この記事では「剣豪将軍」と呼ばれた「足利義輝」の「愛刀」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば「足利義輝が、どのような刀を愛用していたのか」が、カンタンに理解できます。
「足利義輝」は「天下五剣」などの名刀を、数多く所持していたのです。
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この記事を短く言うと
1,「足利義輝」の愛刀とは?
義輝は、「三日月宗近」「不動国行」「鬼丸国綱」などの名刀を愛刀としていた
2,義輝の愛刀は、今どこにある?
義輝の愛刀は、「東京国立博物館」や「京都国立博物館」が所蔵している
3,剣豪将軍「足利義輝」は、これらの刀をどのように使用したのか?
足利義輝は、「永禄の変」でこれらの名刀を使用し、奮戦し、壮絶な最期を遂げた。
足利義輝の愛刀一覧
室町幕府13代将軍「足利義輝」は、数々の名刀を保有していたと言われています。
一覧でご紹介いたします。
- 「大典太光世」
- 「鬼丸国綱」
- 「大包平」
- 「九字兼定」
- 「朝嵐勝光」
- 「綾小路定利」
- 「二つ銘則宗」
- 「三日月宗近」
- 「童子切安綱」
- 「不動国行」
- 「豊後行平」
- 「骨喰(ほねばみ)藤四郎」
「天下五剣」と呼ばれる名刀が、現在でも国宝として指定されています。
足利義輝は、その「天下五剣」のうち、「日蓮上人」の愛刀「数珠丸(じゅずまる)恒次」を除く、4本を保有していたとのことです。
- 「三日月宗近」
- 「童子切安綱」
- 「鬼丸国綱」
- 「大典太(おおでんた)光世」
- 「数珠丸恒次」
これらの名刀を、本当に「足利義輝」は一人で保有していたのか?
もしかすると、後世の創作かもしれません。
義輝の愛刀は、今どこにあるのか?
先ほどご紹介いたしました「足利義輝の愛刀」は、現在どこにあるのでしょうか?
現在どこにあるのか、その行方を解説いたします。
「大典太光世」
現在は前田家の文化遺産を管理する「前田育徳会」という組織が保有。国宝に指定されている。
「鬼丸国綱」
現在は皇室が保有している。
「大包平」
現在は「東京国立博物館」に所蔵されている
「九字兼定」
最上大業物。「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前」の9つの文字が刻まれている。現在は個人所有。
「朝嵐勝光」
現在は個人が所有。
「綾小路定利」
定利の太刀は複数存在しており、その内3つは「東京国立博物館」が所蔵。1つは「千代田区・山王日枝神社」が所蔵。
「二つ銘則宗」
現在は「京都国立博物館」が保管
「三日月宗近」
現在は「東京国立博物館」が所蔵
「童子切安綱」
「東京国立博物館」が保管
「不動国行」
「織田信長」の葬儀で「豊臣秀吉」が手にしたと言われている。現在は行方不明
「豊後行平」
行平の太刀は、各地に存在しており、「東京国立博物館」や「名古屋市博物館」などが所蔵している
「骨喰(ほねばみ)藤四郎」
明治維新後に明治天皇によって「豊国神社」へと寄進され、現在も「豊国神社」が所蔵
義輝の最後と、名刀をふるった「剣豪将軍」の逸話
足利義輝は、【1565年】に、「三好義継」・「三好三人衆」・「松永久通」によって襲撃され亡くなっています。
そのとき「義輝」は、保有していた名刀を畳に突き刺し、刃こぼれするたびに別の刀に持ち替えて戦った、と言われています。
大剣豪「塚原卜伝」から、「新当流」の免許皆伝をもらっていた「足利義輝」は、次々と敵を倒したと言われています。
最期には、大勢の敵兵に斬られて亡くなったのだとか。
しかし、その見事な戦いぶりが評価されたためか、京都の民衆や「上杉謙信」「朝倉義景」は、この暗殺事件に激怒したと言われています。
数万の京都市民が、義輝の死を悲しみ、「三好三人衆」や「松永久通」の暗殺をよってたかって非難したと言われています。
特に「上杉謙信」は、足利将軍家への忠誠心が強かったため、この事件に激怒。
「三好三人衆と松永久秀は、生かしておけない」とまで言っています。
この事件の3年後、「三好三人衆」への復讐を誓った「義輝」の弟「足利義昭」が、信長とともに上洛を果たすのでした。
足利義輝の死後、愛刀は誰の手に渡ったのか?
足利義輝の愛刀が、誰の手に渡ったのかを、わかっている限りではありますが、解説いたします。
「大典太光世」
加賀前田藩に伝えられたと言われています。
「鬼丸国綱」
江戸時代に、名門芸術家の「本阿弥」家が保有
「大包平」
徳川家康の娘婿「池田輝政」に伝わり、代々「池田家」に伝えられた
「三日月宗近」
「豊臣秀吉」から「徳川将軍家」へと代々伝えられた
「童子切安綱」
足利義昭から「豊臣秀吉」へ、その後「徳川家」へと伝えられ、家康の次男「結城秀康」の「越前松平家」へと代々伝えられている。
「不動国行」
「織田信長」の葬儀で「豊臣秀吉」が手にしたと言われている。代々徳川将軍家へと伝えられたが、現在は行方不明
「骨喰(ほねばみ)藤四郎」
紀州徳川家へと代々伝えられてきたが、明治維新後に明治天皇によって「豊国神社」へと寄進された
「名刀」に関する記事一覧
「歴史に名を残す名刀」については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,「足利義輝」は、「三日月宗近」「不動国行」「鬼丸国綱」などの名刀を愛刀としていた
2,義輝の愛刀は、「東京国立博物館」や「京都国立博物館」が所蔵している
3,足利義輝は、「永禄の変」において、これらの名刀で奮戦し、壮絶な最期を遂げた。
以上となります。
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