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【織田信長の享年】ほか戦国武将の死亡年齢・没年齢もまとめて紹介

この記事では「織田信長など、戦国武将たちの享年・没年」について、わかりやすく、短く、カンタンに、まとめて解説しております。

 

これを読めば「有名な戦国武将たちの享年」を、カンタンに理解できます。

 

ちなみに「織田信長」は「1582年(天正10年)」に「数え年49歳」でなくなっているのです。


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この記事を短く言うと

 

1,織田信長の享年と亡くなった西暦は?
信長は数え年「49歳」、「1582年」に「本能寺の変」で亡くなった

 

2,信長の死因は?
信長の死因は「自害」。「明智光秀」に裏切られ、「本能寺の変」で亡くなった

 

3,もしも信長が「本能寺の変」で死ななかったら、歴史はどう変わっていたか?
信長が「本能寺の変」で死ななかったとしたら、「2~3年」以内に天下統一していただろう。その後は、「海外遠征」を予定していたというが、国内で裏切りが頻発していた可能性もある

織田信長ほか「戦国時代の有名武将」の享年と没年(西暦)

戦国時代に活躍した有名武将たちの「享年」と「没年(亡くなった西暦)」を解説いたします。

 

織田信長」は、「数え49歳(満年齢47歳)」で亡くなっています。

 

没年月日は「1582年6月21日(天正10年6月2日)」。

 

亡くなった場所は「京都・本能寺」。

 

信長を殺害したのは、ご存知の通り「明智光秀」。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

次に、信長と同じ「戦国時代」を生きた有名武将の「享年」と「没した西暦」を解説致します。

 

以下に、亡くなった順番に並べました。

 

年齢は当時主流だった「数え年」を採用しておりますので、現代においてしようされている「満年齢」とは、少し年齢の数え方がことなります。



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「織田信秀」、享年42歳、【1552年

 

「太原雪斎」、享年60歳、【1555年

 

「斎藤道三」、享年63歳、【1556年

 

「今川義元」、享年42歳、【1560年

 

「斎藤義龍」、享年35歳、【1561年

 

「三好長慶」、享年43歳、【1564年

 

「足利義輝」、享年30歳、【1565年

 

「毛利元就」、享年75歳、【1571年

 

「武田信玄」、享年53歳、【1573年5月

 

「斎藤龍興」、享年26歳、【1573年9月10日

 

「朝倉義景」、享年41歳、【1573年9月16日

 

「浅井長政」、享年29歳、【1573年9月26日

 

「松永久秀」、享年68歳(70歳説あり)、【1577年

 

「上杉謙信」、享年48歳、【1578年

 

「織田信長」、享年49歳、【1582年6月21日(天正10年6月2日)



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「明智光秀」、享年55歳(67歳説あり)、【1582年7月2日(天正10年6月13日)

 

「柴田勝家」、享年62歳、【1583年

 

「足利義昭」、享年61歳、【1597年

 

「豊臣秀吉」、享年62歳、【1598年

 

「石田三成」、享年41歳、【1600年

 

「近衛前久」、享年77歳、【1612年

 

「真田幸村」、享年49歳、【1615年6月3日

 

「豊臣秀頼」、享年23歳、【1615年6月4日

 

「徳川家康」、享年75歳、【1616年

 

 

「織田信長が討たれた本能寺の変」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。



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有名武将たちの「死因」を解説

次に、上で解説した武将たちの「死因」をザッと解説致します。


「織田信秀」
病死、(亡くなる2年ほど前から病気で苦しんだ。病名は不明)

 

「太原雪斎」
病死、(死因は不明)

 

「斎藤道三」
戦死、(「長良川の戦い」で息子「斎藤義龍」の軍に首を討たれた)

 

「今川義元」
戦死、(「桶狭間の戦い」で織田信長の軍団に討ち取られる)

 

「斎藤義龍」
病死、(「ハンセン病」で亡くなったという説がある)

 

「三好長慶」
病死、(実の弟「安宅(あたぎ)冬康」を暗殺した直後に病死している。精神病だったという説もある)

 

「足利義輝」
戦死、(「永禄の変」で、三好三人衆の軍と激戦を展開した後に戦死)

 

「毛利元就」
病死、(死因は「老衰」または「食道がん」といわれている。亡くなる直前に「腹痛」を起こしている)

 

「武田信玄」
病死、(「胃がん」で亡くなったと考えられているが、寄生虫が死因という説もあり)

 

「斎藤龍興」
戦死、(織田軍団との「刀根坂(とねざか)の戦い」で戦死。農民として生き延びたという生存説もあり)

 

「朝倉義景」
自害、(「一乗谷の戦い」の直後、一族の「朝倉景鏡」に裏切られて自害)

 

「浅井長政」
自害、(織田信長の軍に攻められ、追いつめられて自害)

 

「松永久秀」
自害、(「信貴山城の戦い」で追いつめられ、城に放火して自害)

 

「上杉謙信」
病死、(塩分過多の「脳溢血」と考えられている)

 

「織田信長」
自害、(「本能寺の変」で明智光秀に攻め滅ぼされる)



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「明智光秀」
自害、(「山崎の戦い」で羽柴秀吉に敗れ、逃走途中で落ち武者狩りに襲撃され、直後に自害)

 

「柴田勝家」
自害、(「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に攻め滅ぼされる。「北ノ庄城」で妻「お市の方」とともに自害)

 

「足利義昭」
病死、(「腫物」が原因で亡くなった。一説には「無理をして朝鮮出兵に従軍したため亡くなった」ともいわれている)

 

「豊臣秀吉」
病死、(死因は諸説あり。梅毒、大腸がん、赤痢、尿毒症、脚気、風邪など)

 

「石田三成」
斬首刑、(「関ヶ原の戦い」で徳川家康に敗北し、小西行長・安国寺恵瓊とともに京都で処刑された)

 

「近衛前久」
病死または老衰、(死因はハッキリしていないが、高齢だったため老衰も考えられる)

 

「真田幸村」
戦死、(徳川家康を追いつめた後、家康の孫「松平忠直」に反撃されて軍が崩壊。「松平忠直」軍の「西尾宗次」に討ち取られた)

 

「豊臣秀頼」
自害、(「大坂夏の陣」で家康に敗北。大坂城の「籾蔵(もみぐら)」のなかで、母「淀殿」と側近「大野治長」とともに自害)

 

「徳川家康」
病死、(死因は「胃がん」。「天ぷらを食べたことによる食中毒で亡くなった説」が有名だが、これは近年では否定されている)

 

「有名武将たちの死因」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。



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もしも「織田信長」が、「本能寺の変」で死なずに長生きしていたら?

もしも「織田信長」が「本能寺の変」で死ななかったら、天下統一を達成して、海外遠征をしていたかもしれません。

 

宣教師「ルイス・フロイス」が残した資料によると、「朝鮮半島や明国へ侵攻するつもりだった」とのことです。

 

しかし、本当に大陸への侵攻を計画していたのでしょうか?

 

もしも信長が、対外戦争を考えておらず、天下統一のあと、「国内の平和を維持するために、政治に力を注いでいた」としたら、どうなったでしょうか?

 

おそらくですが、「反乱」や「内戦」が頻発していたと思います。

 

信長は、多くの「裏切り」に悩まされていました。

 

義弟「浅井長政」に裏切られ、梟雄「松永久秀」には2度も裏切られ、お気に入りの武将「荒木村重」にも背かれ、最も信頼していた重臣「明智光秀」に裏切られて亡くなっています。

 

おそらく、天下統一を果たしたあとも、信長を裏切って内戦を起こそうとする勢力は、各地に残っていたでしょう。

 

「天下統一」は、「本能寺の変」が起こった【1582年】から、2~3年で実現できたはずです。

 

しかしこれら「反乱分子」の相手をしなくてはならなかったはずなので、信長による「天下泰平(平和)」には、まだまだ時間がかかったはずです。

 

信長は、「塩分過多」の食事を好んでいたと言われています。

 

そのため、「上杉謙信」のように「脳溢血」のリスクがあったのだとか。

 

もしかすると信長は、「天下統一」したとしても、「平和」を実現する前に病死していたかもしれません。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,織田信長の享年は数え年「49歳」、「1582年」に「本能寺の変」で亡くなった

 

2,信長の死因は「明智光秀に攻められたことによる自害」。「明智光秀」に裏切られ、「本能寺の変」で亡くなった

 

3,信長が「本能寺の変」で死ななかったとしたら、「2~3年」以内に天下統一していただろう。その後は、「海外遠征」を予定していたというが、国内で裏切りが頻発していた可能性もある

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。



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