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金栗四三と妻「春野スヤ」の再婚の真実!結婚時の年齢と尚絅学園について

大河ドラマ「いだてん」の主人公「金栗四三」の妻「春野スヤ」について、「再婚の真実」や「結婚時の年齢」などについて、わかりやすく解説いたします。

「金栗四三」の妻「春野スヤ」

ドラマでは「幼馴染」「再婚」あつかいとなっているが、実際には「初対面」で結婚を決意していた。

彼女は熊本の学校「尚絅学園」出身のお嬢様。

そしてこの結婚と同時に、金栗四三は、「池部」家に養子入りして「池部四三」と改名していた!


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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 「春野スヤ」は、大河ドラマ「いだてん」では「再婚」ということになっているが、史実では「金栗四三」との結婚がはじめて。しかも初めて出会った翌日に結婚している
  2. 結婚した時、「金栗四三22歳」「春野スヤ21歳」だった
  3. 春野スヤさんは、現在も熊本にある「尚絅(しょうけい)女学校」の出身。

金栗四三と妻「春野スヤ」の馴れ初め!再婚ではなかった

大河ドラマ「いだてん」の主人公「金栗四三」と、女優「綾瀬はるか」さんが演じるヒロイン「春野スヤ」さん。

《金栗四三》
「引用元ウィキペディアより」

ドラマのなかでは、「春野スヤ」さんが「池部」さんという資産家の家に嫁入り。

しかしその後、「金栗四三」と再婚するという設定になっているようです。

ドラマの中では「再婚」ですが、史実では「再婚」ではありません。

それどころか2人は、「初対面」で結婚しているのです。

金栗四三、資産家「池部磯江」に養子入り

1912年の「ストックホルムオリンピック」から2年後の「1914年」、金栗四三は兄『実次』から、一通の手紙を受け取ります。

「遠縁にあたる資産家『池部幾江』さんが、お前(四三)を養子にもらいたいと言っている。

どうだろうか・・。

考えてみてはくれないか」

「池部幾江」・・・・・・大河ドラマ「いだてん」では、女優「大竹しのぶ」さんが演じている人ですね。

ドラマでは、資産家で「四三」がストックホルムオリンピックに出場するための「資金」を、「池部磯江」さんが貸した事になっています。

また、ドラマのオリジナル設定なのでしょうが、「春野スヤ」さんは「池部磯江」さんの家に嫁入りしている事になっています。

しかし、史実ではまったく違います。

 

子供がいなかった「池部磯江」さんは、金栗四三さんを「養子」に求めているのです。

四三は、兄の手紙に対して、以下のようなお返事をしています

「実次兄さんにすべておまかせします。

私はいま、2年後のドイツ・ベルリンオリンピックのための練習に心血を注いでいます。

そのため、東京を離れることができません。

東京での生活と練習を続けても構わないのなら、養子入りしてもかまいません。」

実は、資産家である「池部磯江」さんへの養子入りは、金栗四三にとって、とても良い話でした。

「ベルリンオリンピック」に向けての練習に集中したい「金栗四三」にとって、資産家「池部磯江」からの資金援助をもらうことができれば、生活に困ることはありません。

そのため、四三は「養子入り」を決意。苗字がかわり「池部四三」となりました。

養子入りがすんだ直後、養母「池部磯江」さんは「四三」にたいして「結婚」の話をすすめ始めたのです。

その結婚相手が「春野スヤ」さんだったのです。



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金栗四三と「春野スヤ」の結婚!初対面だった

春野スヤ・・・・西洋医師の娘。

金栗四三は「東京高等師範学校」を卒業したのち、熊本へ向かいます。

1914年4月9日、「金栗四三」は「春野スヤ」とはじめて顔をあわせます。

大河ドラマ「いだてん」では、四三(中村勘九郎)とスヤ(綾瀬はるか)は、幼馴染・・。

しかも「四三」は「スヤ」と相思相愛な関係・・・となっています。

実際には、2人は結婚直前まで、一度も顔をあわせたことがありません。

金栗四三は、「春野スヤ」さんに対して、こう言います。

「私は、ストックホルムオリンピックで惨敗しました。

そのため、次のドイツ・ベルリンオリンピックに、人生の全てをかけているのです。

そのため、私は東京にいなくてはいけません。

熊本であなたと一緒に暮らすわけにはいかないのです。

それでも結婚してくれますか?」

春野スヤさんは、この申し出を受け入れます。

1914年(大正3年)4月10日、2人は結婚します。

「4月9日」に初めて出会った「金栗四三」と「春野スヤ」・・・。

なんと、出会った翌日に結婚してしまったのです。

おそらくですが、2人は出会った直後に、運命のようなものを感じたのでしょう。

結婚した5日後、金栗四三は『練習』のために、東京へと旅立ちます。

2人は「1924年」になるまでの「10年間」を、東京と熊本と、離れ離れにに暮らすこととなるのです。



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妻「春野スヤ」と養母「池部磯江」への手紙

遠くに残した養母と妻に、金栗四三はとても気を使っていたようです。

仕事をせず、援助を受けながら生活することに、心苦しさを感じていたのでしょう。

金栗四三は、妻と養母に、まめに手紙を送っています。

結婚から10ヶ月後、1915年2月、四三はこんな手紙を妻「春野スヤ」に送っています。

「スヤも、身体を動かしたほうがいいよ。

先日、講演のためにおとずれた久留米に、捕虜となったドイツ兵がいた。

彼は捕虜でありながら、身体を鍛えていた。

きっと、彼の妻もまた、運動が好きな方なのだろう。

身体を動かせば、勉学も進むし、育児や家事もはかどるだろう。

運動好きで丈夫な子供を育てるためにも、君も運動をすると良いよ」

のちに「女子スポーツ」の人材育成に力を尽くした、金栗四三らしい言葉ですね。



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結婚後、3度のオリンピックと引退

結婚したあと、四三には波乱の人生が待っていました。

人生の全てをかけていた「1916年」の「ドイツ・ベルリンオリンピック」が、「第一次世界大戦」の影響で中止。

1920年、「ベルギー・アントワープオリンピック」は、「16位」と低迷。

1924年、「フランス・パリオリンピック」は、「途中棄権」。

パリオリンピックの直後、金栗四三は引退を決意。

「春野スヤ」と「金栗四三」。2人は結婚してから10年で、ようやく一緒に生活を始めるのです。



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夫を支えた賢妻「春野スヤ」のエピソード

引退した「金栗四三」は、その後「梨園の経営」を始めようとします。

やはり「競技」ばかりで、6人の子供の子育てを妻「春野スヤ」1人に押し付けていたことを、心苦しく思っていたのでしょう。

ところが、この申し出を「スヤ」さんは激怒して大反対。

「あなたは一生をマラソンに捧げるべきです」

これにより、四三は生涯かけて「マラソン」の後進育成に力を尽くすこととなるのです。

「箱根駅伝」「福岡国際マラソン」など、100年以上も続く名物大会を次々と生みだした金栗四三。

1983年(昭和58年)11月13日、『金栗四三』死去。

享年92歳。

生涯を「マラソン」に捧げた人生でした。



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『春野スヤ』の結婚時の年齢とは?

1914年4月10日、2人は結婚したわけですが、この時の2人の年齢は、いくつだったのでしょうか?

この時「金栗四三22歳(数え年24歳)」。

対して「春野スヤ21歳(数え年23歳)」。

金栗四三は、「東京高等師範学校(現在の筑波大学)」を卒業した直後に結婚しています。

結婚式をすませた後、2人は「5日間」だけ一緒に過ごして、10年間も「東京」と「熊本」で別居しています。

その後、1983年に金栗四三が亡くなるまで、2人は約60年も一緒に過ごすこととなります。



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「春野スヤ」さんは、「尚絅学園」という学校の出身

どうやら春野スヤさんは「尚絅(しょうけい)女学校」の出身だとか。

彼女は比較的裕福な「医師」の娘。

エリート教育を受けていたであろうことが想像できます。

この「尚絅女学校」は、1888年(明治21年)に創立した「済々黌(せいせいこう)付属女学校」から分かれた学校。

「尚絅女学校」は、現在も熊本で「尚絅大学」「尚絅短大」「尚絅中学・高校」「附属幼稚園」など、教育分野で成果を上げています。



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『春野スヤ』について「ひとこと」言いたい!

春野スヤさん・・・・かなりキモのすわった、度胸のある人だったのでしょうね。

彼女は「6人」のお子さんを、ほぼ1人で育てています。

さらに、「梨園の経営」という、仕事をしようとする夫「金栗四三」を叱りつけ、マラソンに一生を捧げよと言いのけているのです。

とはいえ、お金で苦労はしていないのではないでしょうか。

彼女は資産家「池部磯江」や「医師」である父からの援助を受けて、裕福に暮らしていたこととは思います。

それでも夫の不在を10年も耐え続けるとは、賢妻であると言って良いのではないでしょうか。

まぁ、出会った翌日に結婚した「四三」と「スヤ」さん・・・遠く離れて暮らしていたほうが、「春野スヤ」さんからすると、気が楽だったのかもしれませんが・・。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「春野スヤ」は、大河ドラマ「いだてん」では「再婚」という設定になっているが、実際には「金栗四三」との結婚がはじめて。しかも初めて出会った翌日に結婚している。
  2. 「1914年4月10日」に結婚した時、「金栗四三22歳」「春野スヤ21歳」だった
  3. 春野スヤさんは、現在も熊本にある「尚絅女学校」の出身

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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