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徳川家康の家系図を簡単に短く解説!嫁と子供、子孫と現在の末裔とは

「徳川家康」の家系図を、画像付きで「ひと目でわかる」ように、わかりやすく解説いたします。

徳川家康の「嫁」と「子供」・・・そして、現在も続いている「子孫・末裔」について徹底調査しました。

現在も徳川宗家は続いているのか?

現在は19代宗家「徳川家広」氏が当主を勤めておられます。


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この記事を短く言うと

徳川家康の祖父は「松平清康」、父は「松平広忠」

・家康には「2人の正室」と「約20人の側室」がいた

・家康の子孫・・・徳川宗家は、現在19代当主「徳川家広」氏

・2019年7月21日、「徳川家広」氏が、参議院選挙に立候補し落選した。


家康の家系図

徳川家康

《徳川家康》
「引用元ウィキペディアより」

徳川家康の家系図を、簡単に解説致しますと、以下のようになります。

 

松平清康(祖父)

松平広忠(父)ー 於大の方(母)

徳川家康(徳川幕府・初代将軍)

徳川秀忠(2代将軍)

徳川家光(3代)

徳川家綱(4代・家光長男) ー綱重 (三男) ー 綱吉(5代・四男)

徳川家宣(6代)・・・(甲府藩主・徳川綱重の長男・・・叔父・綱吉に養子入り)

徳川家継(7代)・・・(家継を最期に2代「秀忠」の系統は途切れた)

徳川吉宗(8代)・・・(紀州徳川家から養子入り)

徳川家重(9代)

徳川家治(10代)

徳川家斉(11代)・・・(8代「吉宗」の四男「宗尹(むねただ)」を初代とする【一橋徳川家】から養子入り)

徳川家慶(12代)

徳川家定(13代)

徳川家茂(14代)・・・(【紀州徳川家】から養子入り)

徳川慶喜(15代)・・・(【一橋徳川家】から養子入り)

「家系図の引用などはご遠慮くださいませ」

ちなみに、家康の祖父「清康」は、三河国を統一するほどの名将でした。

しかし、25歳の若さで家臣「阿部正豊」に裏切られ、殺害されています。

父「松平広忠」も、24歳で家臣に殺害されたという説があります。


徳川家康の死因」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。



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妻(正室と側室)

家康には、生涯に「2人の正室」と「約20人の側室」がいました。

「2人の正室」

・「築山殿」・・・今川義元の姪、「松平信康」「亀姫」の母。1579年「信康事件」で「信康」とともに死去

・「朝日姫」・・・豊臣秀吉の妹。1590年に死去

「20人の側室」

・「小督局」・・・・次男「結城秀康」の母

・「西郷局」・・・・三男「徳川秀忠」、四男「松平忠吉」の母

・「下山殿」・・・・五男「武田信吉」の母

・「茶阿局」・・・・六男「松平忠輝」、七男「松平松千代」の母

・「お亀の方」・・・八男「平岩仙千代」、九男「徳川義直」の母

・「蔭山殿」・・・・十男「徳川頼宣」、十一男「徳川頼房」の母

・「西郡局」・・・・次女「督姫」の母

・「お竹の方」・・・三女「振姫」の母

・「お久の方」・・・四女「松姫」の母

・「お梶の方」・・・五女「市姫」の母

・「阿茶局」

・「松平重吉の娘」

・「お夏の方」

・「お梅の方」

・「お牟須(むす)の方」

・「お仙の方」

・「お六の方」

・「信寿院」

・「法光院」

・「三条氏」

「家系図の引用などはご遠慮くださいませ」

側室はもっといた可能性があります。

妾なども含めると、もっといたはず。

家康が側室を選ぶ際に大切にしたことは「子供が産めるかどうか」。

その為、既に出産経験のある女性を側室とすることも珍しくなかったのです。

例えば二代将軍「徳川秀忠」の生母「西郷局」は、家康の側室となる前に「一男一女」を産んでいます。

ちなみにこの、「西郷局」と前夫の子供は、家康の十男「徳川頼宣」の家来になっています。

しかし異母弟にあたる「徳川秀忠」の死後、西郷局の子供は没落し、大名から旗本へ落とされたとのことです。



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家康の子孫・現在の末裔とは?

徳川家康の子孫は、現在も続いているのでしょうか?

最期の将軍「徳川慶喜」・・・その次代が「田安徳川家」出身の16代「徳川家達(いえさと)」

田安徳川家とは、八代将軍・徳川吉宗の次男「宗武」を初代とする「御三卿」の一つ。

この「徳川家達」の子が17代「徳川家正」氏

17代「家正」氏の子は若くしてなくなっていたため、「会津松平家」分家の次男「恒孝(つねなり)」氏を養子としました。

18代「恒孝」氏は、会津藩主「松平容保」公の「ひ孫」。

「恒孝」氏の息子が、徳川宗家19代当主「德川家広」氏

「徳川家広」氏は、現在「政治経済評論家」として活動。

長崎大学の客員教授・早稲田大学講師などを務めておられてます。

どうやら「家広」さん・・・2006年に11歳年下の「ベトナム人女性」と結婚したみたいです。

子供はいないとのこと。

父「恒孝」さんは当初、結婚に反対したらしいですが、現在は黙認しているのだとか。



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2019年7月21日「参議院選挙」で「徳川家広」氏・落選

2019年7月21日、「参議院選挙」が行われました。

19代目「徳川家広」氏は静岡県で、野党第一党「立憲民主党」から出馬。

「静岡県」は、二人区であり、二人が当選する事となっている地域でしたが、

自民党・現職「牧野京夫(まきのたかお)」氏

国民民主党・現職「榛葉賀津也(しんばかづや)」氏

の現職二人が当選。

徳川家広氏は30万票以上を獲得するも、2位当選の「榛葉賀津也」氏に「14万票差」をつけられて敗北。

3位という結果となりました。

敗北が決まった後、徳川家広氏は次のように語りました。

「力不足だった」

「残念。1票を投じた有権者におわびを申し上げたい」

「支えてくださった皆さんは限界以上のことをした。後悔は全くない」

立憲民主党の「枝野幸男」代表や「蓮舫」氏の応援を受け、「脱原発」を訴えながらも、敗北したとのことです。


徳川家康の生涯・年表・子供」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・家康の父「松平広忠」・・・祖父は「松平清康」

・家康には、「2名の正室」と「20人の側室」がいた

・徳川宗家の現当主は、19代「德川家広」氏

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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よろしければ、以下のリンク記事もお役立てくださいませ。


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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 徳川家を取り扱っていただきありがとうございます。徳川御宗家の現当主は18代恒孝様ですが、昨年くらい前から日光東照宮例大祭の祭事等行事へは御嫡男家広様が行われるようになりました。今後は家広様が表に出てこられると思います。

    德川御宗家と旧家臣団の末裔とは現代も交流がありまして、徳川将軍家の家臣であった譜代大名・旗本及び御家人の末裔で組織されている「柳営会」という団体があり、久能山東照宮御例祭、日光東照宮例大祭に参加される徳川御宗家のお供をしたり、年1回懇親会が開催され、主従の交流が行われております。

    • 加藤様!
      いつもお世話になっております。
      この度もまた、とても貴重な情報をありがとうございます。
      ご嫡男「徳川家広」様が、すでに祭事などをなさっておられたことは知りませんでした。
      また、徳川家家臣団の団体があることも存じませんでした・・・。
      とても素晴らしい情報、本当にありがとうございます。
      またぜひぜひ、当サイトをご利用いただき、素晴らしい教えをいただけましたら幸いでございます。
      本当にありがとうございます!!

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