熱中していたこともあったらしいですが、勉強がおろそかになったため、弦を切ってしまったという逸話があります。
熱中しやすい性格だったことが分かりますね。
薩摩藩士として出仕
1855年、小姓として薩摩藩に出仕
1856年、小松家の養子となって2600石の家督相続。7歳年上の「千賀」と結婚
1858年、薩摩藩主「島津斉彬」が亡くなると、斉彬が推し進めていた近代産業の工場「集成館」の管理と「にせ金つくり」を担当することになります。
しかし、斉彬亡き後に藩の実権を握った斉彬の父「斉興」により「集成館事業」は閉鎖されてしまいます。
長崎へ短期留学
1861年、長崎へ短期留学。
軍艦の操縦方法、水雷砲術などを学び薩摩へ帰還。これが後に「薩英戦争」で活きることとなります。
同年、島津久光の側近として、大久保利通を従えて藩政改革に着手。
1862年、島津久光による「率兵上京」に同行し、幕府へ幕政改革を迫っています。
薩英戦争と禁門の変
1863年、「薩英戦争」では、長崎で学んだ「水雷」を利用して英国軍艦と交戦。
英国の力を見せつけられたためか、小松帯刀はこの頃、閉鎖されていた「集成館事業」の再開を実現しています。
1864年、「禁門の変」では一軍を率いて長州軍と交戦。
坂本龍馬との出会い
1865年、坂本龍馬の「海援隊」創設に協力しています。
かなり親しかったらしく、龍馬の妻「おりょう」の面倒をみたことで有名です。
薩長同盟と倒幕
外様である「薩摩藩」による幕政参加を目論んだ「参預会議」「四侯会議」が「一橋慶喜」によって次々と潰されたため、薩摩藩はこの頃「公武合体」から「倒幕」へと大きく方針を転換。
1866年、京都の小松邸で「西郷隆盛」とともに、長州藩「桂小五郎」と「薩長同盟」を締結。
1867年、小松帯刀や西郷・大久保の働きかけにより、朝廷から「討幕の密勅」を下されるも、徳川慶喜による「大政奉還」で、「討幕の大義名分」を失い、「討幕の密勅」は意味を失います。
1868年、「王政復古の大号令」「辞官納地」に怒った旧幕臣により「戊辰戦争」が勃発。
西郷隆盛が東征軍を率いて、江戸城無血開城を実現し、明治維新に成功
新政府
1869年(明治2年)、明治政府では「総裁局顧問」などの重要なポストを歴任。
外国との交渉を主に担当。
また、版籍奉還を大久保利通とともにすすめたり、近代化の礎を固めていきます。
しかし、病気で薩摩へ帰還。
「足の痛み」「胸の痛み」「肺病(結核)」「左下腹部の腫瘍」など、長年の負担が一気に襲いかかっています。
最期
1870年7月18日、大阪で他界。享年36歳。
愛妻家で有名だったが、最期は側室「三木琴」に看取られて静かに逝ったと言われています。
「幻の宰相」・・・坂本龍馬が想定していた新政府トップは「西郷隆盛」でも「大久保利通」でも「木戸孝允(桂小五郎)」でもなく、「小松帯刀」
ちなみにこの「三木琴」との間に産まれた子供「安千代」は、帯刀の正室「千賀」に預けられ、「三木琴」は帯刀の友人「五代友厚」の邸宅で生活したとのことです。
≪子孫たちは、経済で大活躍した≫
小松帯刀の子孫は、経済界で活躍しています。
帯刀の孫「小松重春」は、経國銀行頭取を務めています。
そして「重春」は、品川駅で2010年まで営業していた弁当販売の店「常盤軒」を創業。
この「重春」さんには跡継ぎとなる子供がいなかったため「西郷隆盛」の弟「西郷従道」の七男「従志」が、「重春」さんの養子となって家督を相続。
その家系が現在まで続いているのです。
小松帯刀の末裔「小松久美子」さんが取締役社長を務め、現在は久美子さんの孫「拓也」さんが、「常盤軒の居酒屋・薩摩屋敷」の店長をしているみたいですね。
現在でも仕出し弁当・立ち食いそば屋などは営業を続けているご様子。年商30億円という企業に発展していると言われています。
一応「西郷隆盛」「従道」たちの詳細な家系図を載せておきます。
細かくて見えにくいですが、小松重春さんの養子「従志」さんの名前も載っています。
西郷従志さん・・・西郷従道の8番目の子供ですね。
余談ですが、鹿児島では「小松帯刀」という名前の芋焼酎が有名です。
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幻の宰相・・・小松帯刀・・・。
誰からも愛され、誰よりも魅力的な「坊ちゃん育ち」の清き名宰相。
そんな小松帯刀が首相になっていたら・・・と考えずにはいられません。
≪まとめ≫
本日の記事をまとめますと
・小松帯刀は、薩摩藩の家老として藩政改革に着手。西郷・大久保とともに倒幕に成功
・とても優秀で、坂本龍馬が考えていた新政府人事ではトップにつくことを予定していた
・子孫は、現在「常盤軒」という会社を経営している
以上となります。
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